国私の重要問題をより深く

2009年8月27日 (木)

「国際裁判管轄法制に関する中間試案」に対する意見

 今年の夏は,トンボや蝶をよく見かけます。夏休みも,あとわずかになりました。

 さて,法務省が「国際裁判管轄法制に関する中間試案」に対して意見募集していることは,前回の投稿の後半に書いて,関係文書にリンクを張っておきました。私も,若干の意見をお送りする予定です。期限まであと数日ありますので,現時点での内容をここに掲げておきます(このままお送りすることになる可能性が高いですが,見落としなどに気付けば若干の修正をすることもあり得ます)。

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「国際裁判管轄法制に関する中間試案」に対する意見
                (千葉大学教授 森田博志)

 国際裁判管轄に関して裁判所が採用する「特段の事情論(修正逆推知説)」およびそれに基づく具体的な事案処理は概ね支持できるものであり,そもそも立法は不要であると考える者であるが,「中間試案」の一部につき立法を前提とした愚見を申し上げる(意見の順序は,「中間試案」のそれを若干変更する。また,意見を示さない点は,賛否いずれでもない)。

第6 国際裁判管轄に関する一般的規律-賛成(但し,若干の疑問あり)。
 最判昭和56年10月16日民集35巻7号1224頁(マレーシア航空事件)の後,東京地裁を中心とする下級審が積み上げ,最判平成9年11月11日民集51巻10号4055頁において最高裁も採用するに至った,「特段の事情論(修正逆推知説)」を規定化することには賛成である。
 ただ,諸判決が掲げる「当事者間の公平」という理念における「公平」を,何故に一般人になじみの薄い「衡平」と言い換えるのか。国民には,分かりにくい言葉遣いではないか(民訴法17条の存在は,理由にならない)。疑問である。
 なお,緊急管轄の規定を置かないのであれば,「第1から第5までの規律」について「日本の裁判所に訴えを提起することができる場合」を緩やかに設定しておく必要があるはずだが,これら5つの規律には「管轄配分説(修正類推説)」の影響が強く出ている部分があり,その部分については本規律との間で整合性を欠くことになってしまっているのではないか。

第1の3 法人その他の社団又は財団に対する訴え ①-「主たる」を削除すべきである。
第2の4 事務所又は営業所を有する者等に対する訴え ①-削除(但し,第1の3①を上記のように変更することが前提)。
 せめて1点,ぜひ要綱案においてご確認いただきたい。現行民訴法では4条5項に相当する規定により日本に管轄が認められたマレーシア航空事件の事案について,被告はマレーシアに本店を有していたため,第1の3①による管轄は日本に認められなくなる<この点には反対であり,被告が日本に営業所を有していた以上,原則として日本に管轄を認める規定にすべきである>。他方,第2の4①によれば「日本国内……の事務所又は営業所における業務に関するもの」であったか否かが重要な基準となるが,マレーシア航空事件の事案についてはどのように判断されるのか(業務関連性の有無については,争いがある。塩崎勤〔調査官解説〕法曹時報37巻6号(1985年)182-183頁参照)。日本に管轄を認めたマレーシア航空事件最高裁判決の結論に賛成するのが多数説だと思われるのであり,この点の確認くらいは明確にしておいていただきたい。
 また,このような事案においては,旅客運送契約の一方当事者(被害者)が「消費者」に該当するとは限らず,他方,被害者の遺族などについて弱者保護が要請される事案も多いであろうことは十分に想定できる。
 なお,②については,いずれも①の趣旨に合わせることになるので,省略する。

第2の3 財産権上の訴え ②-甲案に賛成。
 「特段の事情論」を積極評価する立場からは,ここでも緩やかな規定を置いておき,第6の規律によって個別の事案に即して具体的妥当性を図るのが筋だと考える。

第2の6 不法行為に関する訴え-「ただし」以下を削除すべきである。
 日本における結果の発生が通常予見することができない場合であっても,日本における被害者にとって外国のメーカー等に対する損害賠償請求訴訟を他国で提起することが過大な負担になる場合がありうることは,容易に想定できる。「ただし」以下は,外国の加害者の保護に傾きすぎたものであり,その保護は第6の規律の一要素として個別の事案に即して判断すれば足りると考える。
 また,(注)には賛成である。なお,二次的・派生的な損害の発生地も「不法行為があった地」に含めるのは穏当である。

(第2についての後注)-賛成。
 債務不存在確認の訴えについては,対象債務,管轄原因等が多様でありうるとの「補足説明」に特に異論はない。

第4の3 消費者契約に関する訴え ①-甲案に賛成。③イ-丙案に賛成。
 ①について,「特段の事情論」を積極評価する立場からは,ここでも緩やかな規定を置いておき,第6の規律によって個別の事案に即して具体的妥当性を図るのが筋だと考える。
 ③について,消費者保護の観点から,管轄合意の効力を認めることにはできるだけ慎重であって然るべきだと考える。

第5 併合請求における管轄権 ④適用除外-いずれにも反対。
 日本の基準によれば専属管轄であるべき事項であっても,問題となる「外国」においては専属管轄とされていないことも考えられるのであり,いずれにしても第6の規律によって対応すれば足りると思われる。

第8 国際訴訟競合に関する規律-乙案に賛成。
 訴えの先後にのみ決定的な地位を付与する甲案には,考え方の基本において全く賛成できない。また,さすがにもはや「補足説明」にも掲げられていないが,甲案に親和的なものとして,東京地判平成元年5月30日判時1348号91頁を挙げる方もおられるかもしれない。しかし,この判決は,むしろ,外国で先行する訴訟の承認可能性の予測の困難さを浮き彫りにしたものである。甲案は,「……見込まれるときは」内国後訴を「中止」するという形で承認予測説を薄めて採用しようとするものと解されるが,「見込まれる」程度で内国後訴を規制しようとするのは甚だ疑問である。
 乙案でも,第6の規律による内国後訴の規制は可能であり,それと同旨と解される先例もある(東京地判昭和59年2月15日下民集35巻 1=4号69頁,東京地判平成3年1月29日判時1390号98頁)。
 甲案を採用しつつ第6での規律も行うとしても,第6の規律によって日本の管轄が否定されれば本規律の出番はないし,逆に第6の規律によって総合的に判断してもなお日本の方が適切な法廷地だと判断される場合に本規律を働かせてしまっては,処理として統合失調的な印象を受ける。さらに,「国際訴訟競合に関する規律」として甲案の内容のみが条文化されるとすると,かえって我が国の規律について諸外国に誤解を生じさせてしまうのではないか。
 甲案の採用には反対である。

                      以上

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2009年3月17日 (火)

国際裁判管轄研究会報告書に対する批判論文

 国籍法(旧)3条1項を違憲とする大法廷判決と,それを受けて立案され本年1月1日に施行された国籍法一部改正法について,重要な文献がほぼ出揃った感がありますので,近々書きます。

 本日は,法制審議会で立法作業が進んでいる国際裁判管轄について,その作業のたたき台である「国際裁判管轄研究会報告書」の一部に対する(実質的には全体にも関わる)鋭い批判論文である,藤下健「国際裁判管轄研究会報告に関わる若干の問題点について」判例時報2028号(2009年)3頁を採り上げます。

 私自身,立法作業の前提についてそもそも疑問があり,昨08年8月に以下のように書いておりました。

(以下,08年8月1日(金)「パール判決書はいかが?」から転載)
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経営法友会の協力を得て,同会に所属の企業に国際裁判管轄に関するアンケートを実施した。
 そのアンケートの結果であるが,957社にアンケートを配布したところ,回答を寄せたのは,37社であった。まず,規定の要否については,規定を設けるべき,あるいは設ける方が望ましいとする意見が25社と多く,その理由として,予測可能性,法的安定性の確保を挙げるものが多数である。他方,規定は不要であるとする意見は,1社にとどまった。

(以上,前掲〔上記報告書(1)NBL883号(2008年)〕38頁)

 「回答を寄せた……37社」中「25社」と考えれば,67.6%で3分の2をかろうじて超えていると見えますが,(回答率は 3.9%にすぎず)配布数の「957」を母数とすれば 2.6%しかありません。これは,ほとんど無関心ということではないのでしょうか? これで,予算を使って立法するんでしょうか?(「無駄ゼロ」との関係は,どうなるのでしょう?)
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(以上,08年8月1日(金)「パール判決書はいかが?」から転載)

