法適用通則法(文献等)

2008年4月25日 (金)

通則法制定過程批判の新論文

 数日前の広島高裁による重い判断を高く評価しつつ,再開します。

 先週初め,横山真規雄拓殖大学教授より,「新国際私法の規範構造と解釈論的位相(上)-『法の適用に関する通則法』が目指す新国際私法秩序とその課題-」拓殖大学論集10巻2号(2008年)1頁という御論文の抜き刷りをお送りいただきました。

 高く評価すべきその「はしがき」と第1章「制定過程に見る適用通則法の特徴」において,その作業の問題性と,背景をなす法例に対する評価や基本的国際私法観をめぐる対立といった全体構造が,見事に浮かび上がっていると思います。

 まず,石黒一憲教授の『国際私法(第2版)』3頁(2007年3月8日(木)「石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等1-はしがき・第1章冒頭」で引用),手塚裕之弁護士の座談会での発言(2006年12月14日(木)「ジュリスト1325号の特集」で引用)や,道垣内正人教授による「最密接関係地法を適用するというサヴィニー型国際私法が,大きな曲り角に来ているのではないか」という認識(「国際私法の新たな課題と展望」上智法学論集49巻3・4号(2006年)17頁,21頁。この講演論文は,ネット上に公開されています。http://law-web.cc.sophia.ac.jp/sophia_law_review_files/contents/4903_04/4903=04dogauchi.pdf)などが引用されつつ,法例「改正」の必要性に強い疑念をもっていた石黒教授・大村芳昭教授および私(森田博志)と,法制審議会国際私法(現代化関係)部会での審議のたたき台を作成した法例研究会の責任者である道垣内教授との間における厳しい見解の対立が,明確に示されています。

 また,私が,拙速な作業の進め方や「規制改革」との関係についての不透明さについて,拙稿「国際私法の現代化における法例10条・12条関連の改正作業の問題点」千葉大学法学論集20巻2号(2005年)93頁(この関係では94-95頁)や,2006年4月19日(水)「参議院法務委員会通過-特に規制改革との関係で-」の後半において端折って書いているところが,時系列的に丁寧に整理されていて,このような経緯を客観的に明らかな形で残してくださる研究者の登場を,心から喜んでいます(もっとも,横山真規雄教授は,平成元年法例改正についても同様の批判をされていたのでした)。

 なぜ抜き刷りを送っていただいたのかについては,横山・前掲13頁注33に関係します。そこでは,「森田博志教授の個人ブログからも大いに勉強させていただいた。一昔前であれば,論文・学会発表・個別研究会でしか諸先生方の所見に触れる機会がなかっただけに,このようなブログの普及で思いがけない新鮮な情報を得ることができ,大いに啓発を受け感謝している。」と述べられています。
 若い頃は形にするまで全て自分で抱え込んでいましたが,もはや自分の中にある問題意識や発想の全てを形にするだけの余裕が(環境を変えない限りは?)与えられていないことを痛感していますので,他の研究者がご自分の研究の素材としてこのブログに書き込んであることをご利用いただくことは,たいへんありがたいことだと思って,こちらも感謝しております。

 それから,「改正」作業の進め方に関係させて,私見が次のように引用されています。
 「改めて,比較法的考察に専ら傾倒するのではなく,社会の現実を踏まえ,具体的に問題点を明らかにした上で,改正作業は進めるべきではなかったかと考える。森田博志教授が,国際私法研究の在り方として,『(内在的な規範を確認すべく)国内で蓄積されてきている具体的な事例を集約し事案に則して細かく検討』すべきと指摘し,とかく比較法的紹介に終わる,我々の学問姿勢に警鐘を鳴らした発言が,今回,一連の改正論議にあっては十分取り入れられていない。」(横山・前掲8頁)
 引用いただいたのは,拙稿「不法行為の準拠法の決定における『原因事実発生地』の解釈」千葉大学法学論集17巻3号(2002年)85頁,113頁です。私が何か言ったからといって何かが変わるような学会ではありませんが,過分な評価に感謝申し上げます。また,引用部分は,その後の私自身への批判にもなっていて,痛い思いもしております。

 ついでですが,直前の拙稿の最後の注である注68(126頁)に,以下のようなことを書きました。このブログは,その延長のような感じもしています。
 「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した』(日本国憲法前文)戦後の日本は,実際には国益第一に行動する諸国間の競合の中で国民の生命や安全を脅かされ主権を侵害され続けてきていることを痛感させられる事態が,最近も明らかになったばかりである。このような状況がはたして私法の分野とは無関係なのかどうかについても,深く考えてみる必要があるのではなかろうか。例えば,アメリカ型の投資家(市場)中心の法制度が国際機関を通じる形で押し付けられてきているのではないか。国際倒産や債権譲渡に関する近時の流れもそうなのではないか,というようなことをである。仮にそれが事実であるとするなら,グローバリゼーションという名のアメリカ化に対しては,労働者・消費者(市場弱者)の立場から『抵抗勢力』に与することもやむを得ないと考える。この点についてのきちんとした分析は,今後の課題とさせていただく。」
 この論文は小泉訪朝のあたりで書いたのですが,「きちんとした分析」をしているかはともかく,その後に多少の行動は伴っているという意味で,一種の予告をしたことになっているのだと,今になって思います。力不足は,如何ともし難いのですが・・・

