教育

2009年11月 8日 (日)

教育と音楽,あるいは奨学金

 仕事がようやく一段落しましたので,久し振りに更新します。

 この間,ラトル指揮ベルリン・フィルのブラームス交響曲全集を聴き続けています。全く,飽きが来ません。
 ブラームス自体は今までそれほど好きだったわけでもないのですが,例えば交響曲第1番だと,ベートーヴェンの重たい影(重圧)に耐えて作曲したブラームスの葛藤の凄絶さを表現したと聞こえるバーンスタイン指揮ウィーン・フィルの演奏とか,勢いよく絞り出された圧倒的な充実の和音で始まる重厚なカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏とか,かつて聴き込んだ若干のCDがあります。それでも,あとしばらくは,ラトルの全集があれば十分かな,という感じです。

 ところで,先月から石黒先生のご好意によりゼミに参加させていただいているのですが,前回のゼミで,あるゼミ生に先生が「ベルリン・フィルやウィーン・フィルよりスゲエ!」と声をかけられ,そんなオーケストラがそうそう存在するわけがないし,いったい何のことなのかと思っていました。
 ゼミが終了すると,そのゼミ生が近寄ってこられ,私のブログを見て私がチャイコフスキーが好きだということで,あるオーケストラの演奏を紹介してくれました。そのオーケストラとは,

 シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

 NHK教育の芸術劇場で2月に放送されたこのオーケストラのことは,今まで全く存じませんでした。
 ベネズエラには,貧しい子供たちが犯罪や麻薬などに走らないよう,また非行少年の更生にも資する「エル・システマ」という国による音楽教育制度があるのだそうで,具体的には2歳半から無料で楽器の貸与を受けて音楽教育を受けることができ,全国各地のオーケストラに参加して,能力を開花し伸長させていくのだとか。それらのオーケストラの最高峰が,「シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ」というわけです。
 確かに,楽器の演奏が上達するために練習することだけでなく,オーケストラでは各人がきちんと弾くことに加えて全体との調和も考えないといけないので,非常によい教育になるのだと思われます。それに,高い芸術に触れ続けることは,人間としての成長をも促し続けてくれることになるでしょう。ということで,非常に興味深いシステムです。

 この青年オーケストラが昨08年12月に来日公演し,12月17日の分が芸術劇場で放送されて,これを観る機会をいただいたことになります。そして,半信半疑で見(聴き)始めたところ・・・

 最初は,ラヴェルの「ダフニスとクロエ第2組曲」で,まさに「夜明け」にふさわしくデリケートに始まり鳥たちがさえずり・・・,なかなかやるなあ,といった感じ。「無言劇」も美しい。そして,「全員の踊り」に至ると,内心でわくわくしながら楽しげに演奏しているのがこちらにも伝わり,しかし決して演奏が雑になることなく丁寧に抑え目に演奏しているので,かえってこちらの方がわくわくしてしまうといった感じ。

 メインは,チャイコフスキーの交響曲第5番。私は,チャイコフスキーの交響曲では,2・5・6番が好きで,5番もよく聴きます。
 で,この演奏の圧巻は,第1楽章から休みなく演奏された第2楽章でしょう。均質な,指揮者のグスターボ・ドゥダメルとオーケストラが心を一つにした演奏で,テンポを落としてじっくりと切々と歌い上げていて,この純粋な心の深さで私の中での評価は決定的なものになりました。

 こんなに音楽する喜びに満ち溢れた,熱い熱いコンサートに出会えることは,一生に何度もあるものではないでしょう。この日に東京芸術劇場に行かれた方は,最高に幸せだったですね,きっと。

------------------------

 話は換わって,米倉明先生が戸籍時報に連載されている「法科大学院雑記帳」は,示唆に富んでいるので,ほぼ毎月読んでいます。
 9月号については(気が向けば)別の機会に別のものと合わせて書くことにして,今回は10月号(646号)42頁の「(その56)おかねのない者は法曹になるな?」について,前半に書いたものと「教育」という点で関係しますので,ここに書きます。

 (今頃になってもフリードマンを引用されるのはどうかと思いますが,それはさておき)以下の問題意識から書かれています。

 法科大学院,新司法試験……,より広くは法曹養成制度のスキーム自体,および,それが果たしている機能を観察すると,「貧乏人は法曹になるな」,「悪いことはいわないから,貧乏人は法曹の道を諦めなさい」と,声には出さぬにしても,実質的には,声高に叫んでいるといえるような印象を,私は消すことができない。これは私だけの偏見のしからしめるところなのであろうか。

(米倉・前掲43頁)
 実は,私も同様の印象をもっています。
 で,47頁以下で掲げられている「貧乏人閉め出しのスキーム」の第一の「適性試験」から始めますと,これが法曹の適性をきちんと評価するのに適性のある試験であるという声を,少なくとも私は聞いたことがありません(費用対効果が,低過ぎやしませんか)。また,この点は,各法科大学院が入試で評価すれば足りる話ではないのでしょうか? そのように変えれば,受験生の経済的負担がそれだけ軽減するのは間違いありません。
 次に挙げられている,はるかに重要な点は,法科大学院に合格した後の,入学金・授業料・生活費です(同48頁)。法科大学院生には,実際にはアルバイトをしている余裕はないはずで,逆にアルバイトをしているようではおそらく新司法試験の合格レベルには達しないでしょう。そうしますと,国立の授業料でも年間約80万円かかるわけで,それに生活費や基本書・参考書代など考えると,学生当時の私だったら(一時期は法曹志望でもありましたが),最初からやはり法曹は諦めますね(2000人も合格するのなら,現役でなくても合格のチャンスはあったと思いますけれども)。
 さらには修習も来年から給与でなくなるという点(同49頁)で,これなど少なくとも当時の私にとってはダメ押しにしかなりません。

 対策としては,2つ目に「貧乏人に対するファイナンス,資金供与策」が検討されています(同51-52頁)。しかし,単なるファイナンスでは,法曹人口が急激に増えて就職難が現実化してきている現状では,一般の法曹にはそれほどの収入が期待できなくなってくる関係で,貧乏人にとっての敷居は大して低くならないのではないでしょうか? むしろ,奨学金制度を拡充して,一定の期間は返還を猶予し,その期間が経過した時点で一定の社会的貢献を果たしていると評価できる者については返還を免除するといった形にする必要があるのではないでしょうか。但し,具体的な基準をどうするかというのは,ちょっとすぐには思いつきません。いずれにしても,方向としては,そういう方向に進めていただくのがよいのではないでしょうか。

 有為の人材が埋もれてしまうような階層の固定化を図った面々には,もう退いていただきたいものです。

| | コメント (7) | トラックバック (0)