 ただ,それ以上は,報告書の中身に立ち入っていませんでした。その理由は,以下のとおりです。

 法例改正のたたき台であった,法例研究会『法例の見直しに関する諸問題』(別冊NBL)については,一部に,杜撰な資料が掲げられたり,先行業績に対する正確な理解を欠く恣意的な議論がなされたりしていましたが,それでもまだ(諸外国の立法例だけでなく)従来の裁判例も不十分ながら示されていました(そのようなそれなりに評価できる点があったからこそ,徹底した批判も可能なのでした)。これに対して,上記管轄研報告書は,従来の裁判例を提示して分析するという姿勢がほとんど全く見られず,他に追究すべきことがいろいろとある者にとっては,まともな批判的検討をする気持ちが生じないものであります。

 さて,藤下判事は,まず,国際的訴訟競合について,上記報告書(6・完)の第7の2(NBL888号(2008年)72頁,78頁)が,ヨーロッパ諸国で採用され我が国の通説でもある承認予測説に基づく立法を提案するものと読み込まれます(藤下・前掲3頁。確かに,その点に付されている注2(上記報告書・79頁)には,承認予測説を採用するものと読める「ヘーグ1999年草案」21条1項と,東京地判平成元年5月30日判時1348号91頁しか引用がありません)。
 この立法提案に対して,裁判官としては国際裁判管轄についての「特段の事情」論の枠組みでの処理が「平易かつ自然」であること,我が民訴法の母法であるドイツ法の移送等の規律と我が民訴法のそれとが前提を異にすること,我が国における国際的訴訟競合の解決が最も必要だと考えられる相手国は(承認予測説によるのでなく)柔軟な規律をしている米国であることを指摘されています(藤下・前掲3~4頁)。

 さらに,注12では,「報告書(6)がくだんの箇所で注(10)の⑪判決〔前掲東京地判平成元年5月30日-引用者注〕のみを引用しているのは,控えめに表現しても不正確の誹りを免れないのではなかろうか。」(藤下・前掲6頁)と指摘されています。
 これは全くそのとおりなのですが,もっとハッキリと書いておきます。

 国際的訴訟競合に関する事例は藤下・前掲5頁注9に引用されているように他にもあるところ,東京地判平成元年5月30日判時1348号91頁のみが引用されているのは,この判決について「(b-2)〔承認予測説-引用者注〕の立場をとったもの」(道垣内正人「国際訴訟競合」高桑昭=道垣内正人編『新・裁判実務大系第3巻国際民事訴訟法(財産法関係)』(青林書院・2002年)150頁)との評価があるからです。

 しかしながら,同判決は,「先行する外国訴訟について本案判決がされてそれが確定に至ることが相当の確実性をもって予測され,かつ,その判決が我が国において承認される可能性があるときは……後訴を規制することが相当とされることもあり得る」と判示しているのであって,承認が予測されれば必ず規制する,とは言っていないのです。
 しかも,この判決は,上の基準を当該事案について見ると,「しかしながら,……将来において米国訴訟についての本案判決が下され,それが確定するに至るかどうかについては,現段階で相当の確実性をもって予測することはできない。……現段階でいまだ本案審理も開始されていない米国訴訟の判決が同号〔民訴200条(現118条)3号-引用者注〕の要件を具備するものと断定することもまた困難である。」と続いているのです。

 そして,次の指摘によって承認予測説は既に止めを刺されている,と私は理解しています。

具体的な結論としては承認可能性の予測が困難であるとして規制を認めず,かえって同説〔承認予測説-引用者注〕の問題点を浮き彫りにした形になっている

(小林秀之〔判批〕渉外判例百選第3版(有斐閣・1995年)239頁)

 ちなみに,小林秀之教授は,前掲百選の後継である国際私法判例百選においては,執筆者から外れておられます。

 藤下論文に戻りますと,藤下判事は,主として米国との折り合いが付かずに採択されずに終わった「ヘーグ1999年草案」が上記管轄研報告書の各所で引用されていることを批判されています(藤下・前掲6~7頁)。これは,上記報告書が同草案に関わった研究者によって主に作成されたのではないかということを強く示唆するものでもあるでしょう(藤下・前掲7頁の注2から注4を参照)。

 以上,国際裁判管轄の立法作業においても,従来の裁判所の営為が尊重されているのか,疑問です。

 最後に,藤下判事は,以下のように述べておられます。「国際訴訟競合が生じた場合について報告書(6)が提案するような規定を置くことが,我が国裁判所に提起される渉外的要素を有する民事紛争を適切妥当に解決することに資するものではなく,また裁判実務に混乱を招きかねないものである」,「国際裁判管轄に関する規則は,渉外的法律関係に適用される法律に関する規則以上に,我が国に居住する人民及び我が国に本店を置く法人の具体的権利義務に大きな影響を及ぼすものである。現在検討されているといわれる法律案において,適切妥当な解決が図られることを願ってやまない。」(以上,藤下・前掲7頁)
 私たちは,法例廃止の轍を踏んでしまうのでしょうか。国際裁判管轄の規律については裁判官の声が極めて重要なのであって,多忙を極めておられるでしょうが,さらに裁判官のご意見が示されることを期待するものです。

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2009年3月 7日 (土)

船舶先取特権の準拠法に関する最近の裁判例

 国民の資産を食い物にしている疑いの濃厚な郵政民営化にまつわる問題は,本当に根が深いようですね。テレビではあまり採り上げられませんが,国会の予算委員会や総務委員会では精力的に解明が進んでいるようです(審議の日から相当に間が開いたりしますが,アップされてくる会議録をご参照ください)。騒がれている問題に,あまり目を奪われない方がよいのではないでしょうか?

 書きたいことがいろいろと溜まっていて,ぼちぼち書けるかと思っていましたら,昨6日(金)に船舶先取特権の準拠法に関する実務家による貴重な論文を見つけましたので,今回はそれについて書くことにいたします。

 船舶先取特権の準拠法について,従来の通説・裁判例は,その成立につき被担保債権の準拠法と旗国法とを累積適用し,その効力につき旗国法によるとしてきました(この立場の最も新しい公表事例は,広島高決昭和62年3月9日判時1233号83頁(評釈は6本ありますが,知られていない拙稿のみ掲げます。東京大学商法研究会編『商事判例研究(38)昭和62年度』(有斐閣・1997年)157頁))。
 さらに学説は多様に分かれていたところ,4年開いて,船舶先取特権に基づく保険金債権への物上代位の事例である,東京地決平成3年8月19日判時1402号91頁,東京地決平成4年12月15日判タ 811号 229頁の2件が,相次いで法廷地法を準拠法としました。

 その後なぜか裁判例の公表がなく,実務では法廷地法説が定着したような感じがしないでもないわけですが,他方,上の2つの事例における差押えの対象は(船舶でなく)保険金債権であって事案が異なるうえに,東京地裁の理由づけが事実に反するものであったりした(拙稿・ジュリスト1051号(1994年) 126頁,127頁)ために,どれほど確立したものか,大きな疑問も残っていたところです(私は,再三書いていますが,裁判例の公表を強く期待しています)。

 そうしたところ,松井孝之=黒澤謙一郎「法の適用に関する通則法施行後の船舶先取特権の準拠法をめぐる最近の議論および裁判例について-近時の定期傭船者倒産事例の紹介」NBL 899号(2009年)28頁において,ご本人の手掛けられた最近の5件の裁判例が紹介されています(34-37頁。ちなみに,32頁の本文中に出てくる「森田教授」とは私のことですが,助手の頃に書いた前掲・拙稿からの一部引用ですので,何か気恥ずかしい感じもいたします。とにかく,思い切って書いておいてよかったと思います。いずれにしても,採り上げていただいて感謝申し上げます)。

 で,事案が必ずしも詳細でないので残念ですが,そこに出てくる5件に共通しているのは,被担保債権の準拠法によって船舶先取特権の不成立が導かれているところです(但し,うち2件は法廷地法との累積,1件は旗国法との累積,1件は現実所在地法との累積が説かれてもいます)。
 (船舶抵当権と処理を分ける理由がないと考えますので)累積には全く賛成できないのですが,全体を通じて見ると,被担保債権の準拠法をベースにしたというようにも理解できますので,事案によっては結論には賛成できるものかもしれません。ただ,被担保債権が関係するのは35頁の図の「船舶燃料供給会社Y(香港法人)」と「定期傭船者Z(香港法人)」であって,燃料代金債権の準拠法は確かにこの両者の規律には適切ですが,これが「船主X」との関係まで規律することには疑問が残ります。「船主X」の事情についても情報が記載されていると,なおよかったと思うのですが・・・

 28頁冒頭の要旨に「船会社の代理人として」とあり,34頁の右の段の6行目に「筆者が代理する船主」とありますので,船舶先取特権の不成立を導き出す香港法(=被担保債権の準拠法)が船主にとって有利であったために,松井孝之弁護士はその適用を主張された,とも受け取れます。この点,問題は,Yと,(Zではなく)Xとの間に存在しているのではないかと私には見えますので,そうであれば,むしろ,燃料供給時の船舶の現実所在地法が準拠法とされるのが適切であったようにも思われます。