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2008年1月26日 (土)

法教327号の演習への疑問

 法学教室に連載されていた「国際私法」の演習,2年間で12回連載されたところで,終了するようですね。ご苦労さまでした。

 ところで,私自身は斜め読みしただけで放っておいたところ,受講者から疑問の指摘を受け,私も全く同感ですので,走り書きですが,疑問の提示だけはしておきます(現物と照らして,考えてみてください)。

 法学教室 327号(2007年12月号) 162頁において,物権変動と物権準拠法が採り上げられています。そこで,「その原因となる事実の完成した当時における」(通則法13条2項)という部分の解釈が問題になっていますが,162頁右段の下半分の真ん中辺りに次の一節があります。

 他方,②の場合については,YからXへの物権変動の「原因となる事実が完成」していない。したがって,Xはいまだ完全な権利者ではなく,また,Yは不完全ながらいまだ権利者であって,XとZはいわゆる対抗関係に立つことになる。

 引用部分の「したがって」の前においては「『原因となる事実が完成』していない」というのですから,いわゆる物権準拠法は未だ決まっていないのではないでしょうか? 決まっていないとすれば,「したがって」以下の話は出て来ないのではないでしょうか?(私見はこの立場ではありませんので,あくまで推測です。)

 ちなみに,この「完成」が米国実質法上の 'perfection' のイメージで説明されているとすれば,仮にその文脈であるならばいくらかは了解可能にはなりますが,通則法13条(法例10条)の,すなわち国際私法の文脈では理解できませんし,米国の牴触法上の規律にスライドさせてもそれと日本の国際私法における通説のそれとは異なりますし,何かギクシャクした印象です。

 文献の引用がないのも気になります。このあたりは,山田鐐一『国際私法(第3版)』(有斐閣・2004年)308頁,溜池良夫『国際私法講義(第3版)』(有斐閣・2005年)340-341頁を参照して,よくよく考える必要があります。もっとも,国際私法の(通説の)中でも,最も難解な部分の1つであろうとは思いますが・・・

 それにしても,2年間学務委員という雑用係に従事して痛感することは,人格には本当に大きな格差があるということですね。これからが正念場ですので,いろいろと至らない点は,ご容赦ください。

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2007年12月 6日 (木)

「22条の制限的解釈」批判

 しばらく間が空いてしまいましたが、国際私法ネタに戻しましょう。

 法の適用に関する通則法の22条に関しては、法例11条2項・3項の削除論が立法論上の通説だったにもかかわらず維持された理由について、11月6日(火)「特別留保条項(22条)が残った理由-国際私法(現代化関係)部会議事録から(ほぼ転載)」に示したとおりです。
 これに対しては、しつこく制限解釈論が説かれていますので、これを検討しておきましょう。

 ここで話はやや横道に逸れますが、松岡博編『国際関係私法入門』(有斐閣・2007年)という近刊につき一言します。なかなか意味深なタイトルですが、「はしがき」によれば「国際関係私法をはじめて学ぼうとする大学の学部学生を主たる対象とし」ているのだそうです。しかしながら、狭義の国際私法に約250頁、国際民事手続法に約100頁ときて、「第21章 国際物品売買」「第22章 国際運送および国際保険」「第23章 国際支払」という章立てを見ますと、学部の講義向けではなく、新司法試験での「国際関係法(私法系)」の選択を考えているが学部では受講したことがない初学者を対象にしていると見るのが、素直なような気がします。
 千葉にはそういう院生が多いので、関心をもってところどころ眺めていますと、特に「第15章 国際裁判管轄」、中でも「第4節 特段の事情の判断」は類書にない出色のものと思われます。で、全体がこのレベルであれば迷わず来年度の教科書にすることを検討するところですが、残念ながら、そういうわけでもないようです。

 さて、本題に戻しますと、前掲書141-142頁には、「22条の制限的解釈」という項目があり、3つの可能性が示されています。それらを検討しておきます。

 第1に、20条により、明らかにより密接な関係を有する地の法が選択された場合には、22条を適用すべきでないとの見解があり得る。不法行為上の請求について、たとえ付従的連結(20条)によってあらかじめ定めている契約準拠法が適用されたとしても、本条に基づき日本法が適用されるとすれば、国際取引の当事者は、契約に関連する不法行為について、日本の裁判所での裁判を回避しようと努めるであろう。

