国籍法一部改正その後ほか
ちょっと前のことになりましたが。。。
小林よしのり氏が責任編集長をされているSAPIO増刊の雑誌『わしズム』が「最終号」と銘打たれているのに気が付き,出版不況はついに小学館にまで及んだか,と思って驚きましたが,同誌によれば,実はそうではなく,小林氏に批判された最近ご活躍の佐藤優氏がSAPIO編集部に圧力をかけてきたことに端を発する苦渋のご選択とのこと。
事実関係については存じ上げておりませんので論評は控えますが,以前おふたりの著書を興味深く拝読して並べて紹介したことがあり(2006年7月27日(木)「前期授業終了」),複雑な気分ではあります。
個別の問題を離れて「言論の自由」という一般論に話を移しますと。。。
もうかなり前になりますが,偶然ですが同僚の間でちょっと議論があり,どちらの言い分も理解できるので黙って聞いておりました。ただ,言論には言論で対抗する,異なる立場の言論でも圧力による言論の排除やレッテル貼りからは守る,というのが大原則であることは,確認しておくべきことであろうとは思いました(但し,匿名のものは,負っているリスクに差がある分,顕名のものと同列には論じられないでしょうね)。
法律の世界でも,某社の雑誌等には○○分野で某先生に睨まれると書かせてもらえないというような公然の(?)秘密があり,嫌な話も実際に耳にすることがありますが,さすがにまだ具体的な話は書けませんね。
話は換わって,これまた前のことになりますが,2月28日(土)にNHK-BS1でエマニュエル・トッドのインタビュー番組がありましたね。なかなか興味深いもので,3月22日(日)に再放送されていました。なお,2009年1月31日(土)「E.トッド『世界の多様性』」もご参照いただければ幸いです。
ついでですが,同氏(平野泰朗訳)の『経済幻想』(藤原書店・1999年)(原著は1998年刊)も非常に面白い本で,冒頭の「日本の読者へ」には以下のような記述があります。
日本は,まぎれもなく経済大国の1つである。……本書で見るように,日本は,人類学上の理由から,アングロサクソン・モデルとはきわめて異なった資本主義の調整されたモデルを示している。……国民国家による調整という考え方の,積極的な擁護者となれる。人類学上の基盤のせいで,日本は,集団行動に長けている。孤独で空虚な絶対的個人という考え方は,日本の文脈では想定できない。……多くの領域で,日本は,世界のトップにいる。例えば,幼児死亡率は,世界で最も低い。日本は,アングロサクソン世界と同じくらい,その経験と成功を人類社会に提示する権利がある。……
(トッド・前掲2頁)
トッド氏からも一定の役割を期待されていた我が国は,その期待に反し,実際にはこの後どんどん米国化していったのですから,皮肉と言うか何と言うか・・・
米国の文化的な低下・停滞を中心に論じる第2章(特に,62頁あたり)を始めとして興味深い分析が続くのですが,最も印象に残ったのは,自由貿易が万能ではなく需要の不足をもたらすという問題点を指摘する部分です。
自由貿易と過少消費
自由貿易は,地理的にも,文化的にも,心理的にも供給を需要から切り離す。A国の生産者とB・C・D・E国の消費者が結びつけられ,逆の関係にもなる。企業家および国からみれば,全体需要(Dg)は,国内需要(Di)と国外需要(Dx)に分けられる。すなわち,Dg=Di+Dx。賃金を支払うことにより国民規模の総需要に貢献しているという感情を企業家がもはやもたなくなる経済世界を,自由貿易は作り上げる。賃金は,世界レベルで集計された場合はアクセス不能な抽象値でしかなく,もはや企業にとって,出来るだけ圧縮するという関心しかない生産費用にすぎない。このような論理が展開すると,技術進歩により生み出された生産性上昇成果に対して,需要が首尾一貫して遅れる理想的条件が出来上がる。取引を「国民の外」で行うことは,資本主義を原初的・前ケインズ的形態に戻す。……
(中略)
切り詰めの進む世界
輸出にとりつかれた社会では,国境の開放が,いつも,後退的心理に火をつける。つまり,費用や支出を絶えず出来るだけ切り詰めようとし,マルサスに従って人口まで抑制しようとする時代精神と共鳴する。賃金を切り詰め,子どもを減らし,労働者を減らし,楽しみも減らそう,これが道である。国民の行政の中心である国家は,自由貿易の環境によりマクロ経済的意義をすべて奪われ,ついに企業のように行動し出す。財政赤字の削減にとりつかれた政治家層は,全体需要の圧縮に進んで協力する。その結果,消費の削減,雇用者数の削減,失業の増大に行かざるを得ない。