 いずれにしても,船舶先取特権の準拠法についてはまだまだ検討が十分でなく,従来の議論を検討されたうえで裁判実務が必ずしも法廷地法の適用で固まっているわけではないことを紹介されるこの論文が非常に貴重なものであることは,間違いありません。いずれご教示いただく機会がありましたら,たいへんありがたく存じます。

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2008年11月21日 (金)

日本人間の同乗事故の事例

 国籍法改正案をめぐる一連の流れから再確認したことは,誰が国民のことを一番に考えて一心に行動しておられるかをよく見ておいて,選挙ではそのような方を選ぶ(そうでない方には退いていただく)という基本的なことが近年では特に重要だということです(このままでは,政権交代も危険すぎると思えてきました)。

 さて,国籍法改正案については心ある方々が多くの問題を指摘されていますので,私の方は自分の仕事に戻ります(法務省の民事局長だけでなく,始関正光官房審議官も民法と国籍法とを同列に論じておられるようですが,法務省は民法と国際私法の違いさえ正確には認識していませんので,むべなるかな,です)。

 今回は,アルゼンチンでの日本人間の自動車同乗事故の準拠法をアルゼンチン法としつつ,それは看板だけで実際には日本法で処理したと理解できる,福岡地飯塚支判平成20年3月14日判時2014号 120頁を採り上げます。

 事案は,被告Yと訴外AがYの取材目的の旅行として,平成17年9月20日頃,日本を出発してアルゼンチンに赴き,同月29日朝(現地時間28日夕方)に発生したY運転の自動車の事故により同乗していたAが死亡し,Aの両親であるXらがYに対して損害賠償請求したというものです。
 で,Xらの主張も,Yの主張も,判決も,いずれも筋が悪いのですが,それぞれ確認していきます。

 まず,Xらの主張から。

 ア 不法行為責任について
  (ア) 法の適用に関する通則法(以下「通則法」という。)……を本件に即してみると,当事者(Y,A及びXら)の常居所地が日本であること等に照らして,アルゼンチンよりも明らかに密接な関係を有する他の地(日本)の法によるものとする同法20条に該当する。

 (中略)

従前の法例の上記関係条項(11条1項-引用者注)は,……国際社会の実情に合わず不合理性が顕著になっていたことにかんがみれば,不備を抱えた従前の法例をそのまま本件に適用することは,著しく不適切であり社会正義に反する。
 よって,本件については,法例33条の公序による外国法適用の排除に規定及び法適用に関する条理により,アルゼンチン法でなく日本法を適用すべきである。

 これは,どういうふうに理解すればよろしいのでしょうか??? 「不備を抱えた」法例11条1項「をそのまま本件に適用することは」できないとすると,いったいどの規定から何法が導かれるのでしょうか? という疑問を抱えつつ次の段落に移ると,「不備を抱えた従前の法例」の一部である「法例33条」が出てくるので,ますます訳が分からなくなります。
 善解すると,おそらく,法例11条1項からアルゼンチン法が出てくるのだが,そういうことは「著しく不適切であり社会正義に反する」ので,法例33条によりその適用が排除されるという意味なのでしょう。
 しかしながら,公序則の発動要件に即した主張でもなく,とても解釈論とは言えないと思います。判決に一蹴されているのは,無理もありません(但し,Xらの主張が正確に判決文で整理されているとは限りませんので,ご注意ください)。

 次に,この点についてのYの主張。

 ア 不法行為責任について
  (ア) 本件事故は,アルゼンチンにおいて発生した事故であるから,準拠法は,不法行為地法であるアルゼンチン法である。

 (中略)

  (ウ) 通則法施行以前に適用されていた法例においても,33条に,外国法の適用が公序良俗に反する場合には外国法を適用しないとの規定があったが,本件と同様の事例でそのような認定をされたものはない。

 これまた,少し驚きました。(ウ)における「同様」というのがどの程度のことを指すのかにもよりますが,国外での日本人間の自動車同乗事故という程度であれば,岡山地判平成12年1月25日交通民集33巻1号 157頁があります。この事件では,準拠法は事故地であるサウスダコタ州法だとしつつ,被害者の両親固有の慰謝料・弁護士費用・遅延損害金についてはサウスダコタ州法の適用を公序違反としています(但し,このように公序則を乱発するのは準拠外国法の内容をできるだけ尊重する国際私法の基本に照らしておかしいのであって,最初から準拠法を日本法とすべきであったことは,拙稿〔判批〕ジュリスト1226号(2002年) 115頁で述べたとおりです)。
 そもそも,(ア)が疑問です。本件は,たかだか1週間程度アルゼンチンに滞在していたところで発生した事故であって,当事者の事情を含めた事案全体を考えれば,最密接関係地は明らかに日本です。そうだとすると,カナダへの1週間程度のスキーツアーの3日目に発生した接触事故につき「原因事実発生地法」(法例11条1項)を日本法だとした千葉地判平成9年7月24日判時1639号86頁が想起されるべきです(日本法を導く理由づけの一部に妙な理屈が紛れていますが,重要部分には賛成できます。拙稿〔判批〕ジュリスト1155号(1999年) 281頁。さらに,石黒一憲『国際私法 第2版』(新世社・2007年)352頁参照)。

 このYの主張を受けて,代理人と同期の裁判官は,まず次のように判示しています。

法例11条1項によれば,本件においては,不法行為地法であるアルゼンチン法が準拠法となる。

 これが疑問であることは,直前に書いたのと同様です。しかしながら,判決にはさらに大きな問題があります。「三 争点(4)(損害)について」の次の部分です。

 (3) そこで,以下,上記アルゼンチン民法の規定に基づいてXらの損害を算定することとなるところ,Yは,その算定に当たり,アルゼンチンにおける損害賠償に関する法令,考え方,裁判例等に基づいて行うことになる旨主張する。
 しかしながら,損害賠償の算定が,上記アルゼンチン民法の規定に基づいて行われなければならないことは当然であるが,同法の規定を前提としつつ,具体的にどのように損害を算定するかは,法解釈の問題であって,準拠法の問題とは異なるものであるから,当裁判所の行う損害の算定が,アルゼンチンにおいて一般的とされる考え方や同国における裁判例等に拘束されるものではない。

(下線は,判例時報では縦書きのため傍線)
 「具体的にどのように損害を算定するかは,法解釈の問題であって,準拠法の問題とは異なる」とされるのですが,意味不明です。「法解釈」というと,法例により導かれた「準拠法」の解釈も必要なのであって,Yの主張する立場が通説です。
 善解すると,「具体的にどのように損害を算定するか」の問題を(実体問題ではなく)「手続問題」と性質決定して法廷地法による裁判官の裁量を根拠づける有力説(例えば,石黒一憲『国際私法〔新版〕』(有斐閣プリマ・1990年)96頁)に沿ったもののようでもあります。しかし,仮にそうであるなら,つまみ食いではなく,最密接関係原則という基本に忠実であるところまで見習って,始めから不法行為の準拠法を日本法とすべきだったのではないでしょうか!(アルゼンチン法を一旦は準拠法とすることが,いったい誰の利益になったのでしょう???)

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2008年9月 8日 (月)

中国人夫婦の離婚の方法

 家族法については,相変わらず苦手ではあるのですが,興味深い裁判例が登場していることを知りましたので,少し書きます。

 離婚の準拠法について講義する際には,国際私法判例百選 [新法対応補正版] 54事件(高松高判平成5年10月18日判タ 834号 215頁)を具体例として採り上げています。
 これは,日本に居住する中国人夫婦の協議離婚の事例で,法例16条(現・法の適用に関する通則法27条)により導かれる離婚準拠法=中国法における「登記機関に出頭し離婚登記を申請すること」という要件を「方式」と解して,日本法上の離婚届けによりその要件は充たされていると判示したものです。

 ところが,同百選 111頁の小山昇解説で説明されているように,中国法では,「双方は婚姻登記機関に出頭して離婚を申請しなければならず,婚姻登記機関は,双方が確かに自由意思に基づいていること,かつ,子及び財産問題に対して既に適切な処理を行っていることが調査により明らかなときは,」離婚証を発給するとのこと。
 婚姻登記機関が上記のようないわば後見的な役割を果たすのだとすると,これを(通説の用いる意味における)離婚の単なる外形,すなわち「方式」と解することはできず,離婚の方法=実質的要件として,中国人夫婦は,(役所でなく)家裁(か,在日中国大使館)で手続を進める必要があるのではないかという疑問が生じるのですが・・・,というような話を,講義で10年来し続けています(但し,小山解説で引用されているように,上記の要件が中国国民が中国国内で協議離婚をしようとする場合にのみかかるのだとすれば,日本国内ではそんな面倒なことはしなくてよくなりますが,と付言もしています)。