(以上、松岡編・前掲141頁〔髙杉直執筆〕)
 これって、社会的事実として本当なのでしょうか? 仮にそうだとして、請求権競合の場合に、実質法上は不法行為の問題についても「法律行為」と性質決定するというのでなく、その問題については「不法行為」と性質決定しつつ連結点レベルで「法律行為」のそれに合わせつつ不法行為について特別留保条項を維持するという立法決断があったわけですから、それに抵抗する上記の制限論は、往生際が悪いように思いますね。
 また、(当事者自治に対する警戒心の全くない髙杉説の筋とは別に)最密接関係原則を重視する基本観から上記引用部分のように説く考え方もありそうです。ただ、17~19条で導かれた準拠法が最密接関係原則に適ったものである場合も多いと思われるところ、そのような場合には22条を適用すべきでないとは言わないのでしょうから一貫性の点でも問題があるように思います。

 第2に、21条により、当事者が外国法を準拠法として選択した場合には、22条を適用すべきでないとの見解があり得る。この場合にも日本法が累積的に適用されることは、当事者自治を認めた意義を大きく損なうことになる。

(以上、前掲書141頁)
 この見解については、2006年12月26日(火)「神前弘文堂解説(その4) 特別留保条項と事後的変更」で批判しましたので、繰り返しません。
 当事者自治に対しては、「法律行為」において「消費者契約」の11条・「労働契約」の12条や、(絶対的)強行法規の特別連結論などにより制限が加えられており、「不法行為」の準拠法の事後的変更に関する21条についても制限の必要性が説かれる(神前禎『解説 法の適用に関する通則法-新しい国際私法』(弘文堂・2006年)153-154頁)など、当事者が決めたのだから何でもよいということにはなっていません。まして、日本の不法行為法秩序に反する当事者の取り決めなど、尊重する必要はありません(当事者自治に対する髙杉説の無防備さについては、およそ理解できないのですが・・・)。

 第3に、22条は、公序の具体的例示・確認であって、42条の公序と同様に、内国的関連性と反公序性の程度の相関判断に基づき、例外的に適用すべきであるとの見解もあり得る。

(以上、前掲書142頁)
 「あり得る」「あり得る」「あり得る」と言われれば、まあ「あり得る」とは思わなくもないですが、では42条と同様の規定をわざわざ22条として例示する必要があるのでしょうか?? 立法技術として、あまりにも稚拙だということにならないでしょうか?
 思いつきを並べてよいのであれば、活字にする苦労はありませんよね(と言うのは、時代錯誤になっているのでしょうね。私は、もはや化石ですねえ)。

 いろいろと、激しい脱力を感じる季節です。

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2007年11月 4日 (日)

石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等6-不法行為の特則(ほぼ再掲)

 政治の世界は不可解なり、と感じざるを得ない事が、また起こっていますねえ。

 さて、通則法18条と19条についての過去ログを、またほぼ再掲しておきます(今回は、4月7日分)。

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 石黒・国際私法第2版の続きと行く前に、お知らせです。
 国際私法学会から、春の学会(5月13日(日)開催)の案内が来ました。何と、上智大学の法科大学院模擬法廷で(報告者は裁判官席に並ぶのでしょうか?)、「<シンポジウム>法適用通則法の解釈論上の問題」という統一テーマで、山内中央大学教授を座長に、「たたき台」を作成した、法制審議会国際私法(現代化関係)部会の5人の幹事が丸一日かけて順に報告されます(近々、学会HPに掲載されるでしょう)。
 しかし、今さら、雁首揃えて「解釈論上の問題」とは・・・。忙しい人たちを集めて開催するのですから、踏み込んだ検討なしでは済まないでしょう。出席するかは現時点では未定ですが、いずれにしても期待しております(それにしても、「たたき台」作成の際の座長は、ついに学会ではこの件での報告はされないのですね!)。
 総会の議題には、「学会改革の件」というのがあるのですが、近年、報告者に偏りが見られたりするところ、何を「改革」しようというのでしょうか? 事前に資料でも送っていただきたいものです。
 (最後の、総会については、議題が大げさなだけでした。報告については、07年5月14日(月)「学会雑感(07年春)」をご参照ください。<ここ加筆>)

 さて、本題に入ります。
 「通則法18条(生産物責任の準拠法)の硬直性!」(360頁以下)から見ましょう(本当は、全部引用したいところですが、詳細は現物をご覧ください)。

 (前略)但書で、その地での「引渡しが通常予見」できない場合には、いきなり(!)「生産業者等の主たる事業所の所在地の法」による、とある。
 但書の方を先に見れば、なぜサプライ・サイドの側に最も有利な法選択へと一気に導くのか。その地の法が、当該紛争事実関係と何ら関連していない場合にも、こんなことをなぜするのか。(以上、360頁)

