書籍・雑誌

2009年6月20日 (土)

国籍法とか,郵政集中審議-6月9日参院総務委質疑とか

 更新が,2か月以上滞ってしまいました。よく立ち寄ってくださる方々には,あるいはご心配をおかけしているかもしれません。
 実は,懸案になっていた重たい内容の論文を書いていまして,当分の間それに集中しますので,またしばらく更新が開くはずです(重たい内容の論文でなければ,論文を書く意味はない,と考えていますので,寡作になってしまい,それはそれで時世に合わないのですが・・・)。

 この間,千葉の学生たちは,着々と成果を挙げています。構内は,桜やつつじの季節が終わると,緑に覆われ,環境的には非常に恵まれていることを実感するこの頃です。

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 さて,5月10日(日)に国際私法学会がありましたが,若手の報告者のお一人が米国法にかぶれてしまっているようで,この期に及んでまだ米国金融モデルを前提にした法律から影響を受けてしまうのかと,淋しい思いがしました。
 午後の「ウィーン売買条約」のシンポでは,「国際物品売買契約に関する国際連合条約」の批准を推進した方がこれを積極評価していたのは当然ですが,それ以外の報告者および学会の大勢は,余計なことがなされてしまったという受けとめであったように思います。当事者の合意とそれで解決のつかないことは契約準拠法によるという現状に,不確定概念が多く規律対象も限られている上記条約が規範として加わってしまうので,任意規定である上記条約が確実に適用されないようにするためにはどのようにすればよいか,という外国の議論が紹介されたりしていました。
 実務では当面あまり使われないとしても,8月1日に発効する上記条約は,おそらく来年の新司法試験用六法には登載されてしまうでしょうから,仮に実務上は重要だと言えない状況であったとしても,数年に一度は出題されてしまうのでしょう,といった話をローの授業ではしています(出題のあり方として,好ましくないことですが・・・)。

 直後に新司法試験がありましたが,「国際関係法(私法系)」については,法科大学院協会のアンケートに以下のように回答しました。

a. 適切である
理由(理論・実践のバランスがとれ,受験生のレベルもよく考慮されているから)

 理由は簡潔に,ということでしたので,以上のようにしました。いずれ何か書くかもしれませんが,当面は学内でお話しするだけですね。私見によれば,過去4年の出題では,今回が最高で,以下,第1回,第2回と続き,(間がかなり開いて)前回は最悪(!)という評価です。

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 いろいろと面白そうな一般書も読んでいまして,時間があれば何か書きたいと思うかもしれませんが,そうもいきませんので,興味深いものを列挙するだけにします。

 ・日下公人『日本人の「覚悟」-「芯」を抜かれた人は退場せよ!』(祥伝社・2009年)
 ・矢野絢也『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』(講談社・2009年)
 ・平野貞夫『平成政治20年史』(幻冬舎新書・2008年)
 ・石塚健司『「特捜」崩壊 墜ちた最強捜査機関』(講談社・2009年)
 ・河井克行『前法務副大臣が明かす司法の崩壊 新任弁護士の大量発生が日本を蝕む』(PHP研究所・2008年)
 ・五十嵐仁『労働再規制-反転の構図を読みとく』(ちくま新書・2008年)
 ・東谷暁『日本経済の突破口 グローバリズムの呪縛から脱却せよ』(PHP研究所・2009年)
 ・西村幸祐責任編集『反日マスコミの真実2009』(オークラ出版・2009年)
 ・日本の前途と歴史教育を考える議員の会監修『南京の実相 国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった』(日新報道・2008年)

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 国籍法についても,触れておきます。

 前述した国際私法学会の会場で,大村芳昭教授から「生後認知による日本国籍の取得について」中央学院大学法学論叢22巻2号(2009年)1頁の抜き刷りを頂戴しました。
 最後(18頁以下)に国籍法改正のあり方について,「(1)子とわが国との密接な結び付き」「(2)親子関係の科学的証明」「(3)国籍取得の遡及効」「(4)法務大臣への届出」に分けて検討されています。国籍取得の遡及効を認めようとされるご見解については,認知の準拠法が日本法になるとは限らないこともあり,私は疑問に思います。しかし,他の3点については,私見(2009年4月15日(水)「国籍法一部改正その後ほか」の後半で簡単に記述)と大きくは違わないようです。

 大法廷判決当時の担当調査官である森英明氏が書かれた「認知と国籍について-国籍法3条1項に関する最高裁大法廷判決に関連して-」家裁月報61巻5号(2009年)1頁は,37-38頁に,「非嫡出子の国籍の取得に関する諸外国の法制」と題した別表を掲げています。欧州の13か国とトルコ,韓国について掲げられていますが,それを見ますと,(なぜ前記の15か国だけなのかという素朴な疑問を感じるのはさておき)オランダ(生後認知の場合には,「その後3年以上の父の監護養育の証明(未成年時)」を要求)や,スウェーデン・デンマーク(「国外で出生した場合は両親の婚姻(18歳未満,未婚時)」を要求)の例もあるのに,と相変わらず思います(2008年6月14日(土)「日本国籍の希薄化?-国籍法3条1項違憲大法廷判決(その2)」第3段落で触れました)。

 それから,Law&Practice 3号(2009年)という早大ローの紀要に,「憲法訴訟を考える-国籍法違憲訴訟を通して」という特集が組まれていて,近藤博徳「基調講演-原告代理人が語る本判決の意義と課題-」同1頁と,近藤博徳=木棚照一=戸松江二「鼎談-国籍法3条1項から見える『日本』-」同21頁を拝読しました。これまで国籍法に強い関心をもってこられた方々の感覚について,関心歴の浅い者として興味深く思いました。
 ところで,後者の56-57頁に,以下のような近藤弁護士の発言があります。

近藤:私は,判決が出た後に,何人かの国会議員や法務省の人とお会いして,どんな法律を作るのですか,改正をする時にはこういうふうにしてくださいと,いろいろなことを提案してきました。

 (中略)

 しかし,結論は,最高裁判決で判断された範囲での改正にとどめるということになりました。そして法改正についてどんな議論をしたかと言うと,実は何の議論もなかったのです。
 僕たちの様々な要望に対して,面会した国会議員の方々は,最高裁判決の限度の改正であれば,皆それほど抵抗なく,「最高裁が言うんだから仕方がないよね」と改正出来るが,判決以上のことを言い出すと,国籍や家族というものに対して特に意見を持つ人々がむくむくっと起きだしてきて,「いやいや,それはおかしい。」という議論が起きて,収拾がつかなくなる,だからそういうものは一切持ち出さずに,最高裁判決で判断された限度で,改正するということでした。
 法務省の担当者と会った時も,そのようなやりとりでした。今,質疑応答前の休み時間に,木棚さん,戸波さんと話しておりましたところ,先生方は,本来は,国籍法をどういうふうにするかについて,国民のコンセンサスがないといけない,ということを強調しておられたのですが,今回は全くそのようなコンセンサスはありません。議論の「ぎ」の字もないです。まさに,日本の政治の縮図というか,国会議員は,国籍によって決められる日本という国の在り方について何の関心もないのだな,ということをつくづくと感じました。

 ああ,やっぱりそうだったんですか,という感じですね。昨年末の改正への賛否はいずれであっても,国民はなめられたもんですねえ,と思います。
 実際に「最高裁判決の限度の改正」であったか,という点にも疑問があることは,2008年11月26日(水)「『国籍法3条1項等改正法』衆院法務委質疑(その2)」2009年4月15日(水)「国籍法一部改正その後ほか」等々に書きました。
 さらに,実は最高裁の政治性にも疑問があり,これについても書きたいところですが,以下の文献のみ引用しておきます。関心のある方は,ぜひお読みください。

 ・小田滋「光華寮訴訟顛末記-平成19年3月27日の最高裁第3小法廷判決について-」国際法外交雑誌107巻3号(2008年)397頁
 ・石黒一憲「『住友信託銀行 vs. UFJ事件』と“Sanctity of Contract”(契約の神聖さ)」財団法人トラスト60『国際商取引に伴う法的諸問題(15)』(2008年)101頁

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 さて,先週,鳩山邦夫総務大臣が辞任してしまいましたが,これで幕引きとなるでしょうか?
 その直前の9日(火),参議院総務委員会で郵政集中審議がありその会議録がネットで読めるようになっていますので,一部転載して今日は終わります。