 そうしたところ,最近拝読した,渡辺惺之「渉外家事事件判例評釈(1)」戸籍時報 630号(2008年)2頁がその対象とする,大阪家判平成19年9月10日判例集未登載が,前述したような立場を採ったようです。すなわち,上記の要件は,「婚姻登記機関が協議離婚の有効性を実質的に判断するものであり,協議離婚の実質的成立要件といえるもので単に協議離婚の方式に当たるものとはいえない。」と判示しています。
 これに対して,渡辺・前掲6-7頁は,上記の要件につき「婚姻登記機関が出頭した双方当事者にその場で離婚意思についても確認する制度趣旨と考えられる。」としたうえで,「意思の存否を認定する方法は手続の問題であり,基本的には方式の範疇に属する。」として,この判決を批判しています。

 しかしながら,中国法は,離婚意思の確認について実質審査をしているようですから,日本の役所の形式審査では中国法の趣旨を実現したことにはならないと思われますし,それだけでなくて,「子及び財産問題に対して既に適切な処理を行っていること」の調査もするということですから,なおさら日中の差は大きいように思われます。
 そもそも,「方式」について行為地法との選択的適用を認めるのは,実質の準拠法の要求する外形を行為地では実現できないときに,その不便を軽減するための方便であって,最密接関係(地)法である実質の準拠法の要求は,極力実現するべきものです。日本に居住する中国人夫婦については,(役所でなく)家裁を利用してもらえばよいのではないのでしょうか?
(中国法が国外の協議離婚についても同様に考えているのかという点は,別問題として残っていますけれども。)

 なかなか理論的にも面白い問題ですので,このあたりに強い方が深く追求してくださることを期待しています。

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2008年5月20日 (火)

本国法の絞込みの体系的位置

 今月末には,また「教育方法研究会」があります。
 学部の授業であれば,判例や通説を説明し,それがおかしいと思われる場合には,基本に遡って自説をかなり自由に展開することができます。これに対して,ローの授業ですと,判例や通説の筋に沿ってかなり細かく検討していきますので,問題点だらけになってストレスがたまります(例えば,前々回に書いた「夫婦共同養子縁組」の処理など,ちょっと解釈を工夫すればスッキリした議論になるのに(!),という腹立たしい気持ちを抑えて授業しています。民法などと比較すれば,大した解釈論でもないのですけどね)。こんなこと,いつまでやるのでしょう・・・

 ところで,去る11日(日),中京大学で国際私法学会がありました。開催校の準備も周到で,なかなかよい学会であったと思います。
 「国際裁判管轄立法に向けて(その1)」と題するシンポでは,多田望熊本大学教授のご報告が,特に充実したものでした(一般に知られている方が優れた研究者ということでは必ずしもないわけで,このような実力のある方にもっと活躍の場が与えられて然るべきだと思います)。
 シンポの中盤までは,判例法である「特段の事情」論に対する反情が見え隠れしていましたが,終盤には,結局「当事者間の公平,裁判の適正・迅速」という理念に照らして個別の事案ごとに妥当な結論を導いていかざるを得ないのではないかという雰囲気になったように思います。
 ただ,最終盤に,「特段の事情」に関する明文の規定を置くべきではないとか,「特段の事情」の判断を行う場面を例外条項(通則法20条)的に制限すべきであるという意見が出ていましたし,予断を許さない状況だと認識すべきなのかもしれません。

 私は,ここでも,立法には消極的です。細かい規定を設けたところで,結局は各条文の文言の解釈が必要になり,それをめぐって新たな争いが生じるだけではないでしょうか? 国際裁判管轄の判断は日本の裁判所で裁判をするかしないかという二者択一にすぎないわけで,民訴の規定を使って逆推知的に外縁を広めに設定し,「特段の事情」で適切に絞るという現在の実務に,特に問題を感じません。
 むしろ従来の裁判例における「特段の事情」判断の内容を整理する作業の方が重要だと思います(既に,廣江論文が出ていますが)。

 そもそもを言えば,ここのところ立法論に振り回されて,解釈論がどんどん痩せていくのが気になります。国際私法学会でも,昔は若手の個別報告が結構あり,内容には視野の狭さ故の問題がありましたが,若手を育てていこうという雰囲気を感じたものでした。
 このまま解釈論が痩せていけば,そのうち,学者は多すぎる,なんてことになりかねないでしょうね。実際,通則法制定過程においては,それに関わっていない学者は「駒」のような扱いでしたので(今でも同じでしょうか?)。

 さて,今回は,不統一法国の国籍をもつ者の「本国法」の決定について面白いことに気が付きましたので,それを書いておきます。

 道垣内正人教授の業績の1つと考えられるものとして,準拠法の決定・適用について「4つのプロセス」に整理できるとされたことがあると思います(国際私法入門の第6版ですと,17頁以下)。これに,アルマも追随しています(28頁以下。但し,「おおむね」(30頁)とやや慎重ではありますが)。これは,受験生にも(分かりやすさのために)好評なのであろうと思われます。

 ところで,この「4つのプロセス論」においては,前々回に触れた不統一法国の国籍をもつ者の「本国法」の決定は,第3プロセス(準拠法の特定)に位置づけられています(入門38頁以下。特に,道垣内正人『ポイント国際私法総論(第2版)』(有斐閣・2007年)37頁の図2が視覚的に分かりやすい)。これは,「相続」などでは極めて図式的に上手くいきます。
 ところが,O法科大学院の学生から出たという鋭い疑問を耳にしたのですが,・・・
 その疑問とは,当事者の同一本国法を適用すべき場合(婚姻の一般的効力の通則法25条,親子間の法律関係の同32条)においては,第2プロセス(連結点の確定)で「本国法」が出てくるので通説によれば第3プロセスに進んでその絞り込みをしますが,その後で第2プロセスに戻って「同一であるとき」に当たるかの判断をしていることになるのではないか,というものです(千葉の学生からも以前出たかもしれませんが,鮮明に問題意識に上ったのは今度が初めてであるように思います)。

 これは,まさに当たっていると思います。そして,「同一であるとき」の判断を先行させようとすると,興味深い(そして,私には通説よりもはるかに国際私法の基本に忠実だと思われる)結論が得られることに気が付きました。
 「4つのプロセス論」に従って,なおかつ第2プロセスは当然(!)第3プロセスの前に完結すると考えると,25条や32条の「本国法」は,(その人が国籍を有する国という「本国」の通常の語義に従って)日本法や米国法といった<国レベル>のものでしかあり得ません。そして,これが「同一であるとき」に当たると,「本国法」によることが決まります。この第2プロセスで出てきた「本国法」が不統一法国法である場合に,初めて第3プロセスが必要になり,「本国法」が具体的にその国の中のどの法かを決めることになります。

 このような処理の仕方は,通説と比べて,かなり常識的なものになります。

 具体的には,例えば,横浜地判平成3年10月31日家月44巻12号 105頁(渉外判例百選(第3版)6事件)では,1960年にアリゾナ州で帰化した米国籍を有する夫と73年に婚姻し80年にメリーランド州で帰化した米国籍を有する妻(いずれも元日本人)の離婚が問題となり,裁判所は,夫の本国法をアリゾナ州法,妻の本国法をメリーランド州法と判断し,同一本国法なしとして,同一常居所地法たる日本法を適用しました。この結論は,裁判所にとっては,日本法を適用すれば足りることになって好ましいのでしょう。
 しかしながら,夫婦が同じ国の国籍を有しているにもかかわらず,その国の(いずれかの)法を準拠法としないのは,常識に反しないでしょうか? これを上記のように考えると,第2プロセスから「米国法」が同一本国法として出てきて,しかし米国は地域的不統一法国なので第3プロセスが必要になり,おそらくはメリーランド州法を適用すべきことになったのではないかと思われます。

 あるいは,東京地判平成2年12月7日判時1424号84頁(国際私法判例百選 [新法対応補正版] 8事件)では,日本人妻と単身帰国してしまったインドネシア人夫(イスラム教徒)との間に3人の娘(インドネシア国籍・特定の宗教なし)がいて,(夫婦の離婚と)娘たちの親権者の指定が問題になり,夫の宗教と子の宗教は同じでなく同一本国法なしとして,子の常居所地法たる日本法を適用しました。この結論も,裁判所にとっては,日本法を適用すれば足りることになって好ましいのでしょう(さらに,母が日本人であることから,父母両系血統主義に改正された現在の(国籍法の)目から見ると,日本に残った母と子にとっての最密接関係地法たる日本法によることになって,その意味で妥当な印象もなくはありませんが,それは別の話でしょう)。
 しかしながら,父子が同じ国の国籍を有しているにもかかわらず,その国の(いずれかの)法を準拠法としないのは,常識に反しないでしょうか? これを上記のように考えると,第2プロセスから「インドネシア法」が同一本国法として出てきて,しかしインドネシアは人的不統一法国なので第3プロセスが必要になり,インドネシアの関係規定を自然に適用できることになります。