(以上,トッド・前掲190-191頁,196頁)
「価格破壊」というスローガンが叫ばれ始めた頃,ただ安ければよいと言っているとたいへんなことになる(私たちは,単なる消費者ではなく,給与所得者でもあるのですから)と思っていたところ,某国製の質の悪い衣料品が出回ったり,それが改良されてきたと思っていると賃金がじりじりと下がり始め,・・・振り返ってみると,いろんな意味で生活レベルが落ちてきたことを実感します。
良い物やサービスにはその質に相応しい対価が支払われるべきだという了解がないと,このままどんどん沈んでいってしまうのでしょう。あるいは,格差が広がってきたために低価格のものにしか手が出せない人たちが増えてしまっていて,上記のような了解が復活したとしても,もう手遅れなのかもしれませんが・・・
「訳者あとがき」から,上記引用部分に関するものを引用しますと,
自由貿易批判と保護主義の擁護 そして,この世界的需要不足……を避ける手だては,彼によれば,国外に対する保護主義と国内での自由競争である。こうした提案も,理論的には十分根拠があり,傾聴に値する。ただし,各国がどういう保護主義政策を相互に認め合うかは,難しいであろうが。
この保護主義の提案は,国民主義(ナショナリズム)の再生を意味する。トッドにとって,国民こそが,人間が個人的であると同時に共同的になれる,最も確かな枠組みであるからだ。この認識は,彼の長年の人類学的考察から得られたものであることは,本文を読めば,直ちに分かる。(後略)
(トッド・前掲387頁(平野泰朗))
トッドと少し観点は異なりますが,中野剛志『経済はナショナリズムで動く-国力の政治経済学』(PHP研究所・2008年)も,まず内なる力を主体的に充実させようという「当たり前のこと」が書かれていると思われます。これは,現在でも他国の動向に合わせようとする風潮が続いているからこそ,なおさら貴重な書物であると思われます。
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さて,国籍法に話を移します。これまで重要な文献がいくつか出ていますので,それらに触れながら進めていきます。
最初に採り上げるのは,近藤博徳「国籍法違憲訴訟-大法廷判決獲得までのあゆみ」法学セミナー651号(2009年)26頁です。著者は,平成20年6月4日の2つの大法廷判決の代理人として名を連ねておられますが,「代理人として実質的な活動をしたのは専ら第二事件〔国籍確認請求事件の方-引用者注〕」とのこと。
その第1審の審理の経過の記述の中に,次の一節があります。
さらに裁判所は,第3回期日に双方に対し,「準正によって日本社会との結びつきが強くなるという点について社会実態の有無も含めて調査し主張されたい」と指示した。しかし国側は,第4回期日にその回答を提出することができなかった。私たちは,「準正によって日本社会との結びつきが強まる」との国の主張を支える立法事実が存在しないことが証明された,と確信した。
(近藤・前掲28頁)
これが事実なのだとすると,国(法務省)は,この段階では国籍法(旧)3条1項の婚姻要件の維持を諦めていた,ということになるのでしょうか。国籍法に関心をもっていた研究者も現在ほど多くなかった当時の状況に照らすとやむを得なかったようにも思われますが,どうなんでしょう?(ただ,「社会実態の有無も含めて調査」するための時間的余裕が与えられていたのかという疑問も生じはします。)
それと,もう1点。「法改正と適正な運用へ向けて」という項目中の一節です。
衆議院での採決のころから,この法改正が「偽装認知を容認し,不法外国人の流入を増大させる」とのデマが流れ,……結局,改正法は法案通り成立したが,衆参両院で付帯決議が付き,さらにもっぱら偽装認知防止のみを目的とした施行規則の改正が行われた。その結果,国籍取得の手続はこれまでよりも格段に厳格になったばかりでなく,手続自体が障害となって国籍取得が困難になってしまった。