(以下,09年6月9日参議院総務委員会会議録から一部転載)
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○長谷川憲正君 民主党・新緑風会・国民新・日本の長谷川憲正でございます。
 今日は、会派の皆さんの御理解と御協力をいただきまして、私が会派を代表して質問させていただくということになりました。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 今日は、予定表を見ていただきましてもお分かりのように、私、かなり長い時間をちょうだいをしておりまして、かなり掘り下げていろいろお聞きをしたいということがございまして、大臣、そして西川社長はもとよりでございますけれども、日本郵政株式会社の、まあ新聞等でも報道されておりますが、社長の続投問題等につきまして、先般、会社の中の指名委員会が方向を出されたということがございましたので、この指名委員会の委員長であります牛尾治朗さんにおいでをいただきたいということで先週からお願いをしたわけでございますけれども、御都合でおいでになれないと。また、これに代わる方ということで他の社外役員の方、この指名委員会にかかわられたお二人にもお尋ねをしたんですけれども、いずれも都合が付かないということでございました。
 そして、先般、かんぽの宿等の不動産の売却に絡みまして、日本郵政の中につくられましたいわゆる第三者検討委員会というものが報告書を出されましたけれども、この委員長の川端さんも御都合が付かないと。また、これに代わるお二人の委員の方についてもそれぞれ御都合が付かないということで、全員お断りでございまして、かつ、日本郵政の執行役で、今度のかんぽの宿の売却に関しましての一番の実行部隊といいますか、表で活躍しておられました伊藤執行役につきましても出席をお願いしたんですが、こちらは体調を崩したということでございますので、これはもう仕方がないと思いますが、先ほど申し上げました指名委員会の委員の方々、いわゆる第三者検討委員会の委員の方々、おいでをいただけなかったということについては甚だ残念でございます。
 今これだけ大きな話題になっておりますときに私どもの審議に御協力をいただけなかったということは、お忙しい方々ですから、それは事情が全く分からないということを申し上げるつもりはないんでありますけれども、御協力をいただけなかったということを大変に残念に思っておりまして、改めて機会がありましたら是非御出席をいただいて、この総務委員会の場あるいはそれ以外の場も国会の中ございますので、御意見をお聞きをしたいというふうに思っております。冒頭そのことを申し上げまして、質問に入らせていただきたいと思います。
 今日は、特に日本郵政の皆さん方にはたくさん参考人として御出席をいただきまして誠に申し訳なく思っております。私が本来考えておりましたのは、西川社長と横山さんと、そして伊藤さん、このお三方ということでありましたけれども、話が多岐にわたる可能性ありということで多くの方々に御出席をいただきましたこと、冒頭におわびを申し上げておきたいと思います。
 今日は郵政問題の集中審議ということになっております。これ、何で今ごろ郵政問題の集中なのかということは分かり切ったことでございまして、昨年の十二月二十六日以来のかんぽの宿の売却の問題、あるいは最近の新聞紙上でいっぱい出ておりますけれども、簡保の保険金の不払の問題、あるいは低料第三種という心身障害者の団体の皆さんが発行される郵便物、安く郵便で扱うわけでございますけれども、この制度を悪用した事件、こういったものがいっぱい出ておりまして、国民の不信が非常に高まっているというふうに思うわけでございますし、加えて、日通のペリカン便とゆうパックとの統合の問題でございますとか、本当にこれから先郵便事業の将来を考えたときに大丈夫なのかなというような問題もありますし、また、先ほど来申し上げました社長の株主総会以降の人事につきましてのいろいろ指摘がある中で、国民の関心が高まっておるわけでございますので、今日はここで各委員からいろんな問題が指摘をされると思いますけれども、公明正大に議論をして問題点を明らかにしていくということがとても大事だというふうに思っているわけでございます。
 そこで、最初に西川社長にお尋ねをしたいと思うのでございますが、この日本郵政の社長という仕事でございますけれども、一部の方々からは、これはもう日本郵政は民間会社になっているんだから大臣といえども口出しをすべきではないんだと、こういう意見があることはあるんですね。大方の方はそうは言っておられませんが、そういうことを言う方もいらっしゃる。西川社長御自身はどのように考えておられるか、お聞きをしたいと思います。
○参考人(西川善文君) お答え申し上げます。
 日本郵政は、申すまでもないことでございますが、ただいま政府一〇〇%出資の会社、株式会社ではございますが、株主構成はそういうことになっております。したがいまして、通常の民間会社のようなわけにはまいらない、そこのところは私も十分心得ているつもりでございます。
○長谷川憲正君 社長の御認識のとおりだと私も思うわけでありまして、政府が一〇〇%株を持っているそういう特別な会社、いわゆる特殊会社でありますから、民間の方々が株主であって株主の決めたとおりにやっていくという普通の民間会社とは違うわけでありまして、法律に基づいて設立をされた会社でございますし、その行使できる権限等についてはいろいろまた定めがありまして、それに対して、行政庁である総務大臣の監督の義務などもいろいろ記されているわけでありますから、株式会社という形態だけに着目して、これはもう経営者に任せておけばいいんだというような論法は私は成り立たないというふうにもちろん思っているわけでありますけれども、どうもこの民営化法そのものをお作りになった竹中平蔵さんが書いておられるものなんかを見ますと、政府が口出しをすべきでない、そして会社というのは経営者のものなんだということを書いているわけでありますが、私は学者でおられる竹中さんの御意見としてはもう甚だ理解しかねる。会社は株主のものですよね。そして、公的な役割を持ったものであれば、更に加えて従業員のものでもあり、何にも増して会社を利用される一般の利用客の皆さん方のものだというふうに私は思うわけでございますけれども。
 いずれにしても、公的性格の強い会社の人事ということでありますから、今日は指名委員会の皆さん方においでをいただけなかったんですけれども、どういう方が社長にふさわしいのかというようなことについては、それは当然指名委員会の中でもいろいろ御意見はあろうと思いますけれども、どうして株主である政府と事前にきちんと調整をされないのかなと。普通の株式会社であれば、株主からいろいろ意見があれば当然そこと調整をされる、そういったことが一切見えてこないというのは甚だ不思議に思うわけでございます。
 私、前に予算委員会の場でも申し上げたんで、繰り返しになりまして恐縮でございますが、この郵政関連の組織というのはどこの国にもあります。郵便やっていない国というのはないわけでございますから、どこにもあります。その場合に、経営形態は、アメリカのように国営でやる、今後とも国営でやるんだと明確に言っている国もあれば、フランスのように公社という国もありますし、そして日本が今なっているような株式会社という形の国もあります。しかしながら、株式会社になっている国でも国が一〇〇%株を持っているというのが常識でありまして、何のために持っているのかとわざわざ私、何遍か質問したことが外国に対してもあるわけですけれども、みんな同じ答えが返ってくる。それは、会社は、今は時代が変化が激しいですからいろんなことをその時々で考えて動いていかなきゃならぬ、それを法律で一々決めていたら自由な活動ができないから株式会社という形にするんだ、商法にのっとって自由に行動ができるようにするんだ、経営者に任せるんだ、しかしながら、事業そのものの目的は国家、公共のためのものだ、国民の福祉のためのものだという貴い目的があるんだから、国が一〇〇%株を持って、その目的どおりにきちんと経営者が仕事をするかどうかを監督して、駄目だったら首にするんだと。これがもう世界の常識なわけでありまして、そういう意味ではどこの会社でも株主が一番怖いんだと思いますが、こういう公的な組織でも、株主がどういう考えを持っているのかということをそんたくしながら、相談をしながら物事を進めていくというのが基本であります。
 現に、私が議員になります前に大使として駐在をしておりましたフィンランドという国で、国が五一%の株を持っている電話会社がございまして、日本のNTTのようなものでございますけれども、経営陣が新しい方針を出したところが、そんなことおかしいといって新聞等で随分たたかれまして、それを見ましたら、監督官庁であります通信大臣が臨時株主総会を要求いたしまして、自らがおいでになりまして会長、社長以下全員首を切ってしまったということがありまして、ああなるほど、国が一〇〇%株主である、あるいは過半数の株を持っているということは重たいものだなというのを身をもって私は体験をしてきたわけでございますけれども、どうも日本では、今回の日本郵政の社長のいわゆる続投と言われている問題をめぐっていろいろ面白おかしくいろんなところで議論されているわけですが、私は、人事の問題でございますし、これはもう西川社長の名誉にもかかわることでもございますから、本来であるなら、表でこんなごたごた議論をするのではなくて、政府の中できちんと調整をしていただくべき問題だというふうに本当は思っているんです。しかしながら、事ここに至っておりますので、今日はいろいろお尋ねをせざるを得ないというふうに考えております。
 なお、忘れないうちに申し上げておきますけれども、この問題に関しましては圧倒的に鳩山大臣に人気があるようでございます。別にごまをするつもりはございませんが、あるラジオ局の番組がありまして、鳩山総務大臣の言っていることを支持するかしないかというインターネットでアンケートをする番組がありまして、六月四日のことでございますけれども、結果を見ますと、二百七十一票対七十六票で支持するというのが支持しないを上回っていると。獲得率は七八%でございますので、世論の人たちは、そんなふうに世の中の人は見ているのかなというふうに感じているところであります。
 そこで、私、長話をいたしましたけれども、お尋ねをいたします。
 総務省にお尋ねをいたしますが、総務省は四月の三日に例の日本郵政から出されました段ボール箱十七箱の資料を点検をされまして、調査結果を報告をされました。と同時に、改善命令も出されているわけであります。改善命令につきましては今月中に報告を出すようにということになっていたと思いますが、私のお尋ねはそのことではございませんで、調査結果報告、これを読ましていただくと、実に詳細にこのかんぽの宿をめぐっての一連の事実が分析をしてあります。
 これを読みますと、少なくも私は、日本郵政は、言葉は悪いんですけれども、本当にでたらめなことをずっとおやりになったなというふうにしか思えないわけでありますが、この調査結果報告について、日本郵政からしかるべき釈明とか説明とか、その後求めていらっしゃるんでしょうか、あるいは今後求めることがあるんでしょうか。
○政府参考人(吉良裕臣君) この調査結果につきましては、これを改善命令という形で私たちは求めておりまして、それを踏まえて、改善命令に対する報告徴求の中でまたそこは聞くことになろうかというふうに思っております。
○長谷川憲正君 これは西川社長にお尋ねをいたしますが、この改善命令に対しての御報告、いつごろお出しになる御予定でしょうか。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 今月いっぱいということになっておりますが、私どもの方では精力的に準備を進めておりまして、今月中のできるだけ早い時期に御提出申し上げたいと思っております。
○長谷川憲正君 その際に、今総務省の方からもお話がありました十七箱の段ボールに関する調査結果報告、その中身、調査結果報告ということで出ておりますので、当然御覧をいただいていると思いますけれども、私は単なる改善措置、将来に向かって今度はこういうふうにいたしますよということだけではとても済まないというふうに思っておりまして、今までやったことについてこれは良かったのか悪かったのか、なぜそうなったのか、問題点をやっぱり明らかにしてその責任をきちんと出していかないことには前に進めないというふうに思っておるわけですけれども、そういった総括はその中でなさいますでしょうか。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 総務省からの調査結果、さらに私ども社内に設けました第三者検討委員会の結論もございますので、これらをきちんと踏まえて、そして反省すべきは反省するということも当然ながら加えまして、改善の方向についてのお答えを申し上げたいと思っております。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 日本郵政の第三者検討委員会の報告書というのは読ませていただいておりますが、これはしょせん内部の第三者委員会でございますから、当然中身はお手盛りになるわけでございまして、結論としては、いろいろ問題はあるが最終的には問題がないと、こういう書き方なので、これは内部の検討委員会ならばしようがないだろうと、こういうふうに思うわけですが。
 その後、我々が業務改善命令、監督上の命令でございますが、それに対してどう日本郵政あるいは郵政グループが答えるかということで、かなりやり取りが日本郵政と総務省の間であるようでございまして、一部のことについては全く、十六の問題点で指摘しても今のところ答える気配がないと。今までいろいろやり取りしている案を、いただいた案を見ますと、自分たちはこういう間違いを犯した、したがってこういう反省をしているという部分は一行も今のところ見当たりません。
○長谷川憲正君 今の大臣のお話を伺って、ああ、やっぱりそうだったかという実は感じなんですね。私もそのことを一番心配しているんです。
 この改善命令が出たときの総務省の扱いというのは、非常に温情ある扱いといいますか、私たちから見ますと、この中身を読むと、これはもう犯罪を犯したと、とんでもないことだというふうに事実上は書いてあるわけですよね。しかしながら、そのことの責任を問うのではなくて改善命令という形で柔らかく表に出された。そのすき間のところをどうやって実際は埋めていくのか。それは我々の義務でもあるし、恐らく日本郵政と総務省の間でいろいろおやりになっているのかなと。しかし、私たちが聞くところでは何かそういう話が進んでいるようにも思えないものですから、大変に心配をしていたわけですけれども、それは、西川社長に申し上げますけれども、是非おやりをいただかないと、国民の皆さん、これだけたくさん問題が出ている中で納得をされないと思うんですよ。
 私は、いろんな新聞の論調なんかも見させていただいていますけれども、今度の社長人事のことでも、政局がどうだとか政治的にどうだとかというようなことがいろいろ出ていますけれども、そんなことではなくて、これはあくまでも日本郵政という実業をやる会社の社長さんの人事でありますから、もっともっと客観、冷静にやればいいことであって、今までおやりになったことが適正であるということなら、もちろん続投を含めて、ほかにもっといい人がいるのかいないのかということを検討していただければいいわけでありまして、そうでなくて問題があるということであれば、そのことの責任を明らかにしていただくということだと思うんですね。
 もう一度総務大臣にお伺いをいたしますが、是非、総務省としてもリーダーシップを取っていただいて、きちんと両者の間の点検をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(鳩山邦夫君) よほど問題が深いと思ったから業務改善命令というものを出したわけで、まあちょっとしたことだというんだったら、ちょっと直せばいいというようなことは業務改善命令にはしないわけで、国民共有の財産ですよ、簡易保険に入った方が少しずつ営々と積んだお金が、施設を造り過ぎたとかなんとかというのはあるけれども、少なくとも簡易保険法において加入者の福祉施設であると。つまり、これは会社が社員寮みたいのを軽井沢とか箱根に造るのと同じ発想ですよね。加入者の福祉施設というのを簡保の保険料で造った、それが七十九施設のうちの大部分ですが、二千四百億円以上した。固定資産税評価でも九百億近くする、実勢価格でも千二百億や千三百億するだろうと。これを減損会計だとかマジックを使ってどんどん減損していって、竹中流に言えばこれは不良債権だと。もうけちゃいけないんですから黒字にはめったにならない。赤字だったら不良債権だと。そういう決め付けで、だから、例えば鳥取ですか、あのかんぽの宿は一万円で売られて半年後に六千万円で転売されると。一体だれが利益を受けたのかという疑問がある。
 ですから、二千四百億がマジック使って百九億円になって、出来レースと思われる不透明な部分がいっぱいあって、それでオリックス不動産に渡そうとしたから私は認可をしなかった。それだけのことがあったから業務改善命令を出したわけでして、だからこれはもう真剣に取り組んでもらわなければならないわけでございます。
 ですから、私は、西川社長に対して悪感情もなければ何の感情もありません。お酒一緒に飲んだら楽しそうな方だなと思いますよ。だけど、しかしこれは公的企業のガバナンスの最高責任者としておられたわけですから、これだけのことが起きたならば、それは責任を痛感をしていただかなければ困るというのが私の立場でございます。
○長谷川憲正君 どうもありがとうございました。
 今日は時間たっぷりいただいたとはいうものの、限られた時間でありますので、この調査結果報告の指摘していることを一々全部議論をするというわけにはいかないんでありますけれども、せっかく出されたもので、もう世の中の人も忘れている人が多いんじゃないかというふうに思いますので、もう一度問題点を整理をしてみたいというふうに思っております。
 幾つか目立ったものを私、拾ってまいりました。お手元にB4の一枚紙の資料をお配りをさせていただいておりまして、左の方に四つほど問題を掲げております。
 上から順に行きたいと思いますけれども、この表に入ります前に一つ提起をしたいのは、これもさんざん言われたことでありますけれども、競争入札という言葉が頻繁に使われたわけですよね。これも指摘をされておりますが、この表には入っておりませんけれども、実際は競争入札ではなかったと。最終的には企画コンペというんでしょうか、非常に分かりにくいんですけど、そういうものであったということがだんだん分かってまいりまして、しかしながら、企画コンペというのは、提案をする人がどういう考えを持っているというのを聞いて、そして自分たちの考えと合致するものを選んでいくということでありましょうから、それは入札とはもう全く違うものですよね。これを、日本郵政会社の定めている契約の規定がありますが、これは総務省に届けてあるものでありますが、それを見させていただいたら、会社の手続というのは一般競争入札と指名競争入札と随意契約だというふうに書いてあるわけでありまして、そうすると、これは一般でも指名でもないんですから、今お取りになった今回の契約の仕方というのは随意契約ということになるわけですよね。
 で、随意契約ということと競争入札ということはもう全く物事が違うわけでありまして、競争入札であれば、例えば非常に安い価格で落札がされたとしても、まあ落札の予定価格を下回れば落とさないということはあるにしても、それは入札の結果決まったことですから、マーケットが決めたことですから、それでよしとせざるを得ないわけですよね。しかし、随意契約ということになればいろいろなものを見ながら物事を決めていかなきゃならないわけでありまして、新聞の社説など当時出たものを見ても、一部の新聞では、一般競争入札で決めたことをがたがた言うなというような趣旨の社説がいっぱいあったんですよね。そういう誤解を招いた。
 これ、もう一度お尋ねをしなければいけないんですが、随意契約の実態なのに競争入札というふうに見せかけた、その理由は何だったんですか。
○参考人(西川善文君) お答えをいたします。
 かんぽの宿の事業全体を譲渡しようということで、事業の譲渡ということでございますが、その事業の譲渡と申しましても、これは従業員の雇用の継続といったこと、あるいは一部負債の承継といったこともその中に入ってまいりますので、ただ資産価額だけで競争というわけにはまいりません。しかしながら、想定純資産価額、事業全体の価値というものを想定いたしまして、その価格を競争していただくと。もちろん、それには前提として従業員の雇用といったようなことも入っておるわけでございますが、その事業価値をどう見るかというところを競争していただくという意味合いはございました。
 ただ、これは、いわゆる会計法に言う一般競争入札ではございませんし、そしてまた指名競争でもございませんし、随意契約というふうに決め付けられるものでもないと思います。その点が、我々の社内でもこれは第三者委員会で指摘をされておるんでございますが、この事業譲渡ということについての社内規定がなかったというところが我々としては一つ問題であったなということでございまして、これは第三者委員会からも厳しく指摘をされているところでございます。
○長谷川憲正君 お聞きしてもちょっとよく意味が分からないんですけれども、会社でお決めになっていることはルールがあるわけですよね。だから、どのルールにのっとっておやりになったのかということによって物の見方というのは変わってくるわけでありまして、随意契約ではないというと、一般競争入札ではもちろんない、指名競争入札でもない、随意契約でもない、会計規定で決めていない新たなものをやったんだということなら、どうして最初からそういうふうに言ってくださらないんですか。それだったら世の中の人も誤解せずに、それならそういうことで、中身がいいのか悪いのかというのを皆見たと思うんですよ。
 それ、どなたがそういう形で、世の中に対しては入札という言葉を使うような決定をなさったのか、教えていただけますか。
○参考人(西川善文君) これは一つ大きな間違いを結果的にしたなというふうに考えておりますのは、ホームページでかんぽの宿の譲渡に関する競争入札という表現をしたわけでございます。この競争入札という言葉を安易に使い過ぎたということでございまして、本来はこれは企画提案のコンペということでございます。そこの使い分けがしっかりと行われなかったというところが混乱を呼んだ一つの大きな原因であろうというふうに思います。
○長谷川憲正君 それはそのとおり混乱を生んだわけでございますが、そのことについては当初から社長は気付いておられたんでしょうか。それとも、気付かないうちにそういうことが行われたんでしょうか。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 大変残念ながら、私はホームページをしばらくたってから見まして、この競争入札という言葉は適切ではないなということを感じたわけでございます。後で気が付いたということでございます。
○長谷川憲正君 社長がそのようにお気付きになったら、それは訂正を当然なさるべきだ。社長が組織のトップですから、適切な指示をして変えられるべきだったと思うんです。そのことがないからその後もずっとおかしなことになりまして、これは十二月の末から総務大臣が出来レースじゃないかということをおっしゃって、問題が指摘をされて話題になった。それでも、大新聞の社説が一般競争入札でやることに大臣が口を挟むのはおかしいとまで論評したわけですよ。
 大臣、そこのところ、いかがお考えですか。
○国務大臣(鳩山邦夫君) それは先生おっしゃるとおりで、一般競争入札に総務大臣が口を挟むのがおかしいという、そういう論調による私への批判は随分目にしたし耳にしたわけでございまして、しかし実際は一般競争入札ではなかったと、非常に不透明なものだったということが明らかになっているわけでございます。
 そもそもが、メリルリンチをアドバイザリー契約というかアドバイザーとして選ぶそのプロセスにおいて、同じ文書を見て同じ人が点数を変えて、つまりメリルリンチにしなくちゃならないという出来レースだったんでしょうけれども、メリルリンチが一位じゃなくて二位だった。さて困ったというので、二日後か三日後にもう一回開いて、同じ人がですよ、メリルリンチの点数を上げて、トップだったところの点数を下げてメリルリンチを選定するという、こういう大疑惑があるわけですね。そういうところからして、何が入札なのか何が採点なのかよく分からないことが多過ぎるんです。
 これは私は分かりません。民間の会社だったら、純民間の会社だったらそういうことはよくあるのかもしれないと思うのです。例えば、博報堂に民営化していくときの広告宣伝を全部任せると。これはもちろん競争みたいなことをしたんだと思いますが、採点者五人なんですね。採点者のうち五人のうち三人が言わば社長の直系の方ですから、最初から意のままになりますよね。そして、さて民営化されたと。今度はまた訳の分からぬ責任代理店制度というのを採用すると。つまり、郵政子会社四つ、ゆうちょ銀行、かんぽ生命だけじゃなくて特殊会社である事業会社、局会社が広告宣伝しようとしても全部責任代理店である博報堂を通したり相談しなければできない。まあ考えてみればとんでもない仕組みをつくり上げた。
 そのときに、博報堂を選ぶときも五人の人が採点をして、三人が、失礼ながら、社長の息の掛かった三井住友系というんですか、これはもう最初から結果見えていますよね。それで逮捕者が出て捕まった。低料第三種で博報堂の子会社、エルグの役員が捕まったにもかかわらず、私が記者会見で注意するまでは広告関係は全部博報堂だということを貫いたじゃありませんか。
 一般の企業ならいい。しかし、公的な企業がそういうことをやれば、そこに何か巨悪があるんじゃないか、癒着があるんじゃないかと国民が疑うのが当たり前だと。私はそういう体質の問題、これを問題にしておりますので、長谷川先生の御指摘は正しいと思います。