 地域的不統一法国との関係で言えば,まさか日本が米国の州と同じレベルであるはずがないではないか(!)と思いますが。。。あるいは,属国日本は,大統領の選挙権があるわけでもなく,現実には<州レベル以下>なのかもしれませんが・・・

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2008年5月 5日 (月)

夫婦共同養子縁組と公序

 今日は「こどもの日」ということで,親子関係から「夫婦共同養子縁組と公序」について書いておきます。

 宇都宮家審平成19年7月20日家月59巻12号 106頁は,裁判要旨として以下のようにまとめられている事例です。
 「イラン人夫と日本人妻がイラン人未成年者との養子縁組の許可を求めた事案において,養子縁組を認めていないイラン人夫の本国法を適用することは我が国の公の秩序に適合しないというべきであるから,法の適用に関する通則法42条により,その適用を否定するのが相当である。」

 いずれ遠からず,このへんに関心の強い方が正確な評釈をお書きになるでしょうが,私にもいくつか疑問を感じる点がありますので,自分の視点で少し書かせていただきます。

(1)先に,細かい点から。
 養子縁組は,「養親となるべき者の本国法による」のに加えて,-養子となるべき者の保護のために-「養子となるべき者の本国法」上の一定の「要件をも備えなければならない。」(通則法31条1項)のですが・・・
 この「養子となるべき者の本国法」を決める際に,宇都宮家裁は,「イランは宗教により身分法を異にする人的不統一法国であり,その所属する宗教いかんによって当該イラン人の本国法を決定しなければならないと解されるところ,……未成年者の所属する宗教はいまだ決まっていないことが認められるから,……未成年者の本国法は,イランの規則に従い指定される法がないため,未成年者に最も密接な関係がある日本法であると解される(通則法40条1項前段,後段参照)。」と判示しています。

 しかしながら,最も問題のある点のみ示しますと,・・・
 同条1項かっこ書きは人的不統一法国の国籍を有する者につきその人的不統一法国のいかなる法を「本国法」とするかを決めるための規定であって,その枠を取り払って無限定に最密接関係法を決めるものではありませんから,ここから「日本法」が導かれることはあり得ないはずです。
 ここから先は「養子の本国法上養子制度がない場合の扱い」の問題になる可能性もありますが,この問題については争いがあります。その点の検討が厄介だと考えたのか,いずれにしても,この部分の判示からは(次の問題とともに)「日本法」のみで処理したいという裁判所の強い意向を感じます。本件においては日本が最密接関係地だと解されますので,心情的には理解できないでもありません。

(2)次に,本題です。
 宇都宮家裁は,次のように判示して,公序則を発動しています。
 通則法31条1項により,「申立人B(イラン人夫-引用者注)と未成年者との関係においては,専らイラン法が適用されることになる。」
 「申立人Bはイスラム教徒であ……るから,申立人Bの本国法はイスラム法であ」る。
 「イスラム法においては,養子縁組は認められていないので,申立人Bと未成年者との関係においては,イスラム法の適用により,本件養子縁組は認められないことになるところ,このような結果は,日本法を適用した結果とは異なることが明らかである上,申立人夫婦が,前記認定のとおり,双方とも○○で,今後も未成年者と共に日本で生活し,将来は(略)する予定であること,及び申立人夫婦が,どちらかが単独で未成年者の養親となれればよいと考えているのではなく,あくまでも共に未成年者の養父母となることを望んでいることを考慮すると,申立人Bと未成年者との関係において,イスラム法の適用により,本件養子縁組を認めないものとするのは不当であるといわざるを得ない。
 したがって,本件養子縁組の可否に関しては,申立人Bと未成年者との関係においてイスラム法を適用することは,我が国の公の秩序に適合しないものというべきであるから,通則法42条により,その適用を否定するのが相当である。」

 「不当」という表現が<不適切>でドキッとしますが,夫婦共同養子縁組を許可した結論には賛成です。
 「申立人夫婦が,どちらかが単独で未成年者の養親となれればよいと考えているのではなく,あくまでも共に未成年者の養父母となることを望んでいることを考慮」という部分は,同様の事案において,日本人妻とパキスタン人未成年者の単独縁組を許可した東京家審平成15年3月25日判例集未登載日本民法795条との関係で問題があると思いますが)に対する評釈(大村芳昭・ジュリスト1267号(2004年)211頁)が強く影響していると思います(実際,前掲家月110-111頁に編注として掲げられた8点の参考文献のうち特に3点が大村教授のものです)。
 許可するのが単独縁組というのはいかにも不自然で,その意味では一歩前進ですし,喜ばしく思います(受験生は,ここまで理解できていれば十分です)。

 ただ,イスラム法の適用を公序違反とするのは,(それがイスラム法の内容を糾弾するものではないことは国際私法の専門家にとっては基本的な知識に属することですが)できれば避けたいところではないでしょうか(かつて,韓国法の適用を公序違反とした最判昭和52年3月31日民集31巻2号365頁をめぐって,問題が生じたことがあったのですよね。私は,リアルタイムには知らないのですが。石黒一憲『国際私法(第2版)』(新世社・2007年)78-80頁参照)?
 また,同じく養子縁組については,養子を1名と限定する中国法の適用を公序違反とした神戸家審平成7年5月10日家月47巻12号58頁(国際私法判例百選 [新法対応補正版] 10事件)もありますが,これについても同様の感想をもちます。

 なぜ公序則を発動しなければならなくなるかというと,それを発動するだけの日本との関係が深い事案なのに,異国籍の夫婦を分断して,それぞれの養子縁組につき各養親の本国法を適用しようとするからです。確かに,通則法31条1項の文理解釈としては,そうなるでしょう。
 しかしながら,養親の本国法=最密接関係(地)法を準拠法とする趣旨から考えれば,夫婦がそろって養子を迎えようとしているのですから,養親夫婦の最密接関係(地)法=夫婦の一般的効力の準拠法と解釈すべきではないでしょうか(ほかにも,通説の処理には問題があります。詳しくは拙稿「夫婦関係にある者による養子縁組の準拠法と夫婦の一体性の利益」千葉大学法学論集19巻3号(2004年)49頁,簡単には前掲百選64事件拙稿解説を参照)!?
 虚心に関係の裁判例を眺めてみれば,日本が最密接関係地となっている事例が多数あるところ(前掲拙稿論文81-83頁注29参照),一方の養親が外国人であるばかりに当該外国法をも適用したり公序違反としたりしているのは,私からすると,無益な仕事をしているように見えるのですが・・・

 まあ,「心」ある人が多く法曹になってくれることを,祈るのみです。

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2008年4月29日 (火)

配分的適用と一方要件・双方要件

 ローの「国際私法」については,新3年生の履修者が13名となり,うちの規模からしてやや多すぎる状況が続いています。ただ,後期の「国際私法基礎」については,前期の履修登録状況からすると半減する可能性もあり,みっちり国際私法の勉強ができますし,それなりに研究時間を確保できる可能性も出てきました。

 ところで,授業では当然,狭義の国際私法が中心になりますが,親族法については数年前に養子縁組の準拠法を多少詳しく勉強しただけなので,苦手意識が抜けません。ただ,非常に強く引っ掛かっていて授業で採り上げている点があり(ポイント国際私法各論の第2版が出てから書こうかと思っていましたが,ここ半年は出ないとの情報ですので),以下ちょっと書いてみます〔一般の方がご覧になることも考えられなくはないので,同業者なら誤解しないで読んでもらえるであろう部分に手を入れました(5月13日(火)追記)〕

 婚姻の実質的成立要件については,配分的適用主義が採られています(法の適用に関する通則法24条1項)。この実質的成立要件は,当事者の一方のみに関する一方要件と,相手方との関係で問題となる双方要件に分けられています。この両者の区別については,ア.国際私法の次元で行う説と,イ.準拠実質法の規定の解釈問題だとする(各本国法の規定に委ねる)説との間で大きな対立があります(この2つのほかに,ウ.24条1項は-配分的適用という文理を離れて双方の本国法の完全な累積適用を規定していると解する新説もありますが,この立論の前提となる通説理解に疑問があることは後述します)。
 このア説とイ説のそれぞれの根拠と問題点といったことは,学部レベルないし「基礎」レベルの問題ですが,「基本」と言ったらこのレベルでしょう。ただ,この先が面白いので,話を進めます。