実は生産者Yが、手広く日本で事業展開をしており、日本での広告・宣伝等で当該製品を知っていたX1が、トランジットで立ち寄ったA国の空港免税店でそれを購入し、日本に戻ってX2~nとともに被害にあったとせよ。Yの事業所が日本にもあったとせよ。なぜ問題を、18条の示す二つの(この例で言えば、いずれも極端な!)選択肢の中でしか、考えられないのか。なぜ、もっと素直に、諸般の事情の総合考慮において準拠法を決定するという、事柄の基本を、かくまで拒絶するのか。
 ここでも、彼らは言うであろう。そんな場合のために20条の例外条項があるのだ、と。だが、既述の如く、原則は原則なのだから、18条の中でしっかり処理せねば、例外だらけとなる。健全な現象ではないし、そうしたことの起きないように、わざわざ不法行為の特則たる18条を作ったはずではなかったのか。(以上、362頁)

 私のも、目障りかもしれませんが、転載しておきます。

(以下、2006年6月5日(月)「衆議院への宿題」から転載)
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5. 17条・18条関連
 これについては、「17条・18条について」で簗瀬委員が採り上げられた設例を通じて、さらに深く掘り下げていただければ幸いである。
 特に17条における設例では、日本の科学水準や国民の一般的な水準を想定しての「通常予見」の可能性と、某国のそれとは大きな違いがあるやも知れず、「通常予見」という基準を(決め手として)使うことそのものが、問題を生じさせる危険があるのではないか?
 また、18条について、「通常予見」不可能な場合に、(生産業者等が当該生産物を置いた市場地の法ではなく)一気に「生産業者等の主たる事業所の所在地の法」によることになるのは、やはり生産業者等の利益に偏り過ぎだと思われる。なぜ供給側(サプライサイド)優位になりかねない規定になっているのか?
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(以上、2006年6月5日(月)「衆議院への宿題」から転載)

 それと、やはり(長いのですが)衆議院法務委員会における参考人質疑での重要なやりとりと、法制審議会国際私法(現代化関係)部会の議事録を引用した、2006年7月9日(日)「『法の適用に関する通則法』衆院法務委参考人質疑から(その2)」をご覧いただければありがたく存じます。(これは、前回の投稿で再録しました。<ここ加筆>)
 さらに、(結構書いてきたのですね)次もよろしく。

(以下、2006年10月20日(金)「一問一答を中心に(その1)」から転載)
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4.「Q104 第18条の規定は、生産業者等を保護するものであり、被害者保護の観点から問題があるのではないですか。〔第18条関係〕
 A 生産物責任についての特則規定は、結果発生地が過度に広がる懸念から、生産業者等の準拠法に関する予見可能性の確保に配慮した面があることは否定できません。
 しかし、生産物責任について結果発生地を連結点とすることは、被害者にとっても思いがけない地の法が準拠法となるなど、常に被害者に有利な連結点であるとはいえません……。さらに、ただし書きが適用された場合の連結点が生産業者等の主たる事業所の所在地とされている点も、生産物責任については、その性質上、加害行為地の確定が困難であることから連結点を明確化したものであり、被害者にとっても不利となるものではありません。……」(一問一答108- 109頁)
<コメント>まず、最初の段落において「~否定できません」と自認されていることは、率直に評価します(さすがに、この点の強弁はできなかったのか、この部分の執筆者が正直な方であったのか・・・)。
 次に、「しかし」以下の段落の前段については、疑問です。逆に、被害者が生産物の引渡しを受けた地から自宅に戻って結果が発生することも考えられるのですから。また、論旨のような状況は、生産物責任だけの問題でしょうか? 通常の不法行為であっても、ちょっとした旅行や立場によっては留学の先での日本人同士の事故の事例(例えば、千葉地判平成9年7月24日判時1639号86頁や岡山地判平成12年1月25日交通民集33巻1号157頁)でも常について回る問題です(カナダ法やサウスダコタ州法が「思いがけない」とまでは言えないとしても、関係は深くありませんよね。この点も、次々回に言及します)。
 最後に、「さらに」以下の後段の部分も、問題ではないでしょうか。そこで言う「不利」とは実質法的な意味でしょうか、それとも牴触法的な意味でしょうか? これが前者なのであれば、さすがに法務省民事局の国際私法の意義に関するご認識が分かるというものです。逆に後者なのであれば、生産業者等は自分の中心地の法によるので国際私法的には有利であるのに対して、被害者にとっては「生産物を市場に置いた地の法」でも生産業者等の主たる事業所の所在地法でも外国法になる可能性が高いという点では同じようなものかもしれませんが、前者の法の方が両当事者の接点である当該生産物を中心に見れば準拠法たるに相応しいように思います(18条本文で17条本文の「結果発生地法」から外れた処理にしているのに、18条但書で17条但書の「加害行為地法」に義理立てしてそこから話を始めるのがそもそもおかしいではないですか!!)。

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(以上、2006年10月20日(金)「一問一答を中心に(その1)」から転載)

