E.トッド『世界の多様性』
12月4日(木)の会議録,まだアップされていませんね。まさか,手続に瑕疵があったわけでもないのでしょうに。。。
あっと言う間に1月も末日を迎えてしまいました。なぜか誕生日を迎えた人が縁のあるところに2人もいる,(人づきあいの悪い私には)珍しい一日です。
ところで,私が家族法にもそれなりに関心をもてるようになったのは,2004年7月15日に刊行された『国際私法判例百選』において,(「保険代位」に加えて)なぜか「夫婦共同養子縁組」の執筆が割り当てられたのがきっかけです(その意味では,編者に感謝もしております)。
家族法においては,諸国間で,一夫一婦制あり一夫多妻制あり,離婚が認められる多数の国あり認められない若干の国あり,といった多様な差異があり,準拠法を決める意味が比較的理解しやすいかと思われます。
で,国際私法の基本は,当事者にとっての最密接関係地法を価値中立的に導き出すということにありますから,準拠法決定の段階では,特定の実質法を見ることなく「暗闇への跳躍」をする,ということになります(特定の実質法を見るのは,準拠法が決定された後の適用の段階の話です)。その意味で,適切に準拠法を決めるために各国実質法上の制度を詳しく知る必要は,基本的にありません。
ただ,例えば,親子の結び付きの強さという点で,日本人と英国人には大きな差がある,といったことに接すると,その種の話に興味が湧くところがあります。
それでも,関心の中心は今でも財産法にあるところ,昨年10月に国際養子縁組事件の判例評釈を書き,その後は国籍法一部改正に注意を引かれたりしながら過ごしてきた年明けに,タイトルに引かれて購入した書籍がありました。これがなかなか面白く,今頃この著者を知ったのが不覚ではありますが,備忘録として少し書いておきます。
エマニュエル・トッド(荻野文隆訳)『世界の多様性-家族構造と近代性』(藤原書店・2008年)(原著は1999年刊で,それに収録されている2作品はそれぞれ83年と84年刊)
家族構造の分析を専門とする人類学者・社会学者である著者は,配偶者の選択プロセスの自由さ(自由)と,家族関係と社会関係における対称性(平等)という2つの観点から,世界の家族構造を8つの家族類型に分類しています。
1.外婚制共同体家族(例.ロシア,中国)(77頁以下)
2.権威主義家族(例.ドイツ,日本,韓国・朝鮮,ユダヤ)(107頁以下)
3.平等主義核家族(例.フランス北部,ラテン・アメリカ)(161頁以下)
4.絶対核家族(例.アングロ・サクソン世界)(同上)
5.内婚制共同体家族(例.アラブ世界)(205頁以下)
6.非対称型共同体家族(例.インド南部)(233頁以下)
7.アノミー家族(例.カンボジア,インドネシア,フィリピン)(255頁以下)
8.アフリカ型諸家族システム(281頁以下)
それぞれの家族類型の特性も興味深い(内容については,私には検証不能)ですが,最も興味深い点は,日本がドイツと同じ「権威主義家族」という類型に分類されていることで,明治維新からの両国の親近性は,家族という下部構造にこそあったのではないかという推測が可能です(この点は,少しずつ機会を得て勉強します)。
「権威主義家族」を論じる『第三惑星-家族構造とイデオロギー・システム』の第3章には,「時間的な軸」と題する一節があり,その冒頭に次のような記述があります。
権威主義家族を基礎とした社会システムの主要な安定軸は,時間的なものである。権威主義モデルを実践している民族は共通して強い歴史的な意識をもち,この人類学的な類型の特徴である血族的な理想の自然な反映として線的な時間の鋭い感覚をもっている。権威主義家族は,世代の途切れることのない継承,理論上限りなく続く家族集団の恒久性を組織するのである。それは権威主義家族の目的であり機能である。息子は父と代わり,孫は息子と代わるといった具合に続けられる。
(トッド・前掲 114頁)
これは,(少なくとも私には)実感としてもよく分かる話であり,日本における企業のあるべき姿や雇用形態についても考えさせられるところがあります。短期的な視点からの仕組みは,そもそも日本には合わないはずなのです(時価会計など,入れるべきではなかったのです)。
「権威主義家族」について,もう1点,特に私の注意を引いた箇所を引用します。2つの核家族について論じる第4章の「根無し草化」と題する一節の冒頭部分です。
識字化,都市化,工業化の複合的なプロセスによるイングランドとフランス(北部)の伝統的社会の根無し草化は,両親と子供たちの補完性に固執する家族的理想によって統合された文化の根無し草化ほどには苦痛を伴うものではなかった。農村からの脱出が世代を分離し,複合家族の核を破壊するのは,外婚性共同体モデルと権威主義モデルの場合である。核家族を特権化する構造においては影響がない。なぜならそのような社会システムでは家族の統一性の早期の分裂は価値あるものとされており,個人的な自立が幼少期から始まる訓練によって準備されているからだ。
(トッド・前掲 166-167頁)