○長谷川憲正君 ちょっと話がいろいろまた拡散しそうなんで戻したいと思いますが、いずれにしても、競争入札と世の中を誤解させてしまった、そのことについての修正の試みが会社側から行われなかった、社長がリーダーシップをお取りにならなかったというのは非常に残念に思います。
 そして、先ほどのこのB4の紙に戻らせていただきますが、私四点指摘しておきました。最初の世田谷のレクセンターの問題であります。
 これは元々かんぽの宿等の施設、事業運営、これを譲渡したいといって提案をされたときにはこの中に入っていたわけですね。かんぽの宿だけではなくて、この世田谷レクセンターという大変な価値のあるものが入っていた。これは昨年の五月時点で会社自身が鑑定評価された額が手元にありますが、百三十九億円、これだけで百三十九億円。ですから、当然買いたいという人たちの提案額が小さければ、これは外そうというふうにお考えになるのは当然だとは思うんですよ、当然だとは思います。たしかオリックスとそれからもう一社、最後に二社が残ってどっちにするかという判断を会社の方でなさったわけでありますけれども、そのときに、この世田谷のレクセンターについては二十三億円というところと三十三億円というような低い評価が出てきたということからこれを外そうとしたというのは分かるんです。
 ところが、総務省が発表されました調査報告を読みますと、今日は病気のためにおいでいただけませんでしたが、伊藤執行役が上司である専務、副社長、そして西川社長に対してこれからの進め方について報告、確認を行ったと、こう書いてあるわけです。そして、この間出されました日本郵政の中にあります第三者検討委員会の報告書でも同様に、専務執行役、副社長及び社長に順次口頭報告をして確認を得たと、ただしこれは文書で記録に残っていないと、こう書いてある。
 残っていないこと自身は大変問題で、このいわゆる第三者検討委員会の報告書は繰り返し文書で残っていないのは問題だということを言っていますが、それは別にして、西川社長が国会の中で御答弁になったことを見てみますと、これは衆議院の総務委員会の松野委員の質問に対してのお答えでありますけれども、この世田谷レクセンターを外すということを聞いたのは最後の段階だったと。自分もいろいろ思うところはあったんだと思いますが、いずれにしても、そういう話を聞いたのはレクセンターを外すということを通告した後の話であって非常に残念であったと、こう御本人が述べていらっしゃいます。これは西川社長、間違いございませんか。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 そのとおりでございます。私も世田谷レクセンターを外すということ自体は、当時もう既にリーマン・ショックの後でございまして、このレクセンターはマンション開発用地として活用されるであろうということが考えられる物件でございますから大幅な値下がりをしておりまして、もうマンション事業者も手を出さないと、あの時期では手を出さないというような状況でございましたから、これは外すこと自体はそれは正解であったと思いますが、聞いたのは最後の段階でございますので、通告をされた後聞いております。
○長谷川憲正君 重ねてお答えをいただきましたので、そのとおりなんだろうと思いますが、そうすると、伊藤さんが総務省に対して述べていること、事前に社長まで報告、確認を行ったということ、あるいは、ついこの間の第三者検討委員会の報告書にある順次口頭報告をして確認を得たというのは、事実が違いますね。いかがでしょうか。
○参考人(西川善文君) これは私の記憶に間違いがなければということでございます。あるいは私の記憶が不正確であったのかもしれませんですが、私の頭の中にはそういうものが残っております。
○長谷川憲正君 そこは大変正直にお答えをいただいて、感謝を申し上げます。そのとおりなんだろうと思います。
 いずれにしても、これは社長がおっしゃっていることとこの二つの報告書に書いてあることは一致しないんですよ。どっちか間違っているんですね。そういうことが非常にこれ、売る方にしても、ましてや買う方にしてみれば、今までこういうものが一括売却の対象の中に入っていた、それが抜けるという非常に大きな話でありますから、こういったことがいい加減に扱われてはならないと思うし、会社にとって貴重な財産ですから、それはもう当然のことながら、経営者の中で意識の統一が図られていなければいけないと思うんですけれども、これで見ますと、社長のおっしゃるとおりだとすると、伊藤執行役がうそを言っているのか間違っているのか、要するに独断でやったのかというような話になるわけですね。
 それと同じことが、その下の社宅(9)の簿価割れと書いておきましたが、これは東京周辺にあります九か所の社宅のことでございます。これも今度の一括売却の中にかんぽの宿と一緒に入っているわけです。世田谷のレクセンターは評価が低過ぎるということで外れましたが、この社宅九か所については簿価割れをしておった提案であったけれども、外れなかったんですね。これ一緒に売るという中に入っていたわけです。これは、調べましたら、五月時点で会社が評価されたときは四十六億円という評価をしておられる。九月の中間決算の簿価では三十二億円と計上してある。それに対してオリックスは九億円という簿価割れの評価をしてきた。
 このことについて、本来ならこれもレクセンターと一緒に外すべきですよ、簿価割れしているんですから。それを外さなかったということについて、どうもきちんと担当の伊藤さん、今日はおいでいただいてないんですけれども、最終的な契約を決定するような会議には報告をしてないということらしいんですね。したがって、社外の役員等も含めてだと思いますが、経営陣が認識できなかったと総務省の報告書にあります。
 第三者検討委員会の報告書を読ましていただきましたらば、この伊藤さんはこのことについても先ほどのレクセンターと一緒に報告をして確認を得たということを言っておられるわけです。この点については、簿価割れの社宅を一緒に売ってしまうということについては、西川社長は御認識はあったんでしょうか。
○委員長(内藤正光君) 社長じゃなくていいですか。
○長谷川憲正君 どうぞ。
○参考人(佐々木英治君) 社宅の関係でございますので私の方から御説明をさせていただきますが、このかんぽの宿に係る社宅と申しますのは、旧簡易保険福祉事業団から承継した社宅でございまして、今回のこのかんぽの宿の施設の譲渡に伴いまして一体不可分の関係で譲渡されるのが、私ども経営側とそれから労働組合の側も同様の認識でございました。そういうことで、社員のモチベーションへの影響が懸念されたということもございまして、今回、簿価といいますか、簿価とそれから事業者の評価額は異なりましたけれども、これはかんぽの宿と一体として売るべきであるというふうに私の方といたしましては判断した次第でございます。
○長谷川憲正君 佐々木さんはそういうふうにおっしゃいますけれども、関係の資料をいろいろ読んでみますと、実際に契約の手続等をやっているメリルリンチからは、これも外すべきだという提案がなされているわけですよね。それを途中で無視して一緒に売ってしまう、しかも経営陣が認識できないような形で会議を開くというようなことは、私はもうこれは非常に意図的であるというふうに思っているわけです。
 この件に関しましても、四月七日の西川社長の答弁では、こういうことも含めて聞いていない、後から聞いたというようなお話であったようでありますけれども、これ、私の言っていることは間違いないと思いますが、吉良さん、いかがでしょうか。
○政府参考人(吉良裕臣君) 私どもは報告徴求の場合にこれ全部文書でいただいておりまして、先生がここに書かれていることはこれは文書で、口頭で言った話じゃございません。このとおり、経営会議資料、ちょっと多めに言いますと、経営会議資料及び取締役会資料には九社宅の簿価及びオリックス不動産による評価額は記載しておらず、また各会議の場において口頭での説明を行っておりませんので、簿価とオリックス不動産との評価額の差にマイナス二十三億円の乖離があったことについて、取締役を含む経営陣は認識していませんというふうな回答をいただいております。
○長谷川憲正君 これも会社にとっては極めて重要なことだと思うんですよ。まさに国民の財産であるべきものが簿価割れをして売られようとしている、そのことが経営陣の判断の材料として提供されない。そういうことが事実としてあったとするならば、それは分かった時点でそれなりの対応をされるべきでありまして、いまだに何かこのことで対応されたというのは私聞いておりませんけれども、これは伊藤さんが、言ってみれば個人の判断でおやりになったことなんでしょうか、それとも社長の意を受けてやっておられるということなんでしょうか。これは西川社長、お願いしたいと思いますが。
○参考人(西川善文君) 本件に関しましては、私は、今佐々木専務がお答えいたしましたように、従業員が現に居住しておると、かんぽの宿の運営をしておる宿泊事業部でございますが、こちらの社員が現に住まいをしておるということでございますので、これは一体として譲渡する対象に含めなければならないなという判断をしておったわけでございます。
○長谷川憲正君 表向きはそれだけ聞いたら、ああ、なるほどというふうに思う人もいるかもしれませんけれども、実際には非常に空き家の多いところでありまして、住んでいる人、そんなにいないわけですよね。しかも、これ買うことになったオリックスとの最終の契約なんかを見ますと、実際社宅として使うのは一年ということですか、後はどうなるか分からないというようなことでありまして、わざわざこれお土産に付けたのかなというふうにしか見えないわけであります。
 次に、三つ目の問題点でございますが、メリルリンチ社からの売却中止の提案というのがあります。
 不動産価格が低迷をしているどころか大変な下落を続けておったという状況の中で、たしか三回にわたって、アドバイザーに選ばれたメリルリンチが全体の売却手続そのものを中止するという選択もあるよということを提案をしているわけですけれども、このことが、一回目のときには伊藤執行役は上層部に対しては報告もしなかったということで、無視をした。次には、十一月に入りまして同じくこういったものが提案をされておりますが、これにつきましては西川社長まで報告をしたかどうか執行役は記憶がないと、こういう極めて大事な判断を報告をしたのかしないのか記憶がないと、非常に無責任極まりないと思うのであります。
 これについては、社長の方も後で聞いたということで、大変聞いたのが遅かったことを悔やんでおると、早く聞いたらもっとほかに判断もしようがあったということをおっしゃっているわけでありまして、この点についても、社長、その後、この伊藤執行役に対して何らか責任を追及するとかなさったんでしょうか。
○参考人(西川善文君) 伊藤執行役に対しましては、ただいまのところ特段の処分等は行っておりませんが、第三者検討委員会の結論も出たところでございますので、今後のけじめを付けるために何らかの処置をする必要があると考えております。
○長谷川憲正君 最後に、四点目のところですけれども、インフォメーションメモランダムというものが二年後から黒字化と書いてあるというのが問題点のところに指摘してあります。短く書いてしまったものですから御理解いただけないかもしれませんが、これは、今回の一括売却に対して関心ありということで集まってきたいろいろな業者の方に、アドバイザーの実際に契約手続を担当するメリルリンチが配った資料があるわけでありまして、その中に、日本郵政とも相談をして作ったという資料ですけれども、かんぽの宿というのは赤字赤字と言われているけれども、二年後からはずっともう後黒字になります、収支見通しとして年間十億円から十七億円の利益が出てくるんだと、こういう資料が現実に配られているわけです。
 このことについては第三者検討委員会では残念ながら言及が全くないんですけれども、このことについては度々西川社長が国会で答弁をしておられまして、例えば一月の段階では、衆議院の予算委員会で、このかんぽの宿の事業というのは不採算事業だから、持てば持つほど負担になるんだ、だから早く売却しなきゃいけないんだということをおっしゃっている。このことが実際いろんな新聞等でも引用されておって、赤字の事業だから早く売るのは当たり前だ、これは不良債権だと、竹中さんまでそう言っているわけでありますが、そういう認識をつくっているわけであります。
 最後に、これ、四月の六日の外山委員の決算委員会での質問に対しての西川社長の御答弁ですけれども、そういう資料があることを知らなかった、最近知ったと、こういうことをおっしゃっているわけでして、これ、実際、本当にこのかんぽの宿の売却という非常に大きな取引について社長がきちんと全体を把握していたのかということを非常に私たち疑問に思うわけであります。
 こういった資料を出すというようなことについて、社長は事前に相談を受けるということは日本郵政の中ではないんでしょうか。
○参考人(西川善文君) 重要な事項につきましては一々相談を受け、あるいは報告を受けるということも当然ございますが、このインフォメーションメモランダムと申しますのは企画コンペへの応募者に対する情報提供ということでございまして、これは、私の記憶に間違いがなければ、ある外資系のコンサルタントに依頼をいたしまして、全施設についての今後の収益改善策等を検討してもらい、それを参考に作成した資料であるということを聞いた覚えがございます。
○長谷川憲正君 ちょっとよく理解できないんですけど。
 そうすると、これに関しては社長は事前には御覧になっていなかったし、そういうものを必ず社長に報告をしなければいけないとか、例えば配られたものと社長の答弁が食い違っているというようなときに、日本郵政の部下の方々、今日もたくさんおいででございますけれども、社長の言っておられることと資料と違うことがありますよというような指摘も全く上がってこないんでしょうか。社長にお伺いいたします。
○参考人(西川善文君) 多分、外部のコンサルタントが作った資料でございますので、応募者に対して御参考までということでお配りをしたのではないかと思います。私は存じませんでした。
○長谷川憲正君 これは、買おうと思っている人からすると極めて重要な資料だと思うんですね。しかも、その資料には、外資系の企業とおっしゃいましたけれども、メリルリンチという会社が、お金を払ってアドバイザーとして雇っている企業ですよ、その企業が日本郵政の宿泊事業部と相談の上に作ったと資料に書いてある。そういうものを出していて、それが中身が違うということを社長が言っておられるのに、周りの方が一切情報提供もしない、社長の誤りも正そうとしないというと、一体どういう社員管理をしておられるのかなと。
 私が残念ながら申し上げたいのはそこのところなんです。世の中ではよくガバナンスという言い方が使われまして、私はそういう片仮名英語は嫌いなんですけれども、しっかりと組織を統率して、部下を統率して、それは社長だって間違うことがある、そうしたらすぐに情報が上がってくる、重要な決定については社長にきちんと相談をする、当たり前のことだろうと思うわけですが、今のお話をずっと聞いていると、肝心なところで一切社長のところには相談が来ないという、そういうことになりますよ。そういうことですか。そういう理解でよろしいですか。
○参考人(西川善文君) そういったことでは決してございませんで、本当に重要事項については間違いなく相談を受けております。ただ、その周辺情報については全部が全部私の耳に入るということではございませんでした。
 私自身も、いろいろなことがございますので、例えばかんぽの宿について全部起きている事柄について毎日毎日聞くという時間的余裕もないという状況でございましたので、多分そこをしんしゃくして取捨選択をしたのであろうというふうに思います。
○長谷川憲正君 仮に、部下の皆さんが、社長は御多忙だから大事なことだけ入れようということで、こういうものは大事でないという整理をしたとすると、私はちょっと、それは経営陣としてふさわしからぬ人たちばかりがそろっているんじゃないのかなというふうに思うんです。それは社長の方からも、新聞にもいろんな書き方が出るわけですし、総務大臣からもいろいろ御指摘もあるわけですから、それを重要でないといって受け流しているというのは、それはもういかにもおかしなことだというふうに思うわけでありまして、そんなことはあり得ないと思うんですよね。
 こういう形でずっと答弁をしておられますから、今更うそを言いましたとか、間違えましたとかいうふうにはおっしゃいにくいんでしょうけれども、西川社長は日本でも屈指の有数な経営者でいらっしゃいますよね。銀行業界ではもう赫々たる成果を上げてこられた方ですよ。そして、私も今回改めて昔のことをいろいろ見てみましたけれども、三井住友銀行で頭取をしておられるときにも、それはもうまさにらつ腕といいますか、言葉が過ぎるかもしれませんけれども、敏腕ということで、会社を一手に担ってやっておられた。
 そういう方が、今回のように、部下が勝手なことをして、報告をしてもしなくてもどうでもいいというようなことをなさるはずがない。だから、それはもう包括的にこういう形でやれということを言われたから報告がなかったんだろうというふうに私は思っているんです。
 このことに関しては、私は総務省の調べた資料を拝見をして申し上げているわけでありまして、実際にもっと事細かに調べられて報告を受けておられる鳩山総務大臣は、このいわゆるガバナンス、西川社長のガバナンスについてどうお受け取りになりましたでしょうか。
○国務大臣(鳩山邦夫君) ある方は、西川社長は被害者なのではないかと言った方はいますよね。それは、いいように部下にやられてしまったんではないかということを私におっしゃった方はいますけれども。
 やはり今、長谷川憲正先生がおっしゃったように、最後のバンカーと言われるようならつ腕の方が請われて日本郵政の社長になられた。これは公的な会社でありますから、特殊会社でございますから、国民の利益に直結をする問題で、利益が上がればいいというものではないと。例えば、いわゆるユニバーサルサービスというものが四つの会社とも全部求められていくと。
 そういう中で、今やり取りで聞いておりましたが、そういうことは知らなかった、あるいは聞いていなかったという話が多過ぎるのは、これは私も好きな言葉ではないんですが、ガバナンスができていなかったということになるだろうと。
 今、インフォメーションメモランダムの点で、将来は利益を生むかんぽの宿であるというのがあったわけで、それもお読みでなかったようではありますが、問題は、簡易保険法によって、かんぽの宿は加入者福祉施設であって、もうけてはいけない、ただで泊めても、ただで温泉に入れてもいいんだ、ただし一部の費用は利用者から取ってもいいというそういう福祉施設であるから、当然なかなか黒字にはならないと。赤字という表現が正しいかどうかも分からない。赤字じゃなくて、これは福祉施設なんだから、福利施設です、福利厚生施設ですね、一般的に言うならば。とすれば、赤字が出るのが当たり前だ。片や、赤字が出るということは不良債権だと。千円で売ってもいいんだ、千円で売ったら四千九百万円に化けたと、一万円で売ってもいいんだ、一万円で売ったら六千万円に化けたというような話が多過ぎるわけですね、郵政に関しては。
 ですから、私は簡易保険法によってかんぽの宿が言わばもうけることを禁止されていたということを西川社長がお知りであったのかどうかなということも実は疑問に思っておりまして、やっぱりこうなってくると、好きな言葉ではないが、ガバナンスの問題は問題があり過ぎると、こう考えております。
○長谷川憲正君 ありがとうございます。
 私もいろんなことを御指摘をさせていただいたんですけれども、結論的に申し上げたいのはそのことなんですね。私は、個人としてはひそかに心の中では、いや、これは部下任せに社長がなさるはずがないので、包括的にこういうことを了承してやっておられたんだろうというふうに思っているわけですが、仮にそうでないとするならば、これはもう手抜きも甚だしいし、いわゆる丸投げですよ。手抜き、丸投げ、でたらめ経営ということになるわけでありまして、非常に悪い言葉ですけれども、経営者としてはぼんくらということになっちゃうんですが、そんなことはあり得ない。西川さんのような方がそんなことはあり得ないのであって、私は、やっぱりきちんとこれは今後とも解明をしていく必要があるというふうに思っているところであります。こんなことではどんな会社でも株主はどこも了承しないというふうに思っているわけでありまして、日本郵政の場合には国が唯一の株主でございますから、国に対してきちっと説明するのは当然なことであります。
 そこで、もう時間もなくなりましたので最後に一言申し上げますけれども、冒頭から申し上げたように、日本郵政の社長の人事ということについて言えば、今申し上げたようなことも含めて、それ以外にもたくさん問題点の指摘がなされておりますけれども、そういうものに対してやっぱり社長が社長として適切に役割を果たしてこられたのかどうか。これはもう西川社長の個人的な持っておられる資質だとか力量だとか御性格だとか、そういう話ではないんです。そうではなくて、実績として社長として果たすべき役割をきちんと果たしてきたのかどうかというその評価の上に立って指名委員会も株主総会も物事をお考えになるべきだというふうに私はもう単純に思っているわけでございます。
 それで、仮にふさわしくないと。今の御答弁のようなことだとすると、これはもう申し訳ないんですけれども、全くふさわしくないと私は思います。続投に強い意欲をお示しになったというのは、それは経営者の立場におられる方として当然だろうとは思いますけれども、こういうやり方を今後も続けるんだったら、それはだれも納得しませんよ。西川さん御自身はいかがなんですか。今のような仕事のやり方で今後もやっていかれる、そのことが世の中の期待にこたえることだというふうにお思いなんでしょうか。これ最後にお伺いさせていただきます。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 総務大臣からもいろいろな御指摘をちょうだいしております。したがいまして、改善、是正に向けた必要な措置を講じてまいりますとともに、事業の経営改善に向けて真摯に対応したいと考えております。私自身にもいろいろと至らぬ点もございますが、私といたしましては、いったんお引き受けした以上、民営化の土台をしっかりと築くことが私に与えられた責務であり、また果たすべき責任であると考えているところでございます。
 以上です。
○長谷川憲正君 これからはしっかりやりますという御意味かなというふうに理解をしましたが、再三申し上げているように、今までやってきた実績というものを無視するわけにはいかないわけです。
 世の中には立派な経営者がいっぱいおられますから、どういう人が日本郵政の社長にふさわしいのか、それは政府がお考えになるんでしょうけれども、当然その中で西川さんが筆頭におられるということは間違いないと思いますが、しかし西川さんの場合には白紙で議論するというわけにいかないので、今まで社長としてやってこられた実績がある、そのことを私たちは見たときに、今のように部下が勝手なことをやっていても、そのことに対してとがめもしない、多くの方々に間違った情報が流れたままになっている、自分もきちんとした理解をしていないということであるとすると、これはもう本当に経営の体を成さないわけでありまして、鳩山大臣には大変、何か世の中の悪者役を一手に引き受けていただいているようなところがちょっとありましてお気の毒だなと思うんですけれども、しかし、それは監督官庁として言うべきことを言っていただくのは当然でありまして、事業を正しく経営をしていくために言いにくいことはきちんと言っていただかなきゃならないし、ましてやそういうことを無視して社長人事というものが行われるようなことがあってはならないと。
 これは最終的には麻生総理がお決めになることだとは思いますけれども、そういう意味で鳩山大臣に私たちとしては大いにエールを送りたいというふうに思っているところであります。野党からエールを送られて迷惑だよとおっしゃるかもしれませんが、お考えを最後にお聞きをして、終わりたいと思います。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 私としては、今日のやり取りをいろいろお聞かせいただいておりまして、西川社長に対する私は、先ほどから申し上げましたように、何の感情的なものを持っているわけではありません。ただ、日本郵政という巨大な特殊会社の長として統治能力がどうであったかと。国民の共有の財産がかすめ取られそうになることをお認めになってきた。その責任は、それは私が西川社長をどんなに尊敬していたとしても、その部分は私は監督官庁として認めるわけにはいかないと。
 さっきちょっと申しましたが、六月三日に日本郵政グループの責任代理店である博報堂との契約の関係について報告徴求をしました。これは簡単なことですから翌日返事をしてくれということで、六月三日にお尋ねをして六月四日に報告を受けましたけれども、実は私どもがお尋ねしたことについてはお答えにならなかった。つまり、逮捕者が出たのにまだ博報堂との関係を続けるという指示が回ったじゃありませんか、どういう人がいつどこでというような意味のことを聞いたつもりなんですが、答えがなかった。
 答えがないというのはどういうことかというと、日本郵政株式会社法第二十一条によれば、私の報告徴求に報告をしない、若しくは虚偽の報告をした場合は三十万円以下の罰金と、こういうことになっているわけですから、報告を求めて、しないというのは本来犯罪にもなり得ることだと。何も大げさにしようとは思いませんけれども、それもガバナンスのなさだと思いますよ。報告徴求、私は法律に基づいてしているんですよ。それに答えない。そういう日本郵政株式会社という会社が正しいガバナンスの下で運営されているとは私は思いません。
 そこで、最後のお答えでございますが、私には御承知のように、憲法第九条ではなくて、日本郵政株式会社法第九条によって認可権限が与えられております。この認可権限には財務大臣協議という項目は入っておりません。いろんな権限は財務大臣協議なんですが、この権限は財務大臣協議になっておりませんから、総務大臣の独自判断でやれということであろうと思っておりますので、私はその権限を持っているということを重く受け止めて、私の考え、信念に基づいて権限を行使していきたいと思っております。