 ア説によると,一方要件に関する場合には「一方の当事者の本国法により」,双方要件に関する場合には「各当事者の本国法によるものと解すべきである……。双面的婚姻障碍に関する要件については双方の当事者の本国法を適用することになり累積的適用と変わらないことになるとしても,それは法例13条(通則法24条-引用者注(以下同じ))1項の配分的適用の本旨に反するものではない……。」(山田鐐一『国際私法(第3版)』(有斐閣・2004年)405頁。なお,溜池良夫『国際私法講義〔第3版〕』(有斐閣・2005年)422頁は,「双面的要件については,その要件が双方の当事者について問題となることから,配分的適用主義のもとにおいても,結局は当事者双方の本国法によらなければならず,結果的に累積的適用と同じになる。」とのみ述べています。以上,下線は引用者)

 このア説を,ウ説は,「婚姻の実質的成立要件を三分し,男性に係る要件はその男性の本国法により,女性に係る要件はその女性の本国法による。そして,双方に係る要件は男性の本国法及び女性の本国法の双方を満たさなければならない。」という見解だと理解します(道垣内正人『ポイント国際私法各論』(有斐閣・2000年)64頁)。
 そして,-最も難しい-待婚期間(再婚禁止期間)に関する規定を例に採って,「ある日本人男性Xが離婚後9カ月経過したA国人女性Yと婚姻するというケースについて」,日本法及びA国法の関係規定につき「①自国法の待婚期間の規定は,女性が自国民のときだけ適用されるというもの ②自国の待婚期間の規定は,男性が自国民のときだけ適用されるというもの ③自国の待婚期間の規定は,男性が自国民であるときも,女性が自国民であるときも,何れにも適用されるというもの」の3つの可能性があるが,これらは「国際私法の一部を構成すべき適用範囲に関するルールである」とされ,イ説を一蹴します(道垣内・前掲66頁)。
 そのうえで,返す刀で,上記のように理解したア説は単位法律関係を3つに分けていることになるが解釈論としては無理であるとされて,全面的累積適用説を導かれます(道垣内・前掲67-69頁)。

 上記で引用したウ説の第2段落の部分は,待婚期間を例に,自国法の射程という観点から3つの可能性を示しておられ,なるほどそういう理解もできるかと感心するところがあります。ただ,このような観点が国際私法に吸収されるという見方には異論がありますし,自国法の射程という観点からの整理が論理必然というわけでもないと思います(ウ説支持に回った人がおられるでしょうか?)。

 そこで,以下では,ア説を前提に,同じく再婚禁止期間を例に採って説明を試みます。

 上記のケースで,日本人男性Xが充たすべきはあくまで日本法のみです。他方,A国人女性Yが充たすべきはあくまでA国法のみです。24条1項は,あくまで配分的適用ですから。
 で,ア説は準拠実質法上の婚姻の実質的成立要件のそれぞれが一方要件なのか双方要件なのかについて国際私法が決めてしまうという考え方ですので,例えば実質法上の再婚禁止期間について,①女性に係る要件,②男性に係る要件,③双方に係る要件の何れなのかを国際私法で決めてしまう必要があり,実際に争いがあります(山田・前掲408頁注9,溜池・前掲426頁参照。単位法律関係がどうのというレベルの話をしているのではないと思います)。
 日本民法733条1項を例に具体化しますと,①なら女性は「前婚の解消……の日から6箇月を経過した後でなければ,再婚をすることができない」,②なら〔前婚を解消等した女性と婚姻しようとする〕男性は〔その女性の〕前婚の解消等の日から6箇月経過した後でなければ〔その女性と婚姻〕できない,③なら①+②と,それぞれ以上のような規定と理解されることになります(道垣内・前掲66頁のA国法については,上記の「6箇月」を「10カ月」に変えてもらえばいいです)。

 この再婚禁止期間につき国際私法として双方要件と解する③の通説によりますと,上記のケースでは,日本人男性Xは日本法上の男性に係っている要件(前婚を解消等した女性と婚姻しようとする〕男性は〔その女性の〕前婚の解消等の日から6箇月経過した後でなければ〔その女性と婚姻〕できない)を充たし,A国人女性YはA国法上の女性に係っている要件(前婚の解消等の日から10カ月経過した後でなければ再婚できない)を充たさなければ婚姻は成立しません。
 上記の設例では「9カ月」ということですから,Xは日本法上の要件を充たしていますが,YはA国法上の要件を充たしていません。したがって,婚姻の成立に障碍ありということになります(1人では結婚できませんでしょう!?)。

 これは,「累積的適用と変わらない」「結果的に累積的適用と同じになる」のですが,厳密には累積適用とは言えないはずです。仮に累積なら,XYとも,日本法とA国法の両方の再婚禁止期間に関する規定をクリアしなければいけなくなって,XがA国法上の男性に係っている要件(〔前婚を解消等した女性と婚姻しようとする〕男性は〔その女性の〕前婚の解消等の日から10カ月経過した後でなければ〔その女性と婚姻〕できない)を充たしていないことも問題になってしまいます。しかし,Xに適用されるのはあくまでその本国法である日本法のみですから,この点は問題になりません。その意味で,ウ説の立論の前提となる通説理解は疑問です。

 以上から,ア説には,依然として相当の説得力があると思います。ただ,各国の実質法の多様性を尊重することを基本中の基本とする国際私法が,各国の実質法上のいろいろな実質的成立要件の趣旨を(実質法上の関係規定の趣旨を顧みることなく高い所から)決めてしまうということには,そもそものところで違和感を覚えます。
 その意味でイ説の方が筋が通っているように思いますが,ただ,日本民法の重婚禁止や再婚禁止期間でさえ,一方要件なのか双方要件なのかが判然としているとは言い難いように思われ,まして外国法上の実質的成立要件についてこの区別を把握するのは困難に思われますので,イ説には実用性の点で相当の弱点もあることになりますね。

 まあ,このへんに強い人間の言うことではありませんので,あくまで考えるネタに使っていただければ幸いです。私も,少しずつ勉強を続けます。

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2007年12月15日 (土)

性質決定-相続と物権:国私百選1事件

 あっという間に、今年もあと半月となりました。

 去る11日(火)の参議院法務委員会では、前川きよしげ委員(民主党)により、再び新司法試験問題漏洩疑惑が追及されたようです。さしあたり、下にリンクしておきます。

http://www.maekawa-kiyoshige.net/active.htm

 ところで、「国際私法基礎」の授業は、不法行為の後、債権譲渡などの三者間の関係についての規律を経て、家族法に入り、昨14日(金)に相続を終えました。来週から総論に戻ります。
 債権譲渡の対第三者効力の準拠法(通則法23条)については、このブログの開設当初からの最大の関心事であり、いろいろと書いてきましたので、もう再掲はしません。

 相続については、百選72事件と1事件が重要です。72事件については、(立場は異なりますが)大村解説に特に付け加えることはありません。
 これに対して、1事件については、百選解説をお読みになっても、何が何だかお分かりにならないのではないかと拝察します。授業ではやや詳しく説明しましたので、千葉の学生には最高裁判決の趣旨(さらに含意まで)がそれなりに正確に伝わったものと思います。学外で1事件に関心をおもちの方は、調査官解説でも結構ですし、そこに援用されている拙稿評釈にまで手を伸ばしていただければ、ある程度はご理解いただけるのではないかと思います。一言で言えば、国際私法と実質法のレベルの違いを十分に弁え、判決文を素直に読みましょう、ということに尽きます。

 以前、1事件解説につき、その文章に即して批判的検討を行ったことがありますので、再掲しておきます。

(以下、5月6日(日)「性質決定の一般論と個別問題-牴触法と実質法の峻別」から転載)
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 百選1事件解説は、2で、「国際私法自体説」が「通説」であること、その「具体的な基準」につき「現在では抵触規定の事項的適用範囲の画定問題であり、その解釈問題であると一般的に考えられている」ことを確認しています(5頁;以下同じ)。今回のテーマは、この一般論が1事件に登場する個別問題の処理に一貫性をもって適用されているのかを確認することにあります。
 では、3に進みましょう。

 まず本件の法的問題としては、裁判所は原審の判断を含めて、①共同相続人X1らが遺産を如何なる形態で承継しているか、また、遺産分割前に本件不動産の持分を処分できるか、②X1らがその台湾法を遵守せずに行った持分処分により不動産の権利移転の効果が生ずるか、であるとし、これらの法性決定が問題となるとする。
 (中略)
①を「相続」に含める理由として、「相続の効果」であるとするのみなので、なぜ①が相続の効果として法性決定されるかが明らかとはいえず、また②を「物権」に含める理由は相続人による持分の第三者への「処分に権利移転(物権変動)の効果が生ずるかどうか」(大内①・後掲174頁)という問題であるから(「物権問題に当たることは明らかである」〔大内②・後掲217頁〕)というにあり、いずれもトートロジーにすぎない。