 さて、長くてすみませんが、一気にやっておきます。
 次は、石黒・前掲書の「通則法19条(名誉・信用の毀損の準拠法)の硬直性!」へ。

例えばフランスのX社に対し、日本国内で、日本のYが、日本語で名誉・信用の毀損行為を行ったとする。日本の中で、主として日本語で悪い評判が広がり、XがYを日本で訴えたとする。その場合、直ちにフランス(Xの主たる事業所のある地)の法が準拠法となる、とするのがこの19条の規定である。フランスには、何ら毀損行為による被害が広がっていなくとも、である。
(中略)
 他方、Yも企業(シンガポール法人)だったとせよ。そして、実際のビジネスにはありがちなこととして、XY双方が、相手方の”日本でのビジネス”につき、互いにイチャモンをつけ、泥仕合となっていたとする。XがYを、そしてYが反訴としてXを、それぞれ訴えたとせよ。通則法19条は、前者にはフランス法を、後者の反訴についてはシンガポール法を適用せよと言う。これもおかしな話である。
 前記の例と同様、XYの”眼差し”が、日本市場、即ち日本に向けられているなら、何故素直に、その点を実際の準拠法選択に反映させることのできないような、硬直的な規定を置くのか。また、”事象”として一つなのに、何故こうした交叉的な請求において、”準拠法の一本化”ができない規定を、わざわざ作ったりしたのか。
 ともかく、この18・19条もまた、立法者の見識が、強く疑われる規定である。

(以上、363-364頁;「貿易と関税」なら傍線が引かれるのではないかと思われるところに、勝手に下線を付しました。

 最後の「何故」の答えは簡単。名誉・信用が毀損された国ごとの各損害につきそれぞれの国の法を準拠法とするという、モザイク理論なる不可思議な説(道垣内正人『ポイント国際私法各論』(有斐閣・2000年)247-249頁)を封じるため、それだけのために設けられたのですよ(例えば、別冊NBL編集部編『法の適用に関する通則法関係資料と解説』(別冊NBL 110号・2006年)61頁注47参照)。「法の私物化」と表現すればよいのか、何と言えばいいんでしょうねえ? 全くもう、メチャクチャですよ。

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 「法律行為」の部分の改正にも問題が多いことは前に示してきたとおりですが、それでも8条1項が<最密接関係原則>をそのまま採用しているために、(9条を除き、また11・12条を然るべく解釈すれば)まあ大過なく運用できなくはなさそうに思えなくもありません。
 これに対して、「不法行為」の部分については、傲慢なことに(!)、20条が<最密接関係原則>をあくまで例外という不当な位置づけに貶めていることもあって、問題山積という感じです。ただ、公序則(42条)は、(国際私法的には異常事態に対処する規定ですから、明文にはなくても)あたかも「明らかに」と書かれているかのように、例外的に発動すべきであるのに対して、20条は準拠法の決定における大原則に戻す規定ですから、「明らかに」とあっても、ないかの如くに運用して構わないと思いますね(裁判所、がんばれ!!)。

 次回も、「不法行為」です(腰が痛いよ~)。

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2007年10月28日 (日)

石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等5-不法行為一般(ほぼ再掲)

 このブログを以前から見ていただいている方々の中には、かっぱ(河童 or 喝破)ちゃんがいなくなって残念に思っている方もおられるかもしれませんね。でも、大丈夫! プロフィール・ページに、ちゃんと引っ越していますから。

 ところで、24日(水)に、今年の3月に修了し新司法試験に合格した国際私法組の6名による「次代に語り継ごう会(第2回)」を開催しました(センスのない命名で、すみません)。
 昨年に続き、私は全員の紹介のみして早々に引き揚げ内容はお任せでしたので、何が語られたのかはほとんど知りません。ただ、聴いていた在校生は口々に「参考になりました」と言っていましたから、それで十分ですね。
 終了後には、今年は会議が早く終わったので、そろって打ち上げをしました。改めて、学生に恵まれたのだなあ、と実感しました。修習地は東北から九州までバラバラですが、来年の今頃にはさらに成長した姿を見せてもらえるものと確信しています。
 リベンジを果たした3名には参加してもらいませんでしたが、私にとっては逆境を跳ね返した切り札ですので、ここぞという時にはぜひとも助けていただきたいと思っています。

 さて、今回は、通則法17条に関するもの(4月2日分)のほぼ再掲です。ただ、途中1点のみ加筆します。

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 石黒・国際私法第2版の続きです。
 「4.2 契約外債務の準拠法」の1節では、大きな「改正」があったために、大幅に加筆されています。順に見ていきます。

 まず、最初の「不法行為地法(lex loci delicti)主義をめぐって-『法的安定性 vs. 具体的妥当性(柔軟性)』」(同書348頁)については、その副題が目を引きます。不法行為の準拠法の決定のあり方をめぐって「具体的妥当性」を追求しつつ「法的安定性」にも最大限配慮する処理を主張した、拙稿「不法行為の準拠法の決定における『原因事実発生地』の解釈」千葉大学法学論集17巻3号(2002年)85頁の木霊のように、勝手に評価してしまいます(もっとも、上記の拙稿が、石黒説の木霊でもあるのでしょうが。。。ちなみに、その後に書いた、拙稿「夫婦関係にある者による養子縁組の準拠法と夫婦の一体性の利益」千葉大学法学論集19巻3号(2004年)49頁の方は、「理屈と人情の調和」というのが隠れたテーマでした)。
 そこで、「起草者は、基本的には結果発生地説に立っていたことになる。」ということが、確認されています(同書350頁)。ここでは、「基本的には」という部分が加筆されています(初版(1994年)284頁と対比)。国際私法判例百選の野村解説でも、「法例の起草者は、結果発生地説寄りの考え方を示していた」と表現されています。これらは、上記の拙稿104頁における指摘が影響していると思いたいところですが、実際はどうなんでしょうか?