 (中略)

○山下芳生君 日本共産党の山下芳生です。
 日本郵政の社長人事が国民の注目を集めております。日本共産党は、西川善文氏が日本郵政の社長に就任したときから不適格として反対してまいりました。理由は、かつて三井住友銀行が中小企業に対し金利スワップ商品を押し付け販売して、大きな被害を出したそのときの責任者、頭取が西川氏だったからであります。しかし、当時の竹中大臣が西川氏には知見があるからと社長に就任させました。その結果、日本郵政で何が起きたか。
 今日はパネルにまとめてまいりました。(資料提示)日本郵政西川社長、六つの責任というふうにまとめてまいりました。
 一つは、これはもうよく知られた二千四百億円で造ったかんぽの宿がわずか百億円余りで売り飛ばされようとするなど、国民の財産をたたき売りにした。それから二つ目に、ゆうちょ銀行がクレジットカード事業に参入する際に三井住友カードと提携をした、あるいは、巨額の郵政資金が三井住友系の信託に預託されているなど、西川社長出身の三井住友グループとの癒着が余りにも目に余るということ。そして三つ目に、かんぽ生命の保険金未払が公表されなかった。数十万件から百万件を超える未払があることを把握しながら、国会で私が追及するまで一切明らかにしませんでした。そして四つ目に、今質疑があった障害者団体向け第三種郵便の悪用を見逃し続けてきた。そして五つ目に、簡易郵便局が四百か所全国で閉鎖される、あるいは各種手数料が何倍にも値上げされるなど、国民サービスが低下をした。そして六つ目に、現在郵政グループには二十一万人の非正規労働者の皆さんがいらっしゃいます、働いておられます。日本の最大の非正規労働者を抱える企業グループですが、その非正規の郵政で働く皆さんが月十万円あるかないか、本当にワーキングプアに置かれているし、その上、最近またその待遇が切り下げられようとしてきたなどであります。
 西川社長の下で国民はこんなに被害を被った。私は責任を取ってお辞めになるのが当然ではないかと思うんですが、社長の見解を聞きたいと思います。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 私自身にもいろいろと至らぬ点もあり、今から思えば反省すべき点もあったかと考えますが、私といたしましては、先ほどもお答え申し上げましたとおり、いったん引き受けました以上、民営化の土台をしっかりと築くことが私に与えられた責務であり、また果たすべき責任であると考えておるところでございます。
 以上です。
○山下芳生君 私は、だれに対して何の責任を全うするのかが鋭く問われていると思うんですね。この六つの西川さんがおやりになったことを振り返ってみますと、出身の三井住友グループに更に利益を供与する責任を果たそうとされているのか、あるいはまたオリックス、リクルートなど、規制緩和を推進してきた企業グループに新たな利益を与えるために責任を全うされようとしているのか、そう思いたくなるわけですね。
 国民に被害を与えたという自覚と反省が余りにもなさ過ぎると思います。そういう自覚と反省ありますか。この六つ、どうですか。
○参考人(西川善文君) 六項目一つ一つについてお答えする時間的余裕もないかと存じますが、中でも、ゆうちょ銀行のカード事業など三井住友と癒着という御指摘をいただいておりますが、これは、やはりカード事業につきましては大手数社に企画提案をお願いして、そしてコンペの中でゆうちょ銀行として決めたというふうに私は理解をいたしておりまして、決して私が三井住友カードを強く推薦するとか、あるいは三井住友カードのいいところを主張するとか、そういったことは全くございませんでした。
 以上です。
○山下芳生君 幾ら社長がそうおっしゃっても、客観的にはそう見えるようなことがいっぱい起こっているわけですね。
 現に、日本郵政の中には、先ほど出席された横山専務執行役、妹尾常務執行役、みんな西川さんが三井住友から連れてこられた、いわゆるチーム西川と言われる方々ですね。そういう方が配置されて、こういうカード事業一つ取っても、一つだけじゃないです、不動産売却だって三井住友系のいろいろなところが利益を被るような売却がやられております。
 ですから、責任をどう取るのかというときに、方向が私は間違っていると思う。あなたが見当違いの責任を全うすればするほど国民の被害は拡大する。国民共有の財産が食い物にされて、地域社会を支えてきた郵便局のネットワークがほころんで、職員のモチベーションが下がるという事態になっていると思います。私は、あなたがお辞めになることが国民の立場から郵政事業を再生させる第一歩になるということを指摘しておきたいと思います。
 鳩山総務大臣に伺いますが、日本郵政株式会社法第九条には、「会社の取締役の選任及び解任並びに監査役の選任及び解任の決議は、総務大臣の許可を受けなければ、その効力を生じない。」とあります。国民の立場に立つなら、私は、仮に株主総会で西川氏が取締役社長に選任されたとしても総務大臣として断じて認可すべきでないと思いますが、大臣の考えを伺いたいと思います。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 政治家になって以来、日本共産党と余り意見が合ったことがないんですが、今日は八割方、大体御意見、私すんなり入ってまいります。
 特にカード事業の問題は、三井住友のカードをやっておられる方が日本郵政に入られて、猛烈に運動されて、見事にカードは三井住友になったという話も聞いておりますから、法的に云々ということはありませんが、やっぱり公的な会社ですから、国民から見て、要するに、何度も言っている李下に冠を正さず、瓜田にくつを入れずという部分が全くできていないということがあるわけです。それは、例のJPエクスプレスの件も同じです、これ以上申し上げませんけれども。いいとこ取りをしようとしているというのも見え見えでございます。
 そういう意味で、私は西川社長という方は立派な方だと思いますし、尊敬すべき方だと思いますが、日本郵政グループを率いていく中でこうした問題がいっぱい出てきておりますので、それは私なりに考え方を持っているわけでございます。
 日本郵政株式会社法第九条の規定の重要性は、これは財務大臣協議が入っておりません。ということは、財務大臣が株主総会で判断をすることと総務大臣が取締役について判断する基準は違うということです。財務大臣は何か投資したもの、出資したものの安全が保たれればいい。私はそうではない、郵政すべてがうまくいかなくちゃならぬと、そういう観点でございますから、財務大臣協議でないということは、私が単独で懸命に考えて、信念に基づいて判断をするということでございます。
○山下芳生君 西川社長に伺います。
 大臣の判断には従われますか。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 それは、法律の決めたことでございますから、法に従うまででございます。
○山下芳生君 進退問題について、大臣の判断に従うことを西川社長がお認めになりました。大臣はしっかり判断していただきたいと思います。
 西川社長をかばうわけではございませんけれども、先ほど紹介した六つの責任は決して西川社長個人の問題から生じたものではありません。郵政民営化路線そのものの当然の帰着だと思います。
 元々、郵政民営化の要求は日米の大手金融機関から出てきたものです。三百兆円を超える郵便貯金と簡易保険、国民の金融資産を日米の民間金融機関に明け渡せと迫ったのが郵政民営化の出発点でした。そこから先ほど並べた国民の被害が生まれてきているわけですから、西川社長の辞任は当然ですが、それだけでは問題は解決されないと思います。郵政民営化そのものを根本的に見直すことがどうしても必要だということを指摘して、次のテーマに移りたいと思います。
 郵便事業会社の高齢再雇用制度について質問します。
 まず、厚生労働省に、高年齢者雇用安定法に掲げられた継続雇用制度とは何か、概要と趣旨について説明を求めます。
○政府参考人(岡崎淳一君) 御質問の高齢者雇用安定法第九条で高齢者雇用確保措置が定められております。
 これは、六十五歳未満の定年、今はまだ経過措置期間中でありますから六十三歳でありますが、それ以下の定年を定めている事業主につきまして、六十五歳までといいますか、今は六十三歳までにつきまして、定年を引き上げるか、継続雇用制度を導入するか、あるいは定年を廃止するかということを求めたものでありますが、継続雇用制度というのは、現に雇用している高齢者の方が希望するときには定年後も引き続きその年齢まで継続して雇う制度と、こういうものでございます。
○山下芳生君 郵便事業会社における〇九年度の高齢再雇用社員の受験者数と合格者数、それぞれ何人ですか。
○参考人(團宏明君) お答えいたします。
 郵便事業会社におきましても、高齢再雇用制度をつくっております。
 今御質問の〇九年度の選考試験の受験者が千二百七十四人、合格者は千百五十一人でございます。
○山下芳生君 現に雇用されていた労働者が継続雇用を求めたにもかかわらず、一千二百七十四人中百二十三人、一〇%が不採用になっております。これは高齢者雇用安定法の趣旨に照らして私は大きな問題だと思います。
 この制度は年金支給の開始年齢の引上げに伴う措置ですから、六十五歳に定年延長しない場合の代替措置ですから、これ法律の趣旨からいっても希望者全員が採用されるべきだと思うんですが、どうして一〇%もの労働者が不採用になったんですか。
○参考人(團宏明君) 当社の高齢再雇用社員制度でございますけれども、これは法律に基づきまして高齢再雇用社員の選考基準というものを労働組合との協約及び高齢再雇用社員就業規則によって定めております。その基準にすべて該当する者は高齢再雇用社員として採用することとしてございますけれども、このすべてに該当しないという職員がいたために、残念ながら今議員御指摘の数の方が再雇用にならなかったというものでございます。
○山下芳生君 ちょっと納得できませんね。まあまあ聞きましょう。
 その基準、三つ全部言ってください。
○参考人(團宏明君) 協約等に決めております基準でございますけれども、選考基準としましては、一に、選考における面接試験又は作文試験の評価が著しく低くない場合、それから二番目に、身体検査の結果、就業可能と判断された場合、三番目に、正社員の人事評価に基づき実施した人事評価結果を二百点満点で点数化した直近二年間の人事評価結果が、いずれも八十点以上である者又は八十点未満であっても面接試験の評価が良好と判定された者というものが選考基準になっておりまして、この選考を面接試験等で行っておりますけれども、それに該当しなかった者がいたということでございます。
○山下芳生君 私のところに近畿支社で不採用になられた、Nさんとしておきましょう、という方から手紙が届きました。
 Nさんは、私は人事評価はシートAかBだと。その評価は毎月の手当にも反映されている。平成十九年、二十年の二年間で支店長から三回も表彰状を受けている。イベント小包も、イベント小包というのは母の日、父の日、お中元、クリスマスというときにいろいろ小包を買っていただく方を増やすことですけれども、平成二十年度で五十個を達成した。暑中見舞いはがき二百枚、年賀郵便はがきは八千枚販売してきた。会社の方針に従って必死で努力してきたと、こうありました。Nさんのいた職場では、今年の四月の勤務表にこのNさんの勤務が書き込まれていたんです。周りはみんなNさんは高齢再雇用者に当然採用されるものと思っていたんですね。ところが採用されなかった。
 表彰状も届きましたけれども、こういうものですね。「表彰状 年賀王特別賞」「あなたは「平成二十年用お年玉付年賀葉書におけるインセンティブ施策」において、積極的な予約・販売活動に取り組まれた結果、優秀な販売成績を収められました。 よって、ここにその努力と功績に対し、報労品を贈呈するとともに表彰いたします。 今夏の「かもめーる」予約・販売においても、活躍されることを期待しています。」と。これ支店長名ですよ。
 こういう方、優秀な労働者が不採用になっている。Nさんは、何で不採用になったのかを当然支社に聞くわけですけれども、総合的に判断したという回答しか返ってこなかった。これ納得できるはずないじゃありませんか。
 これ厚労省の指針には、もう時間がありませんから、高齢再雇用の基準は具体性がなければならない、そして評価に客観性がなければならない、そしてだれもが、なぜ不採用になったのか予見できるようなものになっていなければならないと、こうありますけれども、具体性も客観性もなければ予見なんかできない。みんな採用されると思っていた、予見していたのに違う結果になったということですね。
 私は、郵便事業会社は法律の趣旨に反して継続雇用制度を恣意的なものにしていると言わざるを得ません。優秀な労働者を不採用にするのは郵便事業にとっても損失です。
 総務大臣に伺いますけれども、これ必要な資料を後で提供しようと思いますけれども、何でこんなことになったのか調査をして改めさせていただきたいと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 私も昔、労働大臣というのを六十四日間だけやったことがありまして、羽田内閣でございました。
 高齢者雇用安定法というのも大事な法律でございます。特に、郵政関係は専門知識が要りますよ。それから、地域であるならばなじみになっているということがありますから、したがって、高齢者の再雇用というのは私は非常にいい仕組みだと思っております。
 なぜ今具体的に言われた件が不合格であったのかは調べてみます。
○山下芳生君 調べるということでした。
 実は、Nさんだけではないんです。お手元の資料に、郵便事業会社の資料を基に各支社ごとに高齢雇用社員の採用状況を一覧にしてみました。こうやって並べてみますと、やっぱり近畿支社の不採用が人数、率とも飛び抜けて多い。二百三十三人受験して不合格が四十四人ですから、全体は九・七%ですが、ここはもう二割近い人がはじかれております。
 郵産労の調査では、大阪中郵支店は十人受験して四人不採用です。新大阪支店も十人受験して二人不採用です。尼崎支店、四人受験して二人不採用。姫路支店、七人受験して二人不採用。神戸中央支店、十六人受験して五人不採用。向日町支店、二人受験して二人とも不採用。四割、五割の人が不採用となった支店も少なくありません。不採用とされた社員は、現に雇用されて健康上も就業可能であって、直近二年間の人事評価もおおむね八十点以上の方ばっかりなんですね。
 総務大臣、近畿支社の実態は、継続雇用を求める労働者を恣意的に不採用にしているんじゃないかと私は疑いを持ちます。Nさんのケースだけではなくて、近畿支社全体を調査する必要があると思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(鳩山邦夫君) その点も、他との整合性がありませんから、調べてみる必要があると思います。
○山下芳生君 一方で特定の企業グループに莫大な利益を供与してきた民営化された郵政が、労働者をこんなふうに粗末に扱うなんてもってのほかだということを指摘して、質問を終わります。
○又市征治君 社民党の又市です。
 改めて西川社長にお伺いしたいと思いますが、先ほど山下さんは六つの責任というふうにパネルをお出しになりましたが、私はもっと多いんではないのかと。
 一つは、一番冒頭から言われているように、国民共有財産であるかんぽの宿や不動産の疑惑に満ちたたたき売りの問題、二つには簡易生命の未払問題、三つには郵便事業における低料第三種の不正問題、そして四つには、度重なる年賀状などのノルマ販売など職員の酷使の問題、五つ目には、二百億円以上の課税申告漏れと九十二億円の追徴課税、六つには、利益相反、背任と見られる横山専務らの社宅の問題、七つには、カード事業の三井住友との癒着の疑惑問題、そして八つには、先ほども出ましたが、簡易郵便局の閉鎖であるとか、分社化に伴って一番根本であったユニバーサルサービスが低下をしておるという問題、こういう問題などがあると思うんですが、先ほどから西川さんは、いろいろと反省をする点があるとおっしゃるけれども、そのいろいろ、総括的にもう少し国民にこの場を通じて説明をいただきたい。
○参考人(西川善文君) 反省点はいろいろございます。先生がただいま御指摘をいただいた項目それぞれについて、もう一度よく考え直してみる必要のあるところだと存じます。一部に私は認識が違うんではないかと思われるところもありますが、それはともかくといたしまして、総括的に反省をしなければならないということはもちろんそのとおりでございます。
 ただ、公社時代の話も含めまして、民営化の過程でグループ各社において予想外の様々な問題が出てきたことも事実でございます。国民、利用者の皆様に御迷惑をお掛けしたという点については、日本郵政グループを代表しておわびを申し上げたいと存じます。
 以上です。
○又市征治君 私もすべてが西川さんの責任だと申し上げているつもりはありません、それは公社時代の話もあるわけですから。しかし、経営というのは一面では継続をしているわけですから、そういう点での結果責任という問題はこれはどうしてもあるわけですね。そういう意味で西川さんを結果的に我々追及せざるを得ないわけでありまして。
 私は、こういう問題が次々に起こっている背景というか、ここのところは、やはり強引な民営化による利益優先の経営、あるいは三事業を四分社化するなんというこんなばかげたことをやったこと、そうしたことが、全国津々浦々における三事業のサービス低下であるとか、あるいは郵便労働者を結果として酷使をしたりという問題が起こっておるし、そしてまた一連の不祥事であるとかという問題をもたらしている。こういう負の中間総括というものをしっかりとやられるべきで、いろいろと考えてみにゃならぬという話を今されたんでは困るんです、これ。今ここではむしろ総括をきっちり出されにゃいかぬ、国民に対して。株主総会、これだけ大きな問題になっているんですから。
 当分の間、郵政グループは、今申し上げたようなことに対しての是正をする経営方針こそが今求められているんだろうと思いますね。つまり、大臣の言葉を借りて言うと、国有に戻す以外は聖域なき見直しが必要だということをまさに今やらなきゃならぬ、この時点に来ているんだろうと思う。
 これは視点は違うけれども、政府は日本政策投資銀行についてもやみくもに民営化、民営化なんて言っていたけれども、ちょっとこれは方向転換をしたわけだよね。悪性インフルエンザならぬ民営化のはやりというのは、これはやっぱりもう一遍、これだけの時間がたってみたら、大臣の言葉、なかなかうまいことをおっしゃるなと思ったけれども、かさかさした社会つくっていいのかと、潤いのある社会でなきゃならぬと、こうおっしゃった。そういうことが今見直しの時期に来ているんじゃないか、こう思いますが、これは何も郵政の社長にそのことを今お聞きするつもりはないんです。これは私の意見として、今日せっかくの委員会ですから、皆さんにもお訴えしておきたいと思います。
 そこで、少し具体の問題を幾つか聞いておきたいと思うんですが、先ほど同僚議員からも出ましたが、横山専務の疑惑について私は、低料第三種問題にも絡んでいる、こんなふうに思います。
 横山専務が決裁した博報堂の一括契約によって、十九年度の博報堂への支出は何と前年度の十九億円から一挙に七倍の百四十六億円に上がった。また、二十年度、その翌年ということになりますが、二百二十二億円にも増えている。横山氏がこの利権を与えたとも言って過言でないんじゃないかと、こう思うんですが、そこで、先ほど大臣がむしろこのことをおっしゃったが、横山さんは四月十六日、博報堂エルグの社長らが逮捕されても、さらには五月七日の博報堂本社から契約自粛の申入れがあったにもかかわらず、まだ博報堂とずっとやりなさいということを指示をし続けた。これは極めて奇怪な、いや、公的な組織の専務としてあるまじき行為ではないのか。大臣、うなずいているけれども、まさにそうだと。そこで、総務大臣が六月三日に、何だこれはと、こう指摘をなさって、ようやくこれは転換を図る、博報堂との契約はやめると、こうなった。
 なのに、西川さん、そこで私は聞きたいのは、あなた、四月、五月の段階でこうした状況があったにもかかわらず、何ら是正をされない、その指示もなさらなかった、大問題になっているのに。これはなぜだったんですか。
○参考人(西川善文君) 博報堂との契約につきましては、博報堂エルグの役員の逮捕後、グループ各社の契約状況の調査を行うとともに、捜査等の進展に応じて適切に対処することといたしておりました。横山専務の事柄については、誤った情報が伝わっているんじゃないかというふうに私は理解をいたしております。
 その後、同社の役員が起訴されたこと等を踏まえまして、当面、新規の契約は見合わせることとし、博報堂を責任代理店とすることをやめるということとしたものでございます。
○又市征治君 総務省に対する報告徴求に対して答えなさっていることと違うんじゃないですか、これは。私、あなたのお話聞いていて、どうも時々腑に落ちなくなる。意見が違ってもいいんだけれども、しかし腑に落ちない。
 あなたは前に私に対して、いや、横山氏は優秀だと、三井住友はいつでも戻ってこいと、こう言っている、こう開き直られた。今回も彼をかばって、彼のところへまともな情報が上がっていなかったんじゃないかと。私、そんなこと聞いているんじゃなくて、これだけ問題になっているのに、そして総務省からの報告徴求に対しても公式にお答えになっているのに、まだこれをかばっておいでになる。つまり、国民から預かった国民共有財産である郵政会社、これを何だと心得ておいでになるのか。私、この一事をもってしても、あなたね、国一〇〇%出資会社の責任者として、どうもこれは納得できないと、こう言わざるを得ない。
 鳩山大臣、この問題について、ちょっと違うんじゃないですか。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 又市先生、雄弁に語っておられるとおりなんです。
 四月二十一日に、さっきも言いましたけれども、横山専務の判断として博報堂は切らないと、早急に切る必要はないということが言われているんです。四月二十三日の宣伝会議では、多分、日本郵政から子会社全部集まる会議で、これは責任代理店という制度があるからこういう会議をやるんでしょう、この案件は経営判断であると、新たな方針を示さないということはそのままの方針であると。つまり、博報堂を使い続ける、経営判断として決定したのだから、異議があれば横山専務に申し立ててくれという発言があっているんですね。つまり横山専務が、いろいろあったがこれからも博報堂でいくと、だから文句があったら横山専務に言えと、こういう話になっている。
 その辺が余りに不透明で、まさに何らかの癒着があるんではないかと思うでしょう、常識的に。思うから報告徴求したら、この部分について全く答えなかったんですよ。もう私をこけにした、ばかにしたような報告書、法律上の報告徴求したら何にも書いてこない。そういうガバナンスは問題ですよと私は申し上げている。
○又市征治君 そこで、次の問題に移ります。
 もう一つ、四月に発足した日通との小包合弁企業、JPエクスプレスでは、非正規社員、いわゆるゆうメイトの大量首切りをしようとしている。これを私は三月十九日、この委員会で質問して、あなた方は、非正規社員から正規社員に登用するという雇用政策、さらには一昨年十一月、これもこの委員会で西川さん、答弁をいただきましたが、非正規のウエートが非常に高くなってきたと、これはいろいろとマイナス影響も出ていると、こうおっしゃった。こういう認識と今の対応、全く違うんじゃないのか、おかしいんじゃないのか、こう答えながら。国会をばかにしているのかと、こう言いたくなる。
 具体的に伺いますが、JPエクスプレスへ日通の労働者の皆さんは多くがそのまま継続して雇われるけれども、郵便事業会社由来の期間雇用社員の方は新会社にほとんど異動できない。全国で数千人から一万人が非正規ゆえに職を失うのではないか、こう言われている。
 まず、現在、郵便事業会社の期間雇用社員十五万人余りのうち、ゆうパック事業に携わっている人の数。二つ目に、またそのうちJPエクスプレスに移行できる人数は何人と見ているのか。三つ目に、その差、つまり会社都合によって職を失う人たちの数と、これにどういう一体全体雇用政策を取ろうとしているのか、これについてお答えください。
○参考人(伊東敏朗君) お答えいたします。
 郵便事業会社におきまして現在ゆうパックにかかわっている社員についてのお尋ねでございますが、特に期間雇用社員についてのお尋ねでございますが、トータルとして、期間雇用社員、現在十五万二千人雇用しております。当然のことながら、一人で手紙、はがきの仕事をしたり、ゆうパックの仕事をしている人が多数おりますので、何人がゆうパックを扱っているという数字の把握はしておりません。したがって、ゆうパック業務に携わっている社員数ということでは今データは私ども持っていないものでございます。
 それから、何人JPEXに必要としているのかということでございますが、トータルといたしまして、JPEXが日通のペリカン業務、それから郵便事業会社のゆうパック業務を行うに当たりまして必要な契約社員数というのは八千五百人を予定しております。
 その言ってみれば差引きがどうなるのかという御指摘でございます。これにつきましては、当然のことながら、二つの事業を一緒にすることによって効率的なネットワーク、効率的な会社ということを目指しますので、その間に当然のことながら必要となる人員調整というのは出てくると思っておりますが、可能な限りそれぞれの関係者の希望を踏まえた上で、先生御心配のようなことにならないような対応を今後していく予定でございます。
○又市征治君 伊東さん、あなたいつもそう言われるんだよね、あなた方の答弁というのは。
 既に四月から十五万人全員が六月までの三か月雇用に短縮されている、現場では。明日の我が身も分からないという不安を募らせているわけですよ、この人たちは。そこへ、一人ずつ呼び出されて、あなたがおっしゃったようにみんなの意向を聞いている。意向確認書を書かされて、賃金ダウンや業務替え、遠方への配転を選ばされて、嫌なら自発的に退職せよ、こういう誘導じゃないですか。そして、行くのも残るのも保証はないよと。つまり解雇通告ですよ。
 八月と十月で新会社に完全移行により全国で数千人から一万人が非正規ゆえに職を失うといってみんな不安がっている。新会社への採用数一覧が公表されていますね。例えば、千葉県内の浦安、船橋、千葉の三か所だけで推定二百人がいわゆる雇い止めにされる、こう見られている。
 しかし、これは大変に違法行為ですよ。事業譲渡による解雇というのは平成十五年四月十日の厚生労働省通知で禁止をされています。期間雇用だといっても、実際はそれをどんどん更新をし続けているわけだからこれは適用されないんだ、そういう臨時みたいな格好ではね。だから実質はこれに抵触をする。
 そこで、西川社長、お聞きになっておって、雇用安定、非正規労働者は今切り捨てはいかぬ、派遣切りやめさせろと、こう政府も言っているわけですよ。そのときに、政府一〇〇%の出資会社で、孫会社でこういう不当解雇を制度化をするなんというばかな話、これ許されていいんですか。
○参考人(西川善文君) 先生の御指摘誠にごもっともでございまして、JPEX一社については今伊東常務がお答えしたとおりでございますけれども、グループ全体としてやはり雇用という問題を考えてまいらなきゃならないというふうに私は思っております。
 以上です。
○又市征治君 何か意味がよく分からないですね。もうちょっと責任を持って、何か聞いていると、私も余り人の首切る話を一緒にするのは嫌な方なんだけれども、だんだんだんだん何を言っているんだかという、今具体の話を聞いているときに、まして事前通告してあるわけでしょう。
 そこで、社長、もう時間がなくなってきましたから、今冒頭から申し上げてきた、あるいは今日の委員会が長谷川委員以下ずっと問うてまいりましたかんぽの宿の売却を始めとしてこれまで出されている不祥事やあるいは疑惑、あるいは不適切な経営問題、責任が大きく問われている。これは政争の具なんというたぐいのものじゃないんですね。
 加えて、決算が黒字とはいえ、中期計画を大きく下回っています。六月二十九日の株主総会を控えているわけだけれども、再任はおかしいというのは国民の今や共通の理解になっている。さっき長谷川さんもおっしゃった。先週行われた民放の二つぐらいの調査を見ますと、やはり西川さん、お辞めになるべきだというのは七割、こんな格好だ。鳩山さんが言っていることはよく分かると、こういう格好になっている。仮に西川社長の人事が国会同意人事なら、間違いなく参議院では否決ですよ、これは、今この空気は。そのことをしっかりと受け止められるべきだと私は思う。
 民営化推進のお仲間である指名委員会がどう言われるにせよ、これだけ国民の信頼を失って、責任者が責任を取らないで事業がうまくいくわけがない。経営者、指導者というのは、これは釈迦に説法だけれども、結果責任じゃありませんか。
 そういう意味で、あなたを始めとした、私は人心一新をもって出直しが必要なんではないかと、こう思うけれども、晩節を汚されないように、あなたの決断をここで最後にお伺いしておきたい。
○参考人(西川善文君) お答えいたします。
 先生の御意見をよく受け止めまして考えてまいりたいと思います。
○又市征治君 最後に、大臣に伺います。
 あなたの日本郵政の今日のありように対する様々な指摘、これについてはこの委員会全体的には多くの人が支持をしてきた、私もその一人であります。
 しかし、先ほどもちょっと申し上げましたが、残念ながら政治家の中にもこれを政争の具として扱っていろいろとしゃべる人がいる。あるいは、一部のジャーナリズムも事の本質を見失ってそういう報道をされている。ひどい例は、与党のある幹部は、鳩山氏は選挙が強くない、選挙のことを考えて、かんぽの宿問題で人気があったので突っ走るしかないんだろうと。どこかのまた幹部は、鳩山氏も西川氏もどっちもどっちだと。これで一体全体、国民共有財産問題をどうするかという論議をしていることに対して、かつて総理か何か知りませんけれども、こんなことを言っている人がいるのは情けないな、同じ政治家としてと、こう思います。
 私は、冒頭申し上げたように、強引な民営化による利益優先経営と三事業の四分社化、そして三事業のユニバーサルサービスの低下と郵政労働者の酷使、そして一連の不祥事をもたらした、こういうことだと思いますけれども、だからこそ今その是正が日本郵政に求められている、グループ全体に求められている、こんなふうに思うし、そのことに頑張ってもらいたい。こういうことで現場で働く人々には特にそのことを呼びかけたいと思うんですけれども、その観点から、大臣が日本郵政に一連の不祥事や不適切経営の責任を問う権限を行使されるとおっしゃっていることについては支持をしたいと思う。
 と同時に、私は、そのことについての大臣のもう一度改めて決意と、もう一つは、そうは言いながら、総務省はこうした不祥事続きの郵政そのものの監督責任もある。この問題もどうするのかという問題もまた私は問わなきゃならぬのだろう、国民もまたそのことを求めているだろうと思う。
 そういう意味で、あなたがおっしゃる正義の実現のために、この二点について、最後に決意のほどをお伺いしておきたい。
○国務大臣(鳩山邦夫君) 様々な問題について監督責任があることは間違いがありませんから、低料第三種を悪用した事件とか様々な事柄については、あるいはかんぽ生命の不払の件がずっとほったらかしになって、そのために費用が掛かって、逆にお客さんである保険金を受け取れる人の金額が百億ぐらい減ってしまう、こういうことについては本当に心からおわびをしなければいけないと思うし、もっといい監督、厳しい監督の方法について考えていかなければならないと、こう思っております。
 私は、こんなことが新聞に毎日出ますけれども、非常に残念でございまして、これは政争だとか選挙とか全く関係のないことですよ。国民の常識、それが政界の常識、私の常識でなければいけないと思って、私は常識的に判断をさせていただこうと思っております。