 まず気が付くのは、大内①(大内俊身・ジュリ1050号(1994年)174頁)の引用と読める部分が、実は最高裁の判決文が引用されている部分の引用であることです。まあしかし、それは些細なことで、「トートロジー」かどうかはともかく、最高裁が準拠法判断につき理由らしい理由を述べていないのは確かです(なお、大内②は、同・曹時48巻1号(1996年)212頁です)。

もっとも②については、(中略)「結局のところ、解釈論(法律関係の性質決定)としては、国際私法上の利益較量にゆだねられるものというほかない」とする解説もあるので(大内②・後掲217頁)、あるいはそのような国際私法上の利益衡量があったのかもしれないが、その内容は結局のところ、「不動産所在地法の法秩序(具体的には取引の安全)を尊重すべきものとする」ことにつきるようであり、日本法を前提に「相続準拠法上の規定を遵守しないでされた処分を無効とするときは、著しく取引の安全を害することとなる」という判示を併せ考えると、相続との関係においても物権準拠法は取引の安全を目的として選択されているように読める。しかし、実際に取引の安全に資するか否かは、準拠実質法を見なければ分からない(後略)

 上記のうち、2つ目の引用部分は大内②217-218頁、3つ目の引用部分は最高裁判決の物権準拠法(日本法)の適用部分の理由づけの末尾です。これによると、この解説は、大内②に出てくる「(牴触法上の)取引の安全」と、最高裁判決に出てくる「(実質法上の)取引の安全」とを、「併せ考え」ていることになります。しかし、両者は、厳密に区別しなければなりません(後述します)。

翻って、相続の準拠法は財産権の移転については単に相続人間における内部関係にのみ及ぶのではなく、対世効も認めているのであり(早川③・後掲ジュリ1019号129頁参照)、取引の安全を相続法上も重視するのであれば、相続分割主義のような準拠法決定も可能であろう。したがって、②について取引の安全を基準として国際私法上の性質決定を行うことには無理がある。日本民法上の取引保護を強調することは、法廷地実質法による性質決定が行われたのではないかという疑いも生じさせかねない。

 早川③(早川眞一郎「国際的な相続・遺産管理の一断面(上)(下)-外国人の遺産たるわが国の不動産の取引をめぐって」ジュリ1019号126頁、1020号131頁(以上、1993年))の引用されている内容は、「相続準拠法の適用の結果として、……Bが遺産のうち甲不動産を相続した」場合、「Bが甲不動産を相続するという点は、相続関係者以外の第三者をも拘束するはずである」との点だと思われます。この点には、特に問題ありません(と言うより、石黒説との関係では、極めて重要です)。
 しかし、「相続分割主義」を引き合いに出されるのは、不動産と動産とで処理を分けることが取引の安全の見地から正当化されるのか疑問ですし、不動産相続については不動産所在地法によるのでは所在地ごとに相続関係が始めからバラバラに規律されることになって、極端にすぎませんか? また、仮に「相続分割主義のような準拠法決定も可能」であるとしても、だからと言って「無理がある」とまで言えるのでしょうか?
 そして、問題は、末尾の「疑い」です。実は、この解説が「実質法による性質決定」を行おうとしているのではないかという「疑い」をもってしまうのです(防衛機制としての「投影(投射)」です)。で、最後のあたりを見てみましょう。

②が「物権」に含まれるとする点には疑問がある。確かに一般的には処分権限のない者の処分の効力は、目的物が物権である場合には物権の問題ともみえるが、台湾法のようにそれを相続法秩序の重要な効果とし、その処分までも左右することはありうるのであり(早川③……参照)

 上記の部分、本件の相続準拠法である台湾法を前提にしているのではないかという「疑い」が生じます。ただ、「台湾法のように」とありますから、「台湾法」という特定の実質法を前提にしているわけではないのでしょう。で、次。

また「相続」が遺産管理までも含むとする法例旧25条の考え方からすれば、取引の安全から「物権」とすることには無理がある。「相続」は元来取引の安全を考えないで、財産権の法定かつ包括的な移転を考えており、相続法秩序の貫徹のため敢えて取引秩序を犠牲にすることも考えられるのであり、

 「相続法秩序の貫徹のため敢えて取引秩序を犠牲にすることも考えられる」というのは、一国の法体系の中でなら正しいと思います(例えば、日本民法だと、1013条)。しかし、ここでの問題は、「取引秩序」をどこの法律で考えるかです。

しかも取引の対象は単なる不動産の共有持分であるのではなく渉外的な「遺産分割前の相続持分」であることが明白であるから(ちなみに、被相続人から生前一部不動産を買い受けた者があり、その有効性が争われている。遺産の処分についても相続持分であることを知っている以上、取引の安全をいえる立場にないはずである)、具体的な事案の解決としてもそれほど不当ではない(後略)

 これまでずっと、国際私法上の性質決定の議論をしてきたはずなのに、「具体的な事案の解決」というのが出てきます。これは、問題ではないですか。仮に譲渡の対象が台湾人を被相続人とする相続による「遺産分割前の相続持分」であることを譲受人が知っていたとしても、それを理由に(日本にある不動産上の相続持分の処分であるにもかかわらず)台湾法の適用を受けてしまうというのには、抵抗があります。
 実は、本判決を短く批評している解説者の基本書を見ますと、前記の「疑い」が強まってしまいます。引用しておきます。

その処分が権利移転の効果を有するかどうかは、目的物の所在地法(法例10条2項 [法適用通則法13条2項] )によるとして、共同相続人の処分権の制限についての公示方法もないから、日本法により処分は有効であるとした。性質決定により問題を解決するものであるが、これが相続法上の制限である以上、公示方法がないことは性質決定の基準とはならないであろう。

(以上、櫻田嘉章『国際私法〔第5版〕』(有斐閣・2006年)312-313頁)

 最高裁判決の判決文を、よく読んでください。最高裁は、「公示方法がないこと」を「性質決定の基準」にはしていません。「公示方法がないこと」は、物権準拠法である日本法の適用段階において、「(実質法上の)取引の安全」を図る理由づけの1つとして出てくるにすぎません。どうしてこのように読めてしまうのか、ここが最大の問題です!

 さて、今回は、最後に、「(牴触法上の)取引の安全」と「(実質法上の)取引の安全」の区別を確認して終わりにしましょう。後者は、民法などでおなじみのはずですね。
 前者につき端的に説明しているのは、百選(新法版)24事件(最判平成14年10月29日民集56巻8号1964頁)です。そこでは、「国際的取引に関与する者が自己の取引に影響を及ぼす可能性の大きい準拠法選択を明確に予測し、それに応じた対応をあらかじめとることができるようにすべきであるという要請……国際私法の観点からの取引の安全」と評されています。

 百選1事件に即して言いますと、仮に物権準拠法である日本法によっては譲受人の「(実質法上の)取引の安全」が保障されない場合であったとしても(準拠法の決定の段階では実質法の中身を見ていないのですから)、譲受人の「(牴触法上の)取引の安全」の見地から、②X1らがその台湾法を遵守せずに行った持分処分により不動産の権利移転の効果が生ずるかという点については(「相続」でなく)「物権」の問題と性質決定すべきだというのが、最高裁の考え方なのです。

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(以上、5月6日(日)「性質決定の一般論と個別問題-牴触法と実質法の峻別」から転載)

 上記転載部分の末尾で、「最高裁の考え方」として示した部分がやや説明不足で、疑問を寄せていただきましたので、コメント欄で多少のお答えはしました。そちらも、合わせてご参照いただければ幸いです。

 ところで、最後になりましたが、最近、他分野からは国際私法の中堅の実力者と目されているであろう方の論文が公表されました。これは誠に「傑作」であり、これを「絶賛」しないでは後世に顔向けできなくなるような気がしています。
 あと、残り半月ですねえ。

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2007年9月27日 (木)

河野俊行「債権譲渡」批判

 民商法雑誌で、今年に入り「特集・平成国際私法の発展と展望」というシリーズが組まれています。文字どおり、玉石混交です。
 読まれるべきものとしては、まず、中西康「国際親子法の展望」民商 135巻6号(2007年) 954頁でしょうか。個々のお立場への賛否はともかく、全体的な問題点の整理としては、流石ですねえ、という感じです。