(近藤・前掲29頁)
関係の施行規則や通達等は,戸籍時報636号(2009年)4頁以下で速報されています。
ところで,「デマ」と表現されている事実については,確かに不安を煽る過剰反応も散見されはしましたが,現実に外国人犯罪の報道によって治安の悪化を肌で感じている一般の方も多くおられますし,私自身も単に婚姻要件を削除し実効性に疑問が残る罰則を設けただけの改正法には拙速さを感じたものです(「拙速さ」については,他の文献も引用しつつ後述します)。
その意味では,厳格な手続は必要であると思いますが,他方で,法律レベルでの規律ではなく法務省の裁量にかかるものですので,手続がいつの間にか緩いものに変わっていた,ということも起こり得るのがやや心配です。
改正法施行後の状況については,「国籍問題を検証する議員連盟(平沼赳夫会長)」における当局の説明を報告される,赤池誠章衆議院議員の以下の2つのブログ記事が詳細です。
「2月25日(水)国籍議連で施行後の対応をチェック」
「4月7日(火)第6回国籍議連でチェック」
国籍法(旧)3条1項の婚姻要件が担っていた2つの意味,つまり,①「我が国との密接な結び付き」,②「仮装(偽装)認知による国籍取得の防止」のうち,上記の手続は②に関するものですが,上記の手続が適切なのか,DNA鑑定を導入すべきなのかが問題として残っています。
3条1項のみを考えるのであれば,DNA鑑定の導入は,「国籍取得届という公法行為」の部分でなければなりません(2008年12月14日(日)「私法上の『認知』と『国籍取得届』」参照)。
それだけでなく,赤池議員の2月25日付のブログ記事に出てくる,NHKのニュース等でも報道された中国人女性の子の偽装認知は,「胎児認知」であって国籍法2条1号の問題ですので,こちらについても憂慮すべき事態が生じていると判断するのであれば,合わせて検討する必要があります。その際,2条1号の場合は(3条1項の場合と異なり)国籍取得のための特別の手続はありませんので,何らかの手続を新設する必要があるのかもしれません。
①「我が国との密接な結び付き」についても,再検討が必要です。大法廷判決は,婚姻要件がもはやその指標にはならないとして単純に削除してしまったわけですが,まともな国際私法学者にとってこの点が気にならないわけがありません。いずれも,程度の差はあれ直接存じ上げている方々ですが,公表順に引用しておきます。
本判決の今後の国籍法改正に対する影響という点については,さらに慎重な検討を要すると考えられる。本判決も,国籍付与について,血統主義に加えて,子と我が国との密接関係性を要求すること(国籍法3条の立法目的)自体,合理性があるとする。したがって,改正において,本判決の基礎となった国籍付与要件とは別に,子と我が国との密接関係性を確保するための要件を付加することは可能であろう。このことは,結局,立法論としては,国籍法3条1項の存在を前提とした平等原則を基礎とする検討のみでは足りず,日本国籍付与の意義およびその範囲についての実質的な議論が必要となることを意味する。
(竹下啓介「国籍法3条1項を違憲とした最高裁判決」法学セミナー647号(2008年)6頁,7頁)
そのような要件を必要と考えるかどうか。それから,もし必要だとしたときに,具体的にどういう要件を入れるかは,立法論としては非常に難しい問題だと思います。それやこれやを考えると,国籍法全体を,もう少し基本的な原理原則から考え直して構成するという作業がゆくゆくは必要になるのではないか,パッチワーク的に修正していくと,だんだんおかしくなってくるかもしれないという感じがいたします。そのような根本的な立法作業の際には,国籍法を背後から支えるものとして,出入国管理等の外国人政策・移民政策に関する高度に政治的な問題について,大局的・長期的視野に立った十分な検討をすることも必要不可欠になるでしょう。
(高橋和之=岩沢雄司=早川眞一郎「〔鼎談〕国籍法違憲判決をめぐって」ジュリスト1366号(2008年)44頁,71頁(早川発言))