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(以上,09年6月9日参議院総務委員会会議録から一部転載)

 では,またしばらく開くと思います。これにて。

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2009年1月31日 (土)

E.トッド『世界の多様性』

 12月4日(木)の会議録,まだアップされていませんね。まさか,手続に瑕疵があったわけでもないのでしょうに。。。

 あっと言う間に1月も末日を迎えてしまいました。なぜか誕生日を迎えた人が縁のあるところに2人もいる,(人づきあいの悪い私には)珍しい一日です。

 ところで,私が家族法にもそれなりに関心をもてるようになったのは,2004年7月15日に刊行された『国際私法判例百選』において,(「保険代位」に加えて)なぜか「夫婦共同養子縁組」の執筆が割り当てられたのがきっかけです(その意味では,編者に感謝もしております)。

 家族法においては,諸国間で,一夫一婦制あり一夫多妻制あり,離婚が認められる多数の国あり認められない若干の国あり,といった多様な差異があり,準拠法を決める意味が比較的理解しやすいかと思われます。
 で,国際私法の基本は,当事者にとっての最密接関係地法を価値中立的に導き出すということにありますから,準拠法決定の段階では,特定の実質法を見ることなく「暗闇への跳躍」をする,ということになります(特定の実質法を見るのは,準拠法が決定された後の適用の段階の話です)。その意味で,適切に準拠法を決めるために各国実質法上の制度を詳しく知る必要は,基本的にありません。
 ただ,例えば,親子の結び付きの強さという点で,日本人と英国人には大きな差がある,といったことに接すると,その種の話に興味が湧くところがあります。

 それでも,関心の中心は今でも財産法にあるところ,昨年10月に国際養子縁組事件の判例評釈を書き,その後は国籍法一部改正に注意を引かれたりしながら過ごしてきた年明けに,タイトルに引かれて購入した書籍がありました。これがなかなか面白く,今頃この著者を知ったのが不覚ではありますが,備忘録として少し書いておきます。

 エマニュエル・トッド(荻野文隆訳)『世界の多様性-家族構造と近代性』(藤原書店・2008年)(原著は1999年刊で,それに収録されている2作品はそれぞれ83年と84年刊)

 家族構造の分析を専門とする人類学者・社会学者である著者は,配偶者の選択プロセスの自由さ(自由)と,家族関係と社会関係における対称性(平等)という2つの観点から,世界の家族構造を8つの家族類型に分類しています。
 1.外婚制共同体家族(例.ロシア,中国)(77頁以下)
 2.権威主義家族(例.ドイツ,日本,韓国・朝鮮,ユダヤ)(107頁以下)
 3.平等主義核家族(例.フランス北部,ラテン・アメリカ)(161頁以下)
 4.絶対核家族(例.アングロ・サクソン世界)(同上)
 5.内婚制共同体家族(例.アラブ世界)(205頁以下)
 6.非対称型共同体家族(例.インド南部)(233頁以下)
 7.アノミー家族(例.カンボジア,インドネシア,フィリピン)(255頁以下)
 8.アフリカ型諸家族システム(281頁以下)

 それぞれの家族類型の特性も興味深い(内容については,私には検証不能)ですが,最も興味深い点は,日本がドイツと同じ「権威主義家族」という類型に分類されていることで,明治維新からの両国の親近性は,家族という下部構造にこそあったのではないかという推測が可能です(この点は,少しずつ機会を得て勉強します)。
 「権威主義家族」を論じる『第三惑星-家族構造とイデオロギー・システム』の第3章には,「時間的な軸」と題する一節があり,その冒頭に次のような記述があります。

 権威主義家族を基礎とした社会システムの主要な安定軸は,時間的なものである。権威主義モデルを実践している民族は共通して強い歴史的な意識をもち,この人類学的な類型の特徴である血族的な理想の自然な反映として線的な時間の鋭い感覚をもっている。権威主義家族は,世代の途切れることのない継承,理論上限りなく続く家族集団の恒久性を組織するのである。それは権威主義家族の目的であり機能である。息子は父と代わり,孫は息子と代わるといった具合に続けられる。

(トッド・前掲 114頁)
 これは,(少なくとも私には)実感としてもよく分かる話であり,日本における企業のあるべき姿や雇用形態についても考えさせられるところがあります。短期的な視点からの仕組みは,そもそも日本には合わないはずなのです(時価会計など,入れるべきではなかったのです)。

 「権威主義家族」について,もう1点,特に私の注意を引いた箇所を引用します。2つの核家族について論じる第4章の「根無し草化」と題する一節の冒頭部分です。

 識字化,都市化,工業化の複合的なプロセスによるイングランドとフランス(北部)の伝統的社会の根無し草化は,両親と子供たちの補完性に固執する家族的理想によって統合された文化の根無し草化ほどには苦痛を伴うものではなかった。農村からの脱出が世代を分離し,複合家族の核を破壊するのは,外婚性共同体モデルと権威主義モデルの場合である。核家族を特権化する構造においては影響がない。なぜならそのような社会システムでは家族の統一性の早期の分裂は価値あるものとされており,個人的な自立が幼少期から始まる訓練によって準備されているからだ。