 次の「法例11条1項について穂積陳重起草委員が掲げていた『例』を出発点として」においては、千葉地判平成9年7月24日判時1639号86頁をベースとした議論をされて、以下のように論じられています。

 20条の例外規定があるから、よいではないかといわれそうだが、「準拠法選択上の一般条項」(あるいは、その縮減形態たる20条)に何でも放り込むのは、決して賢明なことではない。原則規定の中で、それなりの処理が、まずもってなされねばなるまい。
 ここで想起すべきは、通則法17条が、法例11条1項と同様、不法行為「によって生ずる債権の……」と規定していることである。(中略)日本に戻ってからの治療費等が、Xの「債権」であるし、カナダでの「加害行為」の「結果が発生した地」は、むしろ日本だということになりはしないか。

(以上、351頁)
 基本的には、これに賛成です。ただ、(日本に戻ってからの治療費等でなく)カナダでの治療費が請求されていたとしても、被害者が最終的に「結果」を背負うのは日本においてなので、その場合でも(カナダだけでなく)日本も「結果が発生した地」だと解すべきでしょう。(石黒教授も、この点は、私見と同じ考え方のはずです。<ここ加筆>)

 加害行為地法の適用を、結果発生地での結果発生が「通常予見することのできないものであったとき」に”限定”する通則法17条但書は、上記の、従来の、裁判所側の営みに関する指摘(それ自体はもとより正当。事実であるから!)からしても、穏当ではない。(以上、352-353頁)

 いずれにしても、原則規定が硬直的で動きがとれず、すべてを20条の例外条項や21条の(既述の)事後的法選択の規定に期待するというのは、誠に拙い立法である。今後は、それらの拙い法規定を前提としながらも、本書1の注13-c)で一言した”あるべき法解釈論の姿”に思いを馳せ、かつ、前記のモリスの言葉の具体化に向けた、学界・法曹実務の英知が、問われることとなろう。(以上、354頁)

 この後の、「従来の判例と契約外債務の準拠法」という項目において、従来の裁判例の一部がそれぞれの事案に即して検討されています(354-359頁)。
 私見も、平成14年頃までの事例を網羅的に検討しつつ、この石黒説と同じことを考えていたのでありまして、ぜひとも、再度、2006年11月7日(火)「神前弘文堂解説(その3)『結果発生地』の解釈と例外条項」をご参照いただきたく存じます(しかし、なかなか形にできませんね。何か、僥倖を期待したくなります。弱い人間過ぎますね。反省!)。

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 まあ、○○のまねばっかりすんなよ、という論文が書ければ、上記の点については大ヒットのはずなんですけど。。。どうなりますか?(主体的に取捨選択しないと、「人まね子ザル」とか言ってバカにされてしまいますよ。あるいは、既にどこかでバカにされた同業者がいるんじゃないでしょうねえ??)

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2007年10月21日 (日)

石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等2-弱者保護(ほぼ再掲)

 ものもらいができて、なかなか治らないので、ついに切除することとなりました。麻酔をされていて痛みはないのですが、目の前を鋭利なものがチラチラ通過しますので、ちょっと怖い感じもいたしました。30年ぶりくらいの(山本)勘助(片目)状態で半日過ごしましたが、やはり不便ですね。
 勘助と言えば、今年のNHK大河ドラマ「風林火山」、なかなか好評らしく、全49回の予定だったのが1回増えて全50回になるのだとか。何でも、そのようなことは大河史上初めてとのことで、関係者の方々には精魂込めた作品がそのような評価を受けて、感慨無量でしょう。
 今年の大河は、最終回までしっかり観させていただきます。

 ところで、「国際私法基礎」では、15回で国際私法と国際民事手続法のほとんど全範囲を走り抜けますので、「法律行為」にも1回しか充当していません。そこで、以下に、通則法11条・12条に関するもの(3月11日分)も再掲しておきます。 

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  石黒・国際私法第2版の「2 準拠法選択の基礎理論」の中で大きく改訂されたのは、「2.4 伝統的国際私法の第2の危機?」の「国際私法上の弱者保護-通則法11・12条との関係を含めて」(102頁以下)の部分です。以下、一部を引用して、コメントを付していきます。

通則法11条では、消費者は、自らを保護する強行規定の「特定」と「意思表示」とを、「事業者に対し」、しなければならない。弱者(消費者)保護のはずなのに、これはどうしたことか。……そんな負担を弱者側に負わせることの問題性は、明らかであろうし、本書3.5で後述する「外国法の適用と裁判所」の問題との不整合も顕著である。