本件で直接問われたのは,日本人男性と外国人女性の非嫡出子につき,準正を「家族生活を通じた我が国社会との密接な結び付き」の指標とすることの合理性のはずである。多数意見は,「家族生活や親子関係」一般の実態・意識の変化を1つの論拠とするばかりか,婚姻・親子関係の「実態」・「認識」が「複雑多様」な「両親の一方のみが日本国民である場合」の一類型たる日本人男性・外国人女性の非嫡出子については,その「近年」の「増加」に触れるのみである。以上から,「近年」の合理的関連性欠如が論証されているといえるか。仮にいえるとして,逆に改正当時には合理的関連性が存在していたといえるか。家族生活・親子関係一般……の実態・意識の変化が,本件で直接問題となっている類型の子の「我が国(社会)との密接な結び付き」を論ずるにつきどのように関係するのか。多数意見の同論証が必ずしも十分でないことは,そもそも論証の核にある「我が国(社会)との密接な結び付き」の意義が明確でないことにも起因すると思われる。
(原田央「最高裁平成20年6月4日大法廷判決をめぐって-国際私法の観点から」法学教室341号(2009年)6頁,9頁)
以上のものとは対照的に今般の3条1項の改正までも積極評価される国友明彦教授でさえ,以下のように論じてもおられます。
本判決の射程は,本件の事実関係からして,外国人母から日本国内で出生し,日本人父に生後認知された時及び国籍取得の届出時に国内に住所を有する子に及ぶものと考えられる。
(中略)
例えば,もし政府又は立法府において,出生地,認知時の子の住所,現在の子の住所のいずれかが外国にある場合の国籍付与については特に慎重な検討が必要であると考えるのであれば,応急的な立法措置として,例えば,上記3つの地が日本国内にある場合に限定して届出による国籍取得権を付与する立法を行って,その他の場合を含めた一般的な改正については法制審議会に部会を設けて検討することとしても本違憲判決の効力には反しないこととなる。
(以上,国友明彦「国籍法の改正-国際私法的観点から」ジュリスト1374号(2009年)15頁,18頁,19頁注23)
大法廷判決に反対である私の立場からも,それでも大法廷判決を尊重して3条1項を至急改正するというなら,上記の線であればまだ穏当だと判断したと思います。しかしながら,実際にはこれに止まらなかったのですから,「拙速」であったと言わざるを得ません。
この点については,「改正法の立法過程について」「止むを得なかった」とされる国友教授でさえ,以下のようにも評されています。
本件においては法令違憲として請求を認容したことに対しては,「かなりの副作用をもたらす劇薬」という評価もあるが,立法手続が通常の場合に比して非民主的かつ急いだものであったこともその「副作用」の1つと言えよう。例えば,後述Ⅴ2のような外国法に基づく好意認知の問題についても本来であれば事前に検討すべきであったであろう。
(国友・前掲19頁)
基本的な立場は異なりますが,引用部分には賛成です。
なお,「Ⅳ改正法の趣旨について」という項目で示されている国友説については,全てが希望的な「可能性」の指摘としか理解できないので,大いに疑問です。「可能性」ではなく,実態で判断すべきではないのでしょうか?
最後に,「Ⅵ国籍法2条解釈への影響」という項目で,次のように論じておられます。
最判平成9・10・17民集51巻9号3925頁,同平成15・6・12家月56巻1号107頁ほかの判例によって,生後認知ではあるが戸籍実務上の嫡出推定のために胎児認知届を出すことができなかった等の事情がある場合に例外的に法2条に該当することが認められている。しかし,これら判例の解釈は,生後認知による国籍取得権のないことを前提とした解釈であり,改正法が施行された今となっては生後認知による父子関係の成立なのに法2条に該当するという無理な解釈を続ける必要はないように思われる。
(国友・前掲21頁)
確かに,やや「無理」をした「解釈」という感じはしています。ただ,改正法においても,2条と3条とでは要件・効果ともに異なりますので,少なくとも関係の方々にとっては「必要はない」ということにはならないのではないかと思われます。
いずれにしても,理論的にも実際的にも広い視野で統一的に検討すべき問題について,「拙速」かつ射程の広すぎる改正がなされてしまった以上,再改正をも視野に入れた全面的な検討がなされるべきであると考えております。
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