(トッド・前掲 166-167頁)
 ここに突然「家族の統一性」という概念が出てきて,ハッとしました。と言うのは,かつて「夫婦関係にある者による養子縁組の準拠法と夫婦の一体性の利益」(千葉大学法学論集19巻3号(2004年)49頁)という論文において,日本の国際私法に強い影響をもっているドイツ国際私法を調べたときに出てきたキーワードだったからです。
 養子縁組の準拠法について,1986年改正前のドイツは,現在の日本と同様の規定を置いていた(民法施行法22条)ところ,同年の改正により「夫婦の一方または双方による縁組は,14条1項により定められる婚姻の一般的効力の準拠法による。」という規定を追加しました。この立法提案や,改正前の同旨の有力な解釈論の根拠として,唐突に「家族の統一性の利益」というのが出てくるのですが,ドイツ国際私法においては自明のことのようで,この概念についての説明はなされていませんでした(拙稿・前掲66,69頁参照)。拙稿においてはそれ以上深める必要がなかったのでそのままになっていましたが,この概念は頭から離れていません。
 ちなみに,現在の自説は,86年改正前のドイツの解釈論と同じような位置づけになるのかと思います(この関連では,最近のものでは,中西康「国際親子法の展望」民商法雑誌135巻6号(2007年)954頁,979-981頁もご参照ください)。
 拙稿にこんなことを書いていたのかと,それも興味深く思いますので,引用しておきます。

 この「家族の統一性(一体性)の利益(原則)」が(西)ドイツにおいて当然視され共通了解であり続けた理由については,戦後一貫して家族の解体へと進んでいるかに見えるわが国の現況に照らすと,むしろ現在でこそ興味深いものがあるが,現時点ではそれを追究する用意がない。

(拙稿・前掲85頁注43)
 まだまだです。

 トッドに戻りますと,『第三惑星』の結論部分に以下のような記述があり,国籍の本質にも通ずる示唆的なものだと思われます。

生物学的,社会的な再生産の単位である家族は,その構造を存続させるために歴史や生命からの意味づけを必要とはしないのである。家族は世代を通して,同様な形態として再生産されるのである。子供たちが家族の面々を無意識のうちに模倣するだけで,人類学上のシステムが継続するには十分なのである。愛情と分裂の場である家族の繋がりを再生産することは,DNA-RNAの遺伝子サイクルのように,意識的な操作も必要としない作業なのである。それは盲目的で,非理性的なメカニズムであり,まさに無意識的で目に見えないものであるために強力であり,揺るぎないメカニズムなのである。

(トッド・前掲 290頁)
 今般の国籍法の議論において,ほとんど仮装(偽装)認知防止のためのDNA鑑定にのみ焦点が当たり,旧3条1項の「婚姻要件」が担っていたもう1つの意味=我が国との結び付きの観点がほとんど無視されてしまったことに,少し淋しさを覚えるものです。
 今月出た,原田央「最高裁平成20年6月4日大法廷判決をめぐって-国際私法の観点から」法学教室341号(2009年)6頁が,深い考察から多くの問題点を鋭く指摘していますので,ご参照ください。
 法務省にはやはり国際私法の観点が欠落しているようですので,改めて書くことになるでしょう。

 最後に,この大著の翻訳という大仕事に敬意を表する意味で,「訳者解説『多様性と歴史性』」からも引用させていただきます。

1949年から本格的に共産主義体制をとりいれることで1980年代初頭には男女の就労の平等やほぼ 100パーセントに近い育児制度の実現をみた平等主義社会としての中国社会は,アメリカをモデルとした猛烈な市場原理主義を追求することで,既に格差の規模においてアメリカ社会を追い抜いてしまったのである。(中略)『世界の多様性』の分析は,平等主義と権威主義を基底とする共同体家族(外婚性ではあるが交叉イトコ婚が頻繁に行われていた)の中国社会のなかで,この転換が一体どのような軋轢と対立のメカニズムを生み出すのかを理解する手立てともなるだろう。
 現在進行する日本社会の変貌も,まさにこの方向で押し進められているのである。その様相は,人類学的条件の異なる文化のモデルを短絡的に導入することの重大な危険性を深刻に物語っているように見える。『世界の多様性』の日本語版の刊行に最も期待されることのひとつは,隣人たちの選択への理解を深めるための認識を提供してくれるだけではなく,日本社会そのものの歩みをも,今一度振り返る機会をもたらしてくれることではないだろうか。

(トッド・前掲 555頁(荻野文隆))
 国際私法とは多様性を尊重する「棲み分け」の理論であるところ,「グローバリゼーション」というスローガンに流された同業者が多数に上ったことは,本当に嘆かわしいことでありました。今でもその状況に変わりはないとも思われますが,新進の方々の奮起にも期待しています。

 話を戻して・・・,前掲書は極めて刺激的な著作であり,また世界的にも大きな反響を呼んだとのことでもあり,一読をお薦めしますし,私自身,このあたりの文献にも少しずつ手を伸ばしていこうと考えているところです。では,このへんで。

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2008年11月11日 (火)

椎名麻紗枝=今西憲之『無法回収』

 一時金給付につき高額所得者には辞退を求める,ということになるようですが,「嘘つきが得をする」ということで,昨今の規制の緩い市場競争において「嘘つき」の跋扈を許してきた構造を温存する(Not CHANGE)という発想なのですね!? 呆れました(居酒屋の件も,ですが)。

 ところで,最近,椎名麻紗枝=今西憲之『無法回収 「不良債権ビジネス」の底知れぬ深き闇』(講談社・2008年)という近刊を読みました。これは,(ある角度から書かれた)久々の超重要書籍だと判断しますので,金融法制度の検討の素材の1つとされることをお薦めします。

 まず,章立てから。

序章 「債権回収」の無間地獄
第1章 骨までしゃぶる「回収の闇紳士」
第2章 RCCの罪と罰
第3章 回収の手先と化した裁判所
第4章 京都の名刹をめぐる「謀略」
第5章 RCC歴代社長のスキャンダル
第6章 棄民国家・ニッポン
終章 「ハゲタカ」から国民を守る方法

 貸金業法の改正による「サラ金崩壊」以後,債権回収業務に活路が見出されているようで,「第二のサラ金地獄」の様相を呈してきているようです。国を挙げての(国策としての?)恐ろしい現実が書かれてあります(今や,最後の頼みの綱である裁判所さえも,信用できなくなりつつあるような・・・)。引用したいところがたくさんありますが,控えます。ぜひお読みください(金欠の学生さんは,図書館に購入申請するといった方法もありますね。マスコミがこぞって持ち上げる人物には,後々のために,少し警戒する癖をつけた方がいいですよ(教訓))。

 2カ所,引用させていただきます。

バブル崩壊後,不良債権に苦しんでいた金融機関は,サービサー(債権回収業者-引用者注)を歓迎した。
 (中略)
あまりに不良債権が膨大だったため,国は金融サービサー法(債権管理回収業に関する特別措置法-引用者注)を整備し,公的資金を金融機関に注入せざるをえなかった。それは要するに,「税金」という形で国民にツケをまわしただけの話だ。
 その結果,得をしたのはだれか。金融機関の弱みにつけ込み,ごくごく安価で債権を仕入れ,たいへんな高値で転売して暴利を貪った者たちだ。そこに利益が生まれても,支払った税金を使われた国民には,1円たりとも還元していない。
 そればかりか,それまでになかった「回収のスペシャリスト」が数多く誕生した。中には救われた人もいるのかもしれないが,圧倒的に多くの人々が不幸な結末を余儀なくされた。

 (中略)

 『Q&Aサービサー法』(法務省債権回収監督室編,商事法務研究会)の監修者となっている自民党の杉浦正健衆議院議員は,弁護士資格を持ち,自民党ワーキングチームの座長を務めた,いわば金融サービサー法の生みの親の一人である。
 (中略)そこ(同法-引用者注)に決定的に欠けているのが,取り立てられる側,「債務者の視点」だ。

(以上,椎名=今西・前掲 44-45頁)

不可解なのは,港債権回収は,三井住友銀行からは4000万円程度で買い取っているらしいのに,港債権回収の代理人の弁護士によれば,W・ケイマンカンパニーはその翌日に,港債権回収から9000万円を超える高額で買い取っているらしいことだ。
 (中略)考えられることは,港債権回収は,投資家から高い評価を得るために,高い回収実績を出す必要があったのではないか,ということだ。事実,港債権回収は,スタンダード&プアーズから,商業用ローン・スペシャル・金融サービサーの評価として,日本初の最上級評価「能力が極めて高い」を付与されている。

(椎名=今西・前掲 60-61頁)

 「らしい」「らしい」とあるように,債権が実際にいくらで売買されているかを確認することは,なかなか難しいようです。
 それはともかく,2つの部分(およびそれらの前後)を眺めると,個別に疑問を感じてきたことが繋がってくるように思われます。

 法例廃止の発端は,平成13年3月30日に閣議決定された「規制改革推進3か年計画」において,債権譲渡の対第三者効力につき債務者の住所地法を準拠法としていた法例12条に(それがバルク・セールの障害になるという-筆者注)クレームがついたことにありました(2006年4月19日(水)「『法の適用に関する通則法』参議院法務委員会通過-特に規制改革との関係で-」を参照)。
 そして,それが通則法23条に「改正」される過程では,債権者の常居所地法を準拠法とすべきだとする「たたき台」までが現れる始末でしたが,幸いなことに,それは斥けられました(この「たたき台」によれば,ケイマン法人による債権譲渡の対第三者効力については,ケイマン法が現実に準拠法とされる事態が生じていたことになりますね)。しかし,この「たたき台」だけでなく,通則法23条にも,「債務者の視点」は欠けています(例えば,拙稿「国際私法の現代化における法例10条・12条関連の改正作業の問題点」千葉大学法学論集20巻2号(2005年)93頁,特に, 111-118頁, 125-129頁参照)。

 通則法が成立した当時の法務大臣は,偶然なのか(必然なのか?),杉浦正健衆議院議員で,杉浦大臣(当時)には,日本国憲法の原文が英文であることが何かよいことのように答弁されたことに驚いたことがありました(2006年4月24日(月)「『法の適用に関する通則法』名称ほか」の後半参照)。
 しかしながら,これには米国製の制度に対する抵抗感のなさが表れており,それが債権者の債権回収のための制度改正に突っ走った司法エリートたちの根底に流れているものと共通するものでもあるのだろうと推測します(その根底に流れているものの原因として推測される点については,2008年3月15日(土)「日本のエリートの致命的弱点」参照)。
 そして,ここに,「信用」崩壊の一因でもあるのではないかと疑われる「格付け会社」がからんでくるとなると,一貫した構造の存在が疑われることにもなりますね(この関連では,2008年4月1日(火)「格付け制度の破綻?」参照)。

 いろいろと思索する契機として貴重な書籍ですので,ご紹介しました。

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2008年8月10日 (日)

私の「前近代的」(?)感覚

 暑い日が続きますが,皆様にはお変わりないでしょうか?

 さて,今年も「生と死」をより意識する時季になり,11年ぶりに奥秩父に行ってきました。その際,門田隆将『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮社・2008年)を読んだりしておりました。妻子を殺害された青年が,妻子を守れなかったことで自分を追い詰め,しかし周囲の温情溢れる支えもあって闘い続け,人間的に成長していく姿が,丁寧に描かれていると思います。
 ニュースでは折々に拝見してその度に頭の下がる思いでしたが,ご本人は自殺を考えるほどであったということで(静かに思いやればそれも想像できることとはいえ),やはり言葉に言い表せない苦しみを味わわれたのだということを,しみじみと感じます。

 専門外なので控えめに書いておきますが,私は以前から特に殺人などの重罪の刑罰が軽すぎるのではないかと後輩に余計なことを言ったりしておりまして,1人であっても人の命を奪った者には原則として死刑が科されるべきではないかという疑問をもっております。国家が仇討ちを許していない以上,国家の方できちんと示しをつけていただきたいということです(冤罪のないように,証拠に基づく裁判がなされるべきことは,それとは別の問題です。この点では,裁判員制度において証拠調べが簡略化されることは,極めて恐ろしいことです。ボタンを掛け違えると後々まで禍根を残すということは,特に前世紀末から今世紀に入って現在までの「改革」一般に妥当することであると,後世は評価することでしょう)。

 それから,少年については,その可塑性を考えて少年法51条以下が設けられているのでしょうが,物事には大目に見ることのできるものとできないものとがあり,殺人などは明らかに後者でしょう。ところが,(上記の事件とは無関係なので完全に蛇足ですが)少年法51条は,「罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては」,2項で「無期刑をもつて処断すべきときであつても,有期の懲役又は禁錮を科することができる。」としつつ,1項では「死刑をもつて処断すべきときは,無期刑を科する。」とのみしており,私などは,1項にも「ことができる」を付け加えるべきではないかと考えるものです。

 いずれにしても,前掲書をお読みいただいてお考えいただければ,と思います(エピローグで,死刑判決を受けた後のFへの面会の様子が記述されていて,これも意義深いものと思います)。

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2008年5月30日 (金)

米国の悲惨への「加速化」?

 昨年4月に,「医療」・「食品」・「教育」といった領域にまで危機が迫っていることを警告する,関岡英之=和田秀樹『「改革」にダマされるな!-私たちの医療、安全、教育はこうなる』(PHP研究所・2007年)をご紹介しました(2007年4月16日(月)「『改革』にダマされるな!」)。
 その後,7月の学部の授業の最終回で「代理出産の最高裁決定」を採り上げたところ卒業生が聴講に来てくれたのですが,昼食の際に,「格差社会」というのは,そうでなければ人が来ない職域向けの人的資源が確保されるための社会であるという側面があるという話をした記憶があります(もっと砕けた話し方だったのですが,こんな文章にしておきます)。

 そうしたところ,「加速化」という日本語らしくない(翻訳語調の!)言葉を,頻繁に目や耳にするようになりました。その「加速化」の先がどうなっているのかについて,ショッキングかつあまりに悲惨な状況が既に活字で紹介され評判になっているようです。今さらの感もなくはありませんが,これは多くの方がお読みになって,現実にこのようになってはならない日本の近未来の姿をしっかりと認識しておくべきであると思います。

 堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書・2008年)という書籍です。目次のみ,示しておきます。
第1章 貧困が生み出す肥満国民
第2章 民営化による国内難民と自由化による経済難民
第3章 一度の病気で貧困層に転落する人々
第4章 出口をふさがれる若者たち
第5章 世界中のワーキングプアが支える「民営化された戦争」

 このような悲惨な状況にならないためには,各人が自分の持ち場で,できることから少しずつでもやる,というしかないと思います。
 その成功例としては,「貸金業法の改正」があります。金利がダメならATMの利用料という形で,というように,まだまだ油断できない状況のようですが,その点も含めて,次の書籍が重要です。

 横田一『クレジット・サラ金列島で闘う人びと』(岩波書店・2008年)。その「あとがき」から引用します。

 「小さな政府」「官から民へ」をキャッチフレーズにした小泉政権の構造改革・規制緩和路線は,実は,アメリカ型弱肉強食社会を目指すものであった。これは大多数の国民にとっては恩恵をもたらすどころか,富める者と貧しい者の格差拡大を招き,六本木ヒルズに象徴される都市の栄華と,財政破綻した夕張市に代表される地方の疲弊も生むことにもなった。
 (中略)
 しかし小泉構造改革を引き継いだ安倍政権は参院選で惨敗し,その後の首相辞任で誕生した福田政権は路線変更を迫られる形となった。
 (中略)
 こうした政治の流れと並べ合わせると,2006年の上限金利引下げを含む歴史的法改正(金利規制強化)は,アメリカ型弱肉強食社会を目指す「構造改革・規制緩和路線」への反転攻勢であったことに気づく。そして医療や教育や労働などの現場でアメリカ型弱肉強食社会への移行が進みつつある現在,今回の金利引下げ運動はそのような他分野での参考になるとも思えるのだ。

 (中略)

クレジット・サラ金列島で闘った人びとの歴史的成果が,そして,今も闘い続けている人びとの積み重ねが,「アメリカ型弱肉強食社会」から「独仏型弱者配慮社会」への転換,さらに言えば弱者が力をつけて強者とも対等に闘えるようになる社会への転換に何らかの形で役立てば,望外の幸せである。

(以上,横田・前掲 160-162頁)

 関係者のご尽力が功を奏した結果,消費者金融のCMも,だいぶ控えめになりました。これに対して,外資系の損保会社のCMは,相変わらず目につきます。
 なぜこのような現在に至ったかの原点に関しては,今こそ,石黒一憲『日本経済再生への法的警鐘-損保危機・行革・金融ビッグバン-』(木鐸社・1998年)が読まれるに相応しいように思います。保険制度の本質や,米国内でも効率一辺倒ではなく州ごとに規制にバラツキがあることなど,重要な指摘が続きます。息が長く,対象密着型の(ある意味,本来はそうあるべき)方法が採られていますので,そのような文章を読み慣れている方でないと,それなりに厳しいかもしれませんが。以下,少しだけ引用しておきます。

 自動車の安全基準の場合を例としよう。「整備不良車や欠陥車を運転する者の自己責任」と言うのならまだ分かる。だが,「それによって事故に巻き込まれる者」はどうなるのか(むしろ後者が「国民の危機管理」の問題の焦点であることに注意せよ)。後者の者は製造物責任訴訟等を起こせばよい,と言うにしても(だが,その消費者が事故で死んでしまったら,一体どうなるのか),一々弁護士を雇って裁判所で争うしか「自分の身」を守れないことになる

 (中略)

 「整備不良車や欠陥車を運転する者の自己責任」を認めて(事前規制としての)「安全」規制を「緩和」することは,その意味において,それまで国家(政府)と企業(メーカー)との緊張関係において処理(”管理”)されていた「”安全”という国民の利益」への侵害(中略)を意味する。つまり,その意味での「危機」は,もはや「企業(メーカー) and/or 整備不良車や欠陥車を運転する者」と「事故の被害者」との関係で「個別管理」されることになる。いわば「危機管理の”民営化”」,ないしは「危機の”分散処理”」の構図である。