 それから、私の問題関心からは、青木清「能力」民商 135巻6号(2007年) 915頁、 927頁が、「失踪宣告の直接的効果・間接的効果」の項目において、「今回の改正では、『失踪宣告の効果は、いずれの管轄原因に基づく場合も死亡の擬制という直接的効果にとどま」る「ことを前提としている』と説明されている。とはいえ、従来からの理解を変更しなければならない直接的な文言を、条文上、見つけることはできない。」と論じている点、全く同感です。
 この点、改正説明(立法関係者)の解釈能力の低さが如実に表れていると思われるところ、今年5月の第2回新司法試験の第1問設問1(2)でここが問われ、「出題の趣旨」において「法例第6条の解釈と異なり、通則法第6条においては、例外的管轄に基く場合も失踪宣告の効力は死亡の擬制という直接的効果にとどまるものと整理されている。まずこの点を踏まえた上で、婚姻の解消を婚姻の効力(第25条)又は離婚(第27条)のいずれかの問題と性質決定し、準拠法を導く論述が求められる。」とされています。立法関係者が出題委員にも入っていますので、解釈の押し付けは露骨です。
 ですが、授業ではその点にも配慮していますので(?)、「国際関係法(私法系)」の最高点は、千葉大LSの修了生です(皮肉な結果でしょうか?)。もっとも、改正作業については極めて批判的な私も、試験の採点については特に問題なさそうな感触を、現時点では得ています。
 ただ、出題は、(今回の方が一般には評価が高いのかもしれませんが)実践力を試す前回の方がよかったと個人的には思います(全体的に、出来は悪かったでしょうが・・・)。

 さて、今回採り上げるのは、河野俊行「債権譲渡」民商 136巻2号(2007年) 179頁です。河野教授には、国際倒産と物権と、これまで2度ほど私見を批判していただいているのですが、時機を失してそのままになっております。今回、また採り上げてくださったところ、しばらく債権譲渡について論文を書くことはないような気がしますので、ここに書いておきます。もっとも、このブログ、採り上げていただくほどの認知度は未だない。。。のかどうか?

 河野論文は、 188頁以下で「通則法23条の評価」として、「1 債務者住所地法主義維持説」「2 譲渡目的債権準拠法説」「3 譲渡者住所地法支持説」のそれぞれについて、検討を加えています(もちろん、河野教授は、3説です)。で、1説の批判的検討の中で、拙稿(森田博志「国際私法の現代化における法例10条・12条関連の改正作業の問題点」千葉大学法学論集20巻2号(2005年)93頁、 128頁、同「物権準拠法の決定と適用範囲に関する問題提起-『原因事実完成当時』を中心に-」国際私法年報8号(2007年)86頁、90頁)を採り上げていただいています。以下、その部分を引用します。

近時、譲渡目的債権準拠法に批判を加える形で、債務者住所地法の比較優位を主張する見解が主張されている。すなわち譲渡目的債権準拠法は常に明示的に指定されているとは限らず、その場合の準拠法如何の判断は容易ではない。また、債務者は二重弁済の危険に曝されており、債務者が、競合権利者の誰に弁済すべきかを判断するのに外国法を調べなければならない事態は回避されるべきであり、債権者側の都合で債務者が振り回されるのは不当である、とする。このうち、準拠法の判断の容易性という根拠については、債権が転々と流通する過程で債務者が住所変更した場合にも、はたして論者の言うように、債務者住所地法主義によれば準拠法判断が容易になされうるか(ママ)であろうか。少なくとも筆者には明らかではない。

(以上、河野論文 189頁)
 ざっとお読みになると、もっともだ、と思われる方も多そうですね。ところが、これ、拙稿が微妙に改変されているのです。上記引用の2~3行目の拙稿原文は、以下のとおりです。

対象債権の準拠法は、明示的に指定されているとは限らない。明示的に指定されていない場合には、その準拠法判断に法的評価が伴うのであり、その評価は債務者の住所地の判断よりはるかに難しい評価である。この難しさは、債務者自身にとっても大きいが、対象債権についての外部者たる第三者(譲受人や担保権者のみならず、差押債権者なども含まれる)にとって極めて大きい。

(以上、拙稿・千葉 128頁。同・年報90頁もほぼ同文)
 債務者の住所地がどこか、債権者側にとって判明し難い場合があることは百も承知のこの表現なのであって、「容易」とは言っていないのです。「難しさ」の程度が違うでしょ!と言っているのです。もっとも、(そうだとしても)違わない、と強弁されるのでしょうけれども(しかし、ズレはズレです)。
 で、次。

 とすれば、債務者住所地法主義を擁護するポイントは、債務者の二重弁済からの保護ということになろう。債務者のところに集まる情報を通して、複数の利害関係者の取り扱いを統一することが債務者住所地法主義の狙いの一つであるわけである。とするとここで想定されているのは、債務者が容易に特定可能であり、その顔が利害関係者に見えている事例である。典型的には銀行の預金債権がそれにあたる。加えて、銀行に複数の利害関係人が問い合わせるという事情は、この預金債権をめぐって複数の利害関係者が対立しており、預金債権者にはほかにめぼしい財産がないことを示唆する。この場合、銀行にとっては誰に払えば確実に免責されるかは重要であろう。その意味で、このような事例(債務者特定可能事例とする)に関して言えば、債務者の保護を中核にすえる議論は正鵠を得ている。

(以上、河野論文 189頁)
 「正鵠を得ている」と評していただいた以上は、ありがたくお受けしておけばよいのでしょう。しかしながら、森田説を引用して議論されている部分ですから、正確な森田説を評価なり批判なりしていただく方が気分がいいので申します。
 「債務者のところに集まる情報を通して、複数の利害関係者の取り扱いを統一することが債務者住所地法主義の狙いの一つ」とされていますが、これは民法的な議論の仕方であって、私はこれは採りません(野村説とは違います。牴触法と実質法の峻別!)。あくまで、最終的なターゲットであり債権譲渡にとっての局外者である債務者の住所地に全関係者の重心があると考える立場です(情報の集積は無関係!)。したがって、私見の射程は、「債務者特定可能事例」に限られません。
 しかし、前提について誤解されていますので、次のように批判されてしまいます。

 しかし、国際私法上の債権譲渡として、かかる債務者特定可能事例「のみ」を念頭において議論すべきかどうか。現実にはこれ以外の事例があり、たとえば利害関係人が問い合わせうる方法がわからないほど債務者が多数存在する場合(大量債権譲渡事例とする)がそれである。このような大量債権譲渡事例を扱う際には、債務者特定可能事例を念頭に置いた議論はストレートには当てはまらず、むしろ経済的合理性(費用と効率性)を検討してからでないと、債務者保護がすべてに優先する考慮かどうかは断言できないであろう。

(以上、河野論文 189- 190頁)
 出たー! 「経済的合理性(費用と効率性)」!
 集合的に考えて個別の債務者は切り捨てて考える。はっきり言って、私は、このような議論の仕方は大雑把だと思いますね。個別の債務者にそれぞれ焦点を当てて考えることを放棄しないのが法律学の真髄ではないのでしょうか? こういう議論の仕方をするから、法律学もいよいよ経済学の下僕に成り下がってしまうのですよ。私は、個々の法主体への眼差しは捨てませんよ!(「債権流動化」の議論が出てきたときの何となくの違和感の正体は、これだったのですね。)

 おや? 少し先走ってしまいましたね。でも、この後の、河野教授のお立場(上記の3説)からの議論(同論文 191頁以下)は、「大量債権譲渡事例=債権流動化」から押していくもので、お里が知れるといった風情です(以下は、もはや現物をお読みいただくのがよいと思います)。
 もしご本心が3説を採用する通則法の改正なのだとすると、それは逆に「大量債権譲渡事例」のみ(!)を念頭におくもので、前述の森田説批判はそのままご自分に跳ね返ることになりますし、「債務者特定可能事例」については拙稿の議論を「正鵠を得ている」と評価していたことと矛盾することにもなります。
 また、「大量債権譲渡事例」に限定して3説による特別法を作るとされるなら、稀有な事例かもしれないけれども、さて、同一の債権が「大量債権譲渡事例」と「債務者特定可能事例」の双方の形態で譲渡された場合の規律はどのようになるのでしょうか、と伺いたい気分です。
 債権流動化から出てきた議論(河野教授ご自身の02年のものも含む。拙稿・千葉 140頁注79、同・年報 101頁注24に掲げた一連の諸文献参照)から、一歩も進んでいないのではないでしょうか?

 まあしかし、法例12条の債務者住所地法から通則法23条の対象債権準拠法へと動いたのですから、債権者(譲渡人)住所地法まであと一押しということで、一連の方々の論考が続いて出てくるでしょうね。

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