(以上、同書103頁)

 同条において消費者の「意思表示」が要求されている点は、「弱者への自己責任の押し付け!」と言うべきものだと、私も思います。この点については、昨年(2006年)4月13日(木)の参議院法務委員会の参考人質疑における手塚裕之弁護士の意見に対して、「消費者の自己責任は妥当か?」という疑問を呈していたところでした(同日の記事「『法の適用に関する通則法』参考人質疑1」)。
 ちなみに、いつ頃からでしたか、戦後の弱者保護が行き過ぎていたことが強く批判されたのとセットで「自己責任」が強調されるようになったように記憶していますが、(いつものことながら)振り子が反対に振れ過ぎてしまったようですねバランス感覚が、何よりも大事なのに・・・)。
 次の「外国法の適用と裁判所」の問題との不整合ですが、これに関しては全く警戒すべき兆候が法務省周辺にあって(例えば、別冊NBL編集部編『法の適用に関する通則法関係資料と解説』(別冊NBL 110号)54頁のことです)、既に注意喚起したところですが、再度引用しておきます。

(以下、2006年8月14日(月)「法の適用に関する通則法関係資料と解説」から転載)
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2.消費者契約の特則についての説明で、「仮に裁判外でそのような強行規定の適用を求めた場合は、訴訟においては、適用を求めたという事実について裁判所に対して主張立証することを要すると考えられる。」(54頁)とし、「大審院判例(大審院明治38年12月20日第2民事部判決、民録11輯1806頁)や、下級審判決(例えば大阪地判昭和35年4月12日下民集11巻4号 817頁)は、一貫して、法律行為における当事者の意思や不法行為における原因事実発生地につき、事実問題であると解しており、したがって当事者の主張立証を要するものと解している。」(54頁注23)という注を付しています。
 本文の方の説明はそのような趣旨の立法がなされたと理解していますので特にありませんが、これにわざわざ付された注の付け方については疑問があります。この両判決が従来どのように評価されているか、確認しておきましょう。
 前者の判決は「契約当事者ノ意思如何ヲ審究……スルハ事実問題ニ属スル」から上告理由にならないとしたものですが、それについては、山田鐐一『国際私法』(第3版・2004年) 326-327頁において、「当事者の意思は、準拠法指定のための連結点として、四囲の諸事情を解釈して決定されるものである以上、その審究問題が事実問題であるとする右の判決は、疑問である(もっとも、意思の認定の基礎となる事実関係は、事実問題であるから、上告審ではこれを争えない)。」と批判されています。
 後者の判決は「或る法律関係につき適用すべき準拠法が如何なる国の法律であるかは、……当事者間の紛争の内容そのものであるから……その法規の適用により自己に有利な法律効果の発生(請求権の存在)を主張する当事者において、特定の国の法律の適用があることを訴訟上主張、立証する必要がある」として、それを欠くとの理由で請求を棄却したものですが、これについても、山田・前掲 130頁において「外国法の適用が定められている以上、裁判所はそれに従う義務のあることは当然であって、外国法の適用が当事者の援用のいかんにかかわるものではない」ことを理由として132頁注2において「妥当ではない」と、また石黒一憲『国際私法』(新世社・1994年) 228頁(第2版では、270頁<ここ加筆>)において「異例かつあまりにも不当である」と批判されています。この判決は、外国法の適用が一般的に当事者の主張・立証を待ってなされる英米法的なものと理解できます(但し、同上268-269頁に注意<ここも加筆>)。だとすると、これと新設された消費者契約の特則とは体系的な意味合いが異なるはずです。しかし、これが率然と引用されているということは、外国法の適用についての基本観につき英米法的なものが前提とされており、ドイツ型である従来の我が国のそれと決定的に異なっていることになります。迂闊にも今まで気が付きませんでしたが、十分に警戒すべき説明ではないでしょうか
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(以上、2006年8月14日(月)「法の適用に関する通則法関係資料と解説」から転載)

 いかがでしょうか?

 同書は、通則法12条についても11条と同様の問題があることを指摘し、具体的な問題の例を1つ掲げたうえで、「これから山ほど出て来るであろう細かな解釈論(闇雲に『法的安定性』を求めて出発した今般の『法例改正作業』の結果がこれ、である)」という表現をされています(104頁)。実際、そうなんですよね。もっとも、立法関係者は、自分たちの解釈以外は許されない、とでも考えておられるのでしょうが(思想統制的な動きも、受け取りようによっては、実際にあったのですよ。ここには書きませんが)。

 それから、同書は、両条における、より重大な問題点(渉外的要素を伴う弱者の過保護!とでも評せましょうか)を指摘しています。

弱者側が、……2つの法秩序の法による「ダブル・プロテクション」を受ける点を、一体どう考えるべきか。要は、既述の選択(択一)的連結や限定的当事者自治の場合と同様、実質法的価値(この場合には弱者の保護)を直ちに牴触法上とり上げる点の問題である。
(中略)
 なお、通則法12条1項も、「その強行規定をも適用する」(11条1項も同じ)とする。したがって、この「ダブル・プロテクション」の問題が、やはり起こることに、注意すべきである。