(以上,石黒・前掲32頁)
 保険に踏み込む前の問題として,このような当たり前のことが,当時からずいぶんの間,口に出すのも憚られるこわばった空気がありました(あるいは,現在でも?)。「司法制度改革」との連続性も,意識されるべきところでしょう。

 「年令」によるリスク区分をわずか3区分までとし,社会全体として若年層の高リスクを,但し損保制度内在的に処理しようとして来た我が国の自動車保険(任意保険)制度は,それなりに賢明な一つの行き方を示していたと思われる。当該損保制度の全利用者の間での,この穏やかなクロス・サブは,いわば制度利用者全体としての”自己責任”を,”相互扶助の精神”の下に具体化するものであったと言えよう。”利用者負担原則の枠内”でのかかる処理を捨て,直ちに”外部補助”に頼り,国家が(即ち全社会構成員が)直接補助金を高リスク者(車)に交付する,等のことは,徒に一般財政を圧迫するものであり,(中略)まずもって当該制度内在的な処理を行なうべきところと,私は考える

(石黒・前掲 128-129頁)
 直前の部分は,その前後が本書の1つの核に当たるところです。
 「相互扶助の精神」は,マスコミ情報ではどんどんなくなっていっているようですが,例えば千葉ローには色濃く見られるところが救いです。

 最後に,外国の制度を無批判に導入することへの基本的かつ素朴な疑問が鋭く描かれている部分を,引用しておきます。

 規制する側もされる側も,本当の意味で相手を凝視してはいない。日本とて同じことではあろうが,そうであっても何となく社会はまとまる。今はそれが悪いという風潮が日本を支配しているが,果してそうなのであろうか。案外このあたりに,”無限要素の構造物としての社会”を全体として把握する際の,日米の社会構造の差が暗示されているのかも知れない。赤ん坊を俯せに寝かせるアメリカの習わしが戦後の日本で流行し,少なからぬ赤ちゃんが窒息死した。これは,故田中英夫教授の英米法第Ⅱ部の講義で,比較法学の真髄を示すものとして,私を含めた学生達に語られた悲しい逸話である。アメリカは固いベッド,日本は柔らかい蒲団。だから窒息死するのである。そこにおける蒲団とベッドが,(法)制度の受け皿となるそれぞれの現実の社会である。本論文を書き進めつつ,この比喩は”規制緩和論”にもあてはまるな,との思いが,次第に強くなってゆくのである。

(石黒・前掲 151頁)

 ここまで来て,改めて心に留めておくべき西郷さんの至言を引用しておきたくなりましたので,それをもって今回は終わりにします。

廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先づ我國の本體を居(す)ゑ風教を張り、然して後徐(しづ)かに彼の長所を斟酌するものぞ。否らずして猥りに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡(ゐび)して匡救す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。

(山田済斎編『西郷南洲遺訓』(岩波新書・1939年)7-8頁)

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2008年4月 5日 (土)

カラヤン生誕100年

 「法の適用に関する通則法」(案)批判のために始めた拙ブログ,本日で丸2年を迎えました。
 当初はこんなに続けるつもりはありませんでしたし,最近は(信仰をとやかく言うこともないとすると特に採り上げるべき国際私法の文献もないので)ブログのタイトルと投稿の内容に若干の(?)距離が開いてきたようにも思います(山田,溜池,ポイント各論の改訂も,当分ないらしいですし)。

 それはともかく,2日(水)午後・3日(木)午前のオリエンテーションでの司会も無事に終わり,いよいよ自由の身となりました。懇親会や科目別オリエンテーションで冗談をとばし過ぎてしまいまして,無意識のうちに精神的な重石がとれたのかもしれません。まあ,楽しくやりましょう!

 ところで,今日は,不世出の大指揮者カラヤン生誕の日からちょうど 100年目にあたります。
 私の好きな演奏は,シューマンの交響曲第2番,ブルックナーの交響曲第5番(BPO盤),メンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」,マーラーの交響曲第9番(82年ライブ盤),チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」(84年VPO盤),ドリーブのバレエ組曲「コッペリア」などで,それぞれに「心」を捉えられてしまう独特の響きが追求されています。
 また,映像では,作曲者がその地下に眠る聖フローリアン教会でのブルックナーの交響曲第8番など,ヴァイオリンが緑色に光ったりして緊張感や高揚感に溢れ,その神々しさに完全に痺れます(シューマンの交響曲第4番のリハーサルを収録したものも,非常に面白いです)。
 音も映像も美しい状態で残せる時代の初めにほぼ全盛期を迎えることができた,その意味で時代にも最も恵まれた人ですね。

 このカラヤンについては,伝記も多数ありますが,中でも,リチャード・オズボーン(木村博江訳)『ヘルベルト・フォン・カラヤン上・下』(白水社・2001年)が格段に充実していると思います。
 カラヤンの置かれた厳しい状況やそれから生じる苦悩などについて,関係文書や証言を丹念に集めた圧倒的な労作で,数多くあるカラヤン作品のガイドや解説にもなり音楽的にも楽しめますが,そのような狭い領域を超えて,心理的あるいは政治的な読み物としても極めて興味深く読めます。
 カラヤンと親交もあった著者が,しかし対象者との距離を適切に保ち批判的な視点も交えた公平な姿勢を心がけていたことは,「著者あとがき」を読むまでもなく,文章の至る所から読み取れます。また,世間的なカラヤン観に迎合することもしていないところが,好感がもてます。その点は,例えば,カラヤンが最後に指揮したブルックナーの交響曲第7番についての以下の記述に端的に表れています。

 私にとってこのブルックナーの第7番のレコードほど,自分が知っていた人物の最後の日々を鮮やかに蘇らせるものはない。虚飾や「尊大さ」はかけらもない率直な演奏で,感動させようとしていないだけに,なおのこと感動的である。カラヤンは「カラヤン的なるもの」を築きあげもしていたから,彼にその正反対の面が数々あったことも否定できない。だが,私はその側面には接しなかった。人はおのれの見たものを,語るのみである。

(オズボーン・前掲下 464頁;強調は,引用者)

 カラヤンの音楽的レベルの高さは,数々の証言からも示されます。

録音では,歌手は「ここは私の出番じゃない」と思うと,自分が歌う次の箇所に注意を移しがちです。でもカラヤンの指揮はとても興味深く,私は「いまこれを聴いておかなかったら,自分はほんもののバカだ」と思いました。(フレデリカ・フォン・シュターデ。オズボーン・前掲下 335頁)

 「彼(カラヤンのこと-引用者注)にとって大事なのは正確さではなく表現,つまり音楽の流れや,内的な感情の表現だということを知って,私は驚き,感動しました。彼は歌手に自由に歌わせ,助けが必要なときだけ口を出しました。録音のあいだ彼を見ているだけで,大いに勉強になりました。おたがいに年をとりすぎてからそれがわかったことを,私はいつも深く悔やんでいます。」(ドミンゴ。オズボーン・前掲下 458頁)

 4人の主役は全員カラヤンの録音の進め方-長く続けて録音し,突然説明もなしに場面を切り換える-にたじろいだ。ジョゼフィン・バーストウはこう語っている。
 「どの場面を録るのか理解する時間もないほどのことが,よくありました。でも,最初の和音が鳴るとともに-ウィーン・フィルは瞬間的に彼の意思を理解したようでした!-その場面の雰囲気が鮮やかに伝わったのです。たしかに,ときには怖いと思いましたが,あの真剣さや集中力は,いまではもうめったに味わえません。長いあいだ歌ってきて,待つだけの価値はありました。私はあんな水準の音楽づくりがしたくて,歌手になったのですから。」(オズボーン・前掲下 458-459頁)

 これらの証言は,本当に示唆的です。私たちも,このような水準で過ごす時間を,少しでも共有したいものです(比較の対象が,レベル高すぎですね。。。すみません)。

 身近な領域のつまらないものを読む時間があるなら,異分野の優れたものに接した方が,明らかに自分のためになりますよ。私はそう思いますね。

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2008年4月 1日 (火)

格付け制度の破綻?

 もう6年前になりましたか,日本の国債の格付けがボツワナ以下に下げられたと言ってちょっとした騒ぎになったことがあり,いわゆる格付け機関とはいったい何様なのかと疑問に思っておりました。そうしたところ,本山美彦『格付け洗脳とアメリカ支配の終わり』(ビジネス社・2008年)という新刊においてそのあたりのことが鋭く抉られています。章立てと,「あとがき」から引用しておきます。ぜひとも,同書をお読みいただきたく存じます。

序章 「巨大貧困層」誕生の裏側
第1章 サブプライム問題と米国金融支配の崩壊
第2章 深すぎるマネーゲームの闇
第3章 国家や企業を左右する「新しい支配者」
第4章 米国の巨大金融権力と「人脈」
第5章 二大格付け会社「独占」の構図
第6章 世界を破綻させるリスク・ビジネス

(以下,本山・前掲 222-224頁から引用)
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 格付け会社は,現代社会の帝王である。群雄割拠状態ではなく,2,3人の帝王が共存しながら,現代社会の共同統治を行っている。帝王はあの世ではなく,現世の閻魔大王だ。
 (中略)
 多くの企業は,金融に関して一種の自転車操業をしている。過去の借入金を新たな借金で返済するのが,普通の姿である。低い格付けをくらうと借り換えができずに,その企業はあっという間に破綻してしまう。

 (中略)1990年以前なら,企業の資金調達の多くは銀行を経由するものだった。(中略)
 昔の銀行には,顧客である企業を育てようという「心意気」があった。銀行員は,担当企業と末永く付き合うため,徹底した業界研究を行っていた。銀行は,貸し出しに当たって,顧客の信用や経営能力を徹底的に調べ上げていた。
 国家もまた,業種に応じた種類の異なる金融機関を用意していた。
 素材産業や重厚長大型産業は,一般的にはそのもうけは大きくない。自分の製品の販売先が,市民のようなアマチュアではなく,企業という名のプロフェッショナルだからである。
 (中略)
 このような,もうからないけれども国家にとって大事な基幹産業に育てるべく設立されたのが,長期信用銀行系統の金融機関だった。もうからない産業に融資するのだから,長期信用銀行系統の金融機関も,そんなにもうかるはずがない。
 しかし,もうからない金融機関は市場から撤退しろというのが,米国流の考え方である。
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(以上,本山・前掲 222-224頁から引用)

 長銀といえば,浜田和幸『ハゲタカが嗤った日 リップルウッド=新生銀行「隠された真実」』(集英社インターナショナル・2004年)が衝撃的な内容でしたが・・・

(以下,本山・前掲 225-228頁から引用)
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無知な消費者相手の産業はもうかる。こういう産業には,都市銀行を張り付ける。
 (中略)
 ところが,古い体質の銀行は護送船団方式にどっぷりと浸かり,時代の変化についていけないから,即刻解体すべきだという批判が,米国,および日本国内の「米国礼賛者」たちから主張され始めた。全国規模で運営されていた日本の都市銀行は,あっという間に片手で数えられるほどにまで減少した。
 では聞こう。
 少数になった銀行,直接金融として称揚された証券会社が,いまの時代の変化についていけたのか。ついていけたのなら,どうしてサブプライム・ローンという初歩的な詐欺に引っ掛かってしまったのか。
 我々は,こうした金融の根幹にかかわる「問い」を,常に立てるべきである。

 (中略)

高い格付けを得ようとすれば,企業は,米国の新古典派経済学者や,ワシントン・コンセンサスを信奉する政治家・企業家の考え方通りに,自己を変えるしかない。米国流のワシントン・コンセンサスという文明をソフト面で作り上げ,普及させるのが,格付け会社ではないのか。閻魔大王が与える評価は,単なる一企業の一意見では断じてないのである。
 その面では,米国の大手会計事務所も同じような役割を演じてきた。この業界もまた,とんでもない寡占状態にある。さらに金融コングロマリット(各種金融業務を傘下に収めている金融機関)も,証券,銀行,保険分野で,寡占に近い状態を生み出している。
 (中略)
 こうして,企業も人々も格付けに「洗脳」されていくのだ。
 洗脳されるだけではない。帝王が作り出す人脈と接触しなければ,商売一つできなくなってしまった。今日の経済市場は,公明正大な競争社会ではなく,クローニー・キャピタリズム(縁故による資本主義)なのである。
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(以上,本山・前掲 225-228頁から引用)

 以上の問題意識は,3月15日(土)「日本のエリートの致命的弱点」と共通してもいると思います。併せてお考えいただければ幸いです。
 それにしても,仮にですが,格付け機関の評価が必要になるとすると,それを評価する機関の評価も必要になったりして・・・。評価の連鎖?? 悪夢以外の何物でもありませんね。

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2008年3月15日 (土)

日本のエリートの致命的弱点

 少し前に,来年度時間割を含む履修案内の改訂作業や新年度のクラス分けやオリエンテーション日程案の確定などの事務的作業がほぼ終わりました。本当に細かい作業が続くので,どうしても若干の漏れが生じてしまいます。まあしかし,あと半月ほどでそれも終わります。

 ところで,以前,井手壮平『サラ金崩壊』(早川書房・2007年)をご紹介しました。その23頁以下から登場され,例えば24頁では「村上ファンド代表の村上世彰が大阪証券取引所を買収しようと動いた際,『公共インフラである証券取引所の経営権を投資ファンドが握るのは好ましくない』と公開討論会の場で村上と激論を交わした」といったいくつかのエピソード付きで紹介されている金融庁の大森泰人氏が,『金融システムを考える-ひとつの行政現場から-』(金融財政事情研究会・2007年)という著書を出されているのに気が付いて,拝読中です。

 基本的には,勉強させていただくモードで拝読しています。ただ,この中に,我が国のエリートが抱える致命的な弱点が如実に表れているように思われ,落ちこぼれにすぎない自分自身の恥ずべき過去にも振り返って,少し書かせていただきます。

 大森・前掲405頁以下に,「空想の金融システム&金融行政」という論文が,金融財政事情2007年7月9日号および7月16日号から収録されています。その415頁以下の「日本型モデル」という一節に,次のような記述があります。

 私事になるが,かつて市場の制度を考えたり,取引所を監督したりする役まわりだった時期があり,最近では貸金業制度の改革や多重債務問題への対応が仕事になっているので,そこはかとないフラストレーションをしばしば覚える。というのも,「貯蓄から投資へ」といっているうちに,貯蓄さえできない人がたくさんいる国になったからであり,アメリカが,モデルとしてあてにできなくなったからだ。
 銀行の不良債権がふたたび日本経済の桎梏にならぬよう,市場経由型資金仲介を拡大しなければならず,そのためには株主をこれまで以上に大切にしなければならないから,ライブドアや村上ファンドだって一概に否定したくない。(中略)
 とはいえ,金融システム面から資本効率の高い経済を促せば,自動的に国民が幸せになれるとも限らない。企業がグローバルに展開し競争する以上,成長の果実は,労働より資本に手厚く配分することが株価を上げるためにも必要になる。
 (中略)
金融センターとしてのアメリカは,国民が実力以上の生活をするにあまりあるだけの資金を世界中から集め,世界中に再投資してきた。みずからへの債権者(出資者)はおとなしいが,債権者(出資者)としてのみずからは儲けて還元せよとうるさいし,必要なら内政干渉も辞さないから金融収支はほぼトントンに維持できる。

(以上,大森・前掲 415-416頁)

 この直後にアメリカの住宅市場のより以上の混乱の可能性に触れられますが,我が国のこれまでの路線を転換すると「強者の本拠地がドバイに移ったりするのも困る」(同書417頁)という定番の懸念が語られますし,また,「規定路線である市場経由型資金仲介の拡大」(同頁)という起点からは離れられないようです。

 で,(ここだけではありませんが)この部分を読むと,アメリカが従来モデルとされてきたのは何故かという素朴な疑問に行き当たります。そして,それは,以下のような幼稚な(?)歴史観・米国観に行き着くのではないかと思われるのです。最近では極めて重要な貸金業制度に関わる「第5章 2006年初めから夏まで」(同書208頁以下)において,213頁以下の「モデルの不在」という一節にそれが表れています。

 市場の制度を考える仕事をしていたときは,アメリカをいつも意識していたし,学ぶものも多くありました。制度の骨格だけではなく,細部に至るまで,どこかに頭のいい奴がいてよく考えてあるなあという気にさせられたものです。だが,貸金業制度については,細部に学ぶものがあるとしても,骨格が参考になるとはとても思えませんでした。
 州によっては上限金利規制があるものの,本店所在州に規制がなければ,国内のどこでも自由金利で貸せるから形骸化しています。

 (中略)

 敗戦後一環(ママ)して日本がアメリカの忠実なパートナーであり続けているのは,もちろん安全保障を依存している面はあるでしょうが,フェアな占領政策が行われ,民主主義や市場経済を教えてもらった記憶が残っているからでしょう。国際紛争解決の手段として武力行使を禁止する憲法までつくってくれた先生の方が変質してしまっているのに,先生に遠慮して国際会議でクラスター爆弾の禁止に反対するなんて憲法に矛盾したことをするのは,とても恥ずかしくバカげたことだと思います。

(以上,同書 213頁,215頁)

 上記引用部分の前段の冒頭は,事実なのかもしれません。ただ,後段のような相当な事実誤認が多少なりとも深層心理的に影響してはいないでしょうか。この点を少し説明してみます。

 まず,後段を事実誤認とする点について。
 「フェアな占領政策」とありますが,ベルヌ条約や日本の著作権法を無視した著作権行政がなされていた点については,2006年11月25日「<番外4>著作権の保護期間と戦時加算(憂国忌にちなんで)」において,宮田昇『翻訳権の戦後史』(みすず書房・1999年)ほかの文献を挙げつつ,若干触れました。また,GHQが行ったマスコミだけでなく私信に至るまでの検閲については,江藤淳『閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』(文春文庫・1994年)が詳細です(国際私法関係者には,気になる名字が出てきたりもします)。ほかに,櫻井よし子『GHQ作成の情報操作書「眞相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫・2002年)や,岡本幸治『骨抜きにされた日本人-検閲,自虐,そして迎合の戦後史』(PHP研究所・2002年)などが比較的読みやすいかと思います。
 「民主主義や市場経済」の件は,米国型の,ということなら,特にありません。
 「国際紛争解決の手段として武力行使を禁止する憲法までつくってくれた先生の方が変質」以下の部分は,いったい何のことを仰っているのでしょうか?? 「先生」であるアメリカ自身は,武力行使を禁止するなどとんでもないことで,定期的に戦争をし続けてますでしょう! この点については, 2007年1月13日「<アメリカの日本改造計画>消費者金融問題」の前半で引用した文章をご参照ください。