ここに突然「家族の統一性」という概念が出てきて,ハッとしました。と言うのは,かつて「夫婦関係にある者による養子縁組の準拠法と夫婦の一体性の利益」(千葉大学法学論集19巻3号(2004年)49頁)という論文において,日本の国際私法に強い影響をもっているドイツ国際私法を調べたときに出てきたキーワードだったからです。
養子縁組の準拠法について,1986年改正前のドイツは,現在の日本と同様の規定を置いていた(民法施行法22条)ところ,同年の改正により「夫婦の一方または双方による縁組は,14条1項により定められる婚姻の一般的効力の準拠法による。」という規定を追加しました。この立法提案や,改正前の同旨の有力な解釈論の根拠として,唐突に「家族の統一性の利益」というのが出てくるのですが,ドイツ国際私法においては自明のことのようで,この概念についての説明はなされていませんでした(拙稿・前掲66,69頁参照)。拙稿においてはそれ以上深める必要がなかったのでそのままになっていましたが,この概念は頭から離れていません。
ちなみに,現在の自説は,86年改正前のドイツの解釈論と同じような位置づけになるのかと思います(この関連では,最近のものでは,中西康「国際親子法の展望」民商法雑誌135巻6号(2007年)954頁,979-981頁もご参照ください)。
拙稿にこんなことを書いていたのかと,それも興味深く思いますので,引用しておきます。
この「家族の統一性(一体性)の利益(原則)」が(西)ドイツにおいて当然視され共通了解であり続けた理由については,戦後一貫して家族の解体へと進んでいるかに見えるわが国の現況に照らすと,むしろ現在でこそ興味深いものがあるが,現時点ではそれを追究する用意がない。
(拙稿・前掲85頁注43)
まだまだです。
トッドに戻りますと,『第三惑星』の結論部分に以下のような記述があり,国籍の本質にも通ずる示唆的なものだと思われます。
生物学的,社会的な再生産の単位である家族は,その構造を存続させるために歴史や生命からの意味づけを必要とはしないのである。家族は世代を通して,同様な形態として再生産されるのである。子供たちが家族の面々を無意識のうちに模倣するだけで,人類学上のシステムが継続するには十分なのである。愛情と分裂の場である家族の繋がりを再生産することは,DNA-RNAの遺伝子サイクルのように,意識的な操作も必要としない作業なのである。それは盲目的で,非理性的なメカニズムであり,まさに無意識的で目に見えないものであるために強力であり,揺るぎないメカニズムなのである。
(トッド・前掲 290頁)
今般の国籍法の議論において,ほとんど仮装(偽装)認知防止のためのDNA鑑定にのみ焦点が当たり,旧3条1項の「婚姻要件」が担っていたもう1つの意味=我が国との結び付きの観点がほとんど無視されてしまったことに,少し淋しさを覚えるものです。
今月出た,原田央「最高裁平成20年6月4日大法廷判決をめぐって-国際私法の観点から」法学教室341号(2009年)6頁が,深い考察から多くの問題点を鋭く指摘していますので,ご参照ください。
法務省にはやはり国際私法の観点が欠落しているようですので,改めて書くことになるでしょう。
最後に,この大著の翻訳という大仕事に敬意を表する意味で,「訳者解説『多様性と歴史性』」からも引用させていただきます。
1949年から本格的に共産主義体制をとりいれることで1980年代初頭には男女の就労の平等やほぼ 100パーセントに近い育児制度の実現をみた平等主義社会としての中国社会は,アメリカをモデルとした猛烈な市場原理主義を追求することで,既に格差の規模においてアメリカ社会を追い抜いてしまったのである。(中略)『世界の多様性』の分析は,平等主義と権威主義を基底とする共同体家族(外婚性ではあるが交叉イトコ婚が頻繁に行われていた)の中国社会のなかで,この転換が一体どのような軋轢と対立のメカニズムを生み出すのかを理解する手立てともなるだろう。
現在進行する日本社会の変貌も,まさにこの方向で押し進められているのである。その様相は,人類学的条件の異なる文化のモデルを短絡的に導入することの重大な危険性を深刻に物語っているように見える。『世界の多様性』の日本語版の刊行に最も期待されることのひとつは,隣人たちの選択への理解を深めるための認識を提供してくれるだけではなく,日本社会そのものの歩みをも,今一度振り返る機会をもたらしてくれることではないだろうか。
(トッド・前掲 555頁(荻野文隆))
国際私法とは多様性を尊重する「棲み分け」の理論であるところ,「グローバリゼーション」というスローガンに流された同業者が多数に上ったことは,本当に嘆かわしいことでありました。今でもその状況に変わりはないとも思われますが,新進の方々の奮起にも期待しています。
話を戻して・・・,前掲書は極めて刺激的な著作であり,また世界的にも大きな反響を呼んだとのことでもあり,一読をお薦めしますし,私自身,このあたりの文献にも少しずつ手を伸ばしていこうと考えているところです。では,このへんで。
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