 アメリカは「先生」であるという<刷り込み>があるので,アメリカの制度は実際よりもよく見え(遠いので粗が目立たない),これに対して,日本のそれは実際よりも悪く見える(近いので粗ほど目立つ)のではないでしょうか?
 私自身のことを挿んで恐縮ですが,国際私法の研究者を志すときの最初の問題意識は,いわゆる物権変動において,当事者間関係においては契約など変動原因の準拠法1本で規律すべきであるというもので,それに最も近いのが米国の動産譲渡に関する規律でした。ただ,その後で歴史観が修正されましたので,米国型が万能とまではとても見えず,内心ではいくらか慎重にはなっているかと思います(もっとも,上記の私見は,米国型より大胆なのですが)。

 やはり,世界において我が国が置かれていた立場がいかなるものであったのかという視点からの身の丈に合った現代史を,改めて勉強する必要があるのではないでしょうか(学生の頃の無邪気な歴史観・米国観に久し振りに出くわして,面食らった感じなのです)?
 最近,東京裁判でA級戦犯全員を無罪としたパール博士の講演録や論文・評論集が入った書籍が復刊されています(ラダビノード・パール著,田中正明編著『パール博士「平和の宣言」』(小学館・2008年))。まだ読みかけですが,一節のみ引用しておきます。

 いったい,この原爆投下について,西洋諸国がこれまでいろいろと説明あるいは口実をもうけているが,その説明あるいは口実はどのようなものであったか,私はここに原爆投下の意義を充分考えてみたいと思う。
 原爆を投下するということは,男女の別なく,戦闘員と非戦闘員の別なく,無差別に人を殺すということである。しかも最も残虐なる形においての大量殺人である。しかしながら,彼らの原爆投下の説明,あるいは口実となっているところのものは,「もしもこれを投下しなかったならばさらに幾千人かの白人の兵隊が犠牲にならなければならなかったであろう……」-これがその説明である。いったい,この幾千人かの軍人の命を救うということが,どういう意味があるだろうか。どういう価値があるだろうか。その代償として,罪のないところの老人や,子供や,婦人を,あるいは一般の平和的生活をいとなむ市民を,幾万人,幾十万人,殺してもいいというのだろうか。こういうような空々しい説明や口実がなされたということそれ自体,この説明で満足するところの人びとが彼らの中にたくさんいることを証明するものである。(後略)

(パール・前掲 112頁)

 ここで書かれていることが,先生」の正体だと思いますがね。

 さて,日米を歴史や文化や伝統の異なる,(現実とは異なりますが)対等の国だということから出発すると,「規定路線である市場経由型資金仲介の拡大」という点に対して疑問を感じることにならないでしょうか。
 とはいえ,経済学は新古典派が全盛期のようで,ローの入試で経済学部の出身者が法学に救いを求めているかのような話をするのを聞くと,ケインズは何処に行ってしまったのかと思いますね。しかし,今こそ,経済でも完全雇用政策をこそ出発点に据えてはもらえないものでしょうか。ここでは,官僚出身の,横溝雅夫『人間の顔をした経済の復活-市場原理主義批判』(産経新聞出版・2007年)にかなり共感を覚えるものです(「会社は株主のもの」とか,極端なことを言うな!と,どこかに向かって思いますね)。

 さて,最後ですが,大森・前掲書の貸金業制度の改正の仕上げ段階(?)にあたる「第6章 2006年夏から翌年春まで」(237頁以下)の 247頁以下に,「プロテスタンティズムの倫理」という一節があります。ここには,極めて興味深い話が書かれています。

 (前略)今回だけは,自分がプロテスタンティズムの倫理に支配されていると感じました。政治決断により与野党対立しそうな論点はほぼ消滅し,成立がまず確かだと思われる状況になっているにもかかわらず,成立に向けて自分にできることがあるのなら,やらねば気が済まない心境になります。(中略)やれることはなんだってやるぜ,という気持ちになったのは,これまでの斜に構えた私とはかなり違います。おそらく,なにができるわけでもないのに審議を傍聴しないではいられない被害者団体や弁護士会の人たちと同じ思いだったのでしょう。

 (中略)

ひさしぶりに手応えある法案が成立したという感慨があったのは事実です。

(大森・前掲 247-248頁)

 仕事は,やはり<腑に落ちる>内容のものに一心に取り組み,達成した暁に「感慨」ひとしおといった感じでありたいものです(逆に言うと,そうならないものは,「頭」はよしと判断しているようでも,「心」が拒否しているのかもしれませんね)。

 ここまできて,ある疑問が生じました。。。
 私が(通則法関係はとっくに一段落しているのに)このブログを書き続けているのは,いったい何のためなんでしょうか? 自分のことが,やはり一番分からないということなのでしょうか?

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2008年2月20日 (水)

「勘」と「論理」

 いよいよ学務の仕事も佳境に入っていて,熱を出して寝込んでみたり,カステラや煎餅やチョコを頬張りながらご奉公に勤しんだりしているところでございます。それにしても,お茶とお菓子は欠かせませんねえ。早く2年ぶりの自由の身に戻りたい!!

 そう言えば,修習中の教え子からお便りなどもらいました。まだ授業で配付したレジュメをとっているとのことで,書き込みしたりしながら一生懸命勉強されていたのが目に浮かぶようですし,私だけでなく,レジュメたちも喜んでいることでしょう。
 不要になった教材が捨てられているのを見たりすると,他の先生が編集作成されたものとはいえ心穏やかではありませんで,それとは対照的な厚遇を受けているレジュメたちは,本当に幸せ者だと思います。

 ところで話は大きく換わって,・・・
 私はもともと(今も変わらず?)ボケーっとした人間で,ただ,自分の「勘」は(当初は外れているかもしれないと思われるときでも)結構信用できるのではないかと思って(思い込んで)おります。そうは言ってもそれでは自分が得心いかず他人にも説得力がないことも多いので,「事実」を知り「論理」で検証することが必要になる場合も出てきます。と言っても,何でもかんでもそうするほど暇でもなく,アンテナに引っかかった本を読んでは放っておき,また引っかかったものを読んでは放っておき,というのが通常のことで,たいていのことは曖昧な状態で過ぎていきます(ただ,引っかけておくことが大事であろうと言い訳をしておきます)。

 で,ずいぶん前に「裁判員制度」に対する素朴な疑念を書き留めておきましたが,それについて少しだけ書き足します。
 素朴に考えるに,「裁判員制度」は司法の民主化を図る制度ということらしいですが,司法は民主主義によってもたらされる危険のある多数者の横暴から少数者を擁護する最後の砦として,場合によっては民主主義を是正する役割を期待されています。三権分立という大きな権力構造の観点から言っても,「裁判員制度」は妙な制度という感じがします。
 だいたい,(民主主義の根幹である選挙に行かなくても特にペナルティがないのに,)「裁判員制度」は,さまざまな罰則規定まで設けて,まともであれば生活のために刑事裁判どころでなく多忙な日常を送っている多数の国民を動員しようというのですから,出自のいかがわしさは歴然としていると言って過言ではないと思います。

 と思ったりしながら目についたので買っておいた本に,西野喜一『裁判員制度の正体』(講談社現代新書・2007年)があります。これはぜひとも読まれるべき書籍だと判断しますので,簡単にご紹介のみしておきます。それにしても,あちらこちらに勇気のある方がおられるので,まだまだ日本は捨てたものではないと確信させてもらえますね。

第1章 裁判員制度とはどのようなものか
第2章 裁判員制度はどのようにしてできたのか
第3章 無用な制度-誰も求めていないのに
第4章 違法な制度-憲法軽視の恐怖
第5章 粗雑な制度-粗雑司法の発想
第6章 不安な制度-真相究明は不可能に
第7章 過酷な制度-犯罪被害者へのダブルパンチ
第8章 迷惑な制度-裁判員になるとこんな目に遭う!
第9章 この「現代の赤紙」から逃れるには-国民の立場から
終章 いま,本当に考えるべきこと

 終章から,引用しておきます。

不都合ばかりの制度
 以上見てきたとおり,裁判員制度には何のメリットもない反面,デメリットにあふれています。所詮妥協の産物で,深い考慮もなしで無理に作った制度なのですからどうにも仕方がなかったとはいえ,これだけ不都合ばかりという裁判制度は他に例がないでしょう。
 裁判員制度は,わが国の丁寧な審理と判決を支えてきた諸々の要素を,国民を刑事裁判に参加させる代償として,皆放棄しようとする制度です。現行の制度は,要するに裁判官に対して,じゅうぶんな待遇をしてやるから,国民に迷惑をかけないよう第8章で書いたような苦労を全部引き受けたうえ,心血を注いだ審理と判決をせよ,プロらしく命を削ってでも審理と訴訟記録に取り組み,よい判断をすることに努めよ,と言っているわけです。しかし,くじ運が悪くて裁判員となっただけの者に,心血を注げとか,命を削れというわけにはいかないので,できる範囲でよい,決して「過重な負担」はかけない,義務教育終了者に期待できないようなことは最初から求めていない,ほどほどのところで結論を出せばそれでじゅうぶんだ,今後の刑事の重大事件についてはその程度の判断でよい,といっているわけです。

(以上,西野・前掲 222頁)

 少なくとも私の身の回りの人たちには,この制度には自分の人生を一部でも犠牲にする価値はないと言っております。まあ,よくお考えいただければ,と思います。

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2007年11月24日 (土)

栗本慎一郎教授の著書

 慶應義塾大学(経済学部)出身で明治大学教授であられた(その後、衆議院議員などを歴任された)栗本慎一郎教授の一連の著書を、遠い昔の学生時代、かなり読みました。
 その後あまり接する機会がなかったのですが、最近になって、再び刺激的な著書を出しておられるのに気が付きました。

 例えば、『パンツを脱いだサル-ヒトは、どうして生きていくのか』(現代書館・2005年)という『パンツをはいたサル』の過剰-蕩尽理論の完結篇(ヒトの進化から経済(貨幣)論、国際関係論など、幅広い問題の「繋がり」を論じるもので、私には難しいものではあります)。最も興味深い部分を引用しておきます。

 日本でグローバル・スタンダードという言葉が盛んに使われるようになったのは1998年ごろからのことで、2000年にはお題目としてさらに強化され、そして小泉政権に至ってまことに露骨な錦の御旗となった。繰り返すが、「グローバル・スタンダードにのっとれ」という主張は、裏を返せば「グローバル資本に乗っ取られろ」というのがその本意である。
 (中略)
 だから、小泉(とその背後)が権力の座に座り続けたなら、進めようとする「改革」の方向は予測できるだろう。郵政民営化が郵便のあれこれなどには関係なくて、200兆円になんなんとする郵便貯金の崩壊(市場への放出)を狙ったものであるように、最後は日銀の民営化(つまり米国の連邦準備制度化)までも行なって、国際資金資本が牛耳りやすくする舞台を作ろうとするに決まっている。

(以上、栗本慎一郎『パンツを脱いだサル』127頁、129頁)
 前掲書の発行が2005年4月で、(関係ありませんが、私の法例改正シンポでの学会報告が5月にあり)その後、悪夢の郵政解散→衆議院議員総選挙と続くことになります。次は日銀が狙われているとすれば、日銀総裁の人事が取り沙汰されるのも、これと無関係ではないでしょう。
 さらに、もう1か所だけ。

 同時多発テロが起きた2001年9月11日の、ほんの6日前のことである。
 EU欧州議会が、ある決議を採択した。この決議は、EUの一員であるイギリス、および欧州の友好国であるアメリカ合衆国を非難するもので、法的効力はないが、その意味するところはきわめて重大なものであった。なにしろ次の世界最大国になろうという欧州連合が、その仲間の一員でもあるイギリスに対するものを含めて正式な非難を行ったのである(英語圏5カ国による通信傍受システム「エシュロン」について「存在は疑いない」とする決議に関する記事が少し後で引用されている-引用者注)。
 しかもそれは「我々は何もやっていない」と米英が言っていることに対して、欧州として正式に「やっている」と認定し、やめろと非難したという。かなり稀有なことであった。(中略)少なくとも私は、これで米英は何か強硬策をもって問題をごまかしにかからねばならなくなったと予測していた。
 (中略)
独仏は完璧にではないが、2001年秋に向けての緊張の高まりをキャッチしたのだった。独仏側も盗聴をしないわけではない。(中略)これによって独仏も事件を予知し、とりあえずながらはっきりとした米英への「NO」の立場を打ち出したのだった。
 国際的盗聴システム「エシュロン」の傍受装置は日本の米軍三沢基地にもあり、重要な役割を担っている。(中略)1999年の通常国会で自民党・公明党・保守党が無理やり成立させた「通信傍受法」(通称、盗聴法)は、明らかにこの盗聴システムを支持し、最終的には仲間に入れてもらおうという、とんでもないものである。
 当時、自民党の中で、この悪法に反対したのはたった二人だけだった。一人は私、もう一人は田中眞紀子である。

 (中略)

 〔「エシュロン」の-引用者注〕目的は軍事や外交にとどまらない。国際企業の経済活動や取引も監視されている。
 (中略)
 一歩踏み込んでいえば、独仏は米英がアルカイダの同時多発テロ攻撃計画を摑み、その実行を黙認したうえで、次の歩を進めようとしているのを察知、一応、釘を刺してみたのである。

(以上、前掲書139-142頁、144-145頁)
 我が国にとっては、(この後で触れられている)真珠湾のことも想起されますね。

 さらに、同教授は、『純個人的・小泉純一郎論』(イプシロン出版企画・2006年)という著書を出しておられます。これも、元衆議院議員としての内部からの観察に基づく、なかなか刺激的なものです。まずは、「まえがき」から。

 小泉純一郎内閣は、(中略)全体として冷え込み窮地に陥っていた日本経済を本来は禁じ手であった単純な手法を用いて復活させようとし、部分的な成功を見ただけのものだ。(中略)禁じ手とは、経済全体を復活させるのではなく、中間層を搾取崩壊させて、一部富裕層にその富を集めさせ、日本経済を分断して表面の好調を演出するというものだ。これは戦後日本が作って〔き〕た中間層中心の経済を崩壊させるという意味で、本来は日本の沈没を意味する。小泉に喝采を送ったアホな国民の生活基盤を突き崩してしまうものなのだ。
 (中略)
 この本の展開に沿って小泉の細部を考えていけば全体が見えてくるだろう。実はそれが本当の哲学のあり方であり、こうした(細部によりつつ全体を見る)方法によって結局は、小泉政権がなんであったかということも見えてくることになるだろう。
 (中略)
 確かに小泉は、官僚との関係、それから自民党内の慣行とか、そういったものについての改革を行った。(中略)
 しかし同時に、小泉は、政策的には、(中産階級がなえた)日本経済(の構造)を外国に売る、ということをやってしまった。しかも意識的にだ。日本経済の売れるところを外国に売ってしまったのだ。
 そして、食えない連中は切り捨てていく。
 (中略)
 小泉政権というものが、戦後日本社会のなけなしの良い部分をつぶすというまったく犯罪的なものであったということが、本書を読むことで理解できるようになることを祈っている。

(以上、前掲書4-5頁、7-9頁)
 上記引用の部分は(哲学云々の部分を除き)、最近では特に常識と言ってもいいくらいに広まっている見方でしょう。さらに、・・・

 現時点(06年6月末)で9月の総裁選を予測するのは難しい。
 (中略)
 いずれにしても人気の安倍がやっても小泉以後は難しい。まさか郵政民営を元にもどすというわけにもいかないし、小泉がいろいろとあちこちで勝手なことをやってしまったものだから、後始末に追われる尻ぬぐい内閣になるだろう。
 (中略)
 だが、今回はときの流れがあるから、そうしたら、総理になるしかない。確かに総理の帽子は乗るかもしれない。しかし裏に、もう国際資金資本だけでなく、日本人の陰の主役(つまり小泉)がいて、しかも決して味方ではなくて、安倍は彼らに大失敗をさせられて、と、彼はそんな役回りをさせられるだろう。総合的に見るとものすごく損だ。
 その辺でもやはり福田の方がはるかに読みが深い。
 (中略)
 安倍にしておいて、参議院選挙で負けさせて、小泉再登場の声をあげさせて、というのが最短の路線である。
 (中略)
もし、退陣後に小泉政権が再び復活するような事態になるとしたら、そのときこそ日本が本当に沈没することになるだろう。格差はもっと拡大させられ、負け組の死体はすべて勝ち組が生きのびるいかだの部材として利用されるのだ。それが小泉支持者の将来の姿である。

(以上、前掲書140頁、144-145頁、149頁)
 ここまでは、政治については「ど素人」の私にも、ほぼ予想できたところです。ところが、「2006年8月1日追記」の部分が圧巻です。

 残念ながら安倍にとっては、厳しい政権運営となることだろう。安倍が小泉の陰のご主人様を抑えることはできない。かといって小泉以上の人気を維持できるとは思えない。安倍自民党が沈没の憂き目にあう時、小泉待望論が起こる可能性は低くない。
 そうなる前に福田がどう出るか。本当の意味での日本沈没を招く小泉再選を、指をくわえてただ見ている福田ではないだろう。今後の日本の政局にとっては、安倍の政策や政権運営能力ではなく、表に出ない「小泉の陰のご主人様vs福田」という形での構造が大きな問題となることだけは頭に入れておくべきだ。

(以上、前掲書152-153頁)
 こういうところは、やはり素人には見えないのですね。1年ちょっと経った現時点において、ぴたり。変わらず際どい状況にあるということで・・・

 では、このへんで。

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