(以上、同書105-106頁)
 そして、さらに、次のイギリスのモースの指摘を援用されています。孫引きですが、そのまま引用します(論文を書くときには、もちろん原典に当たるのですが、そこまでの余裕なく更新していますので、ご容赦ください)。

彼は言う。「国際的な性格を帯びる雇用における労働者が、このような形で二重に保護されるべきだとする政策上ないし正義上の理由は何らないものと思われる。労働契約のための準拠法選択規則の目的は、雇用関係を規律するに最も適切な法秩序を指示することにある。”国際的”な労働者が”国内的な”それよりも有利になるようなことは、かかる〔牴触〕規則の目的とされるべきではない」と。
 私の言いたいことも、まさにここにある。消費者契約についてスイス新国際私法典が既述の如く辿った道、即ち、「実質法的価値の牴触法的昇華」に、まずもって専心すべきなのである。

(以上、106頁)
 以上のスイス法についての記述も、引用しておきます。

1987年のスイス新国際私法典 120条は、消費者契約……について、消費者の常居所地法による(1項)とした上で、2項において、「当事者の主観的法選択は排除される……」旨を明文で示すに至っている。本来、そこまで踏み込んで然るべきなのである。

(以上、105頁)

 以上の点は、私もこれまで書いてきていました。以下に転載して、今日は終わりにします。

(以下、2006年5月1日(月)「-国際私法の危機-11条」から転載)
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 さて、ここには、牴触法レベルにおける実質法的価値の追求という理論的に最も重大な問題が存在しています。この点、これまでは法案べったりの批判をしてきましたし、改正は従来の実務の流れに沿ったものでないとマズいでしょうから本条はそのようなものであろうという勝手な思い込みが当初あったために、この肝心な問題に触れずにきましたが、今回は正面から採り上げます。

 国際私法において準拠法を決定する際には、各国の法律がその国の文化・伝統・価値観を反映したものであり平等の価値をもっているという前提から、議論を始めます。この前提から、決定された準拠法の適用結果は、日本の公序に反しない限り、そのまま受け入れるという結論が導かれます。
 では、このような前提を置いたうえで準拠法を決定するためにどうするかというと、(事案に関係する複数の国(地)の法律の適用結果を比較するというのではもちろんなく)「法律行為」とか「相続」とかの法律関係の単位を設定して、それぞれについて実質法から価値中立的に最も密接に関連する(地の)法律を決めておくという手法を採ります。
 当初の「法例」においては、その基本が徹底されていました(「方式」のみ選択的連結)。

 ところが、平成元年の親族関係の改正により、親子関係の成立に関する複数の規定において実質法的価値を追求する規定が導入されました。具体的には、17条において子がなるべく嫡出子になるように、18条においてなるべく認知が容易になるように、という結果を睨んだ選択的連結が採用されました。
 しかし、各国は、それぞれの考え方に従って、例えば、どのようなときに嫡出推定するか、どのような要件で嫡出否認を認めるか、といったことを独自に決めています。言い換えると、嫡出性の存否や認知の成否について、各国法にはそれぞれ独自のバランス感覚が働いています。したがって、子がなるべく嫡出子とされた方がよいとか、認知が容易に成立する方がよいとか、簡単には言えないはずだということになります(さらに例えば、法例17条において夫婦の一方の本国法によって子が嫡出子であればその子は嫡出子となるとされたことから、異国籍の夫婦の子の方が同国籍の夫婦の子より嫡出子となる可能性が高いというアンバランスが生じてしまっています)。
 その意味で、平成元年改正では、そのような各国のバランス感覚を尊重して最密接関連(地)法を探求するという従来の価値中立的な手法から、実質法的価値の追求に大きく舵を切ったことになります。

 そして、今般の財産関係を中心とする改正作業において、さらに大きく舵を切って、「法律行為」についても「消費者契約」(と「労働契約」)において実質法的価値が追求されるに至りました。つまり、当事者が選択した(地の)法に加えて、「消費者」は、「その常居所地法中の特定の強行規定」をも適用してもらえると規定されています。
 ついに、財産関係においても実質法的価値が追求されるに至ったわけであり、これが「国際私法の危機」でなくて何でしょうか?(このことに比べれば、「強行規定」の適用を「消費者」の意思表示に待つか否かなどという点は、全く本質的ではありません。)
 牴触法レベルでの解決としては、「消費者契約」については、当事者自治を排して消費者の常居所地法への客観連結とするというのが適切だったでしょうか。消費者としては、自分が通常使っているルールによって保護されるか否かが決まるということであれば、結果にはそれなりに納得できるでしょうし。また、裁判所にとっても、契約について単一の法を全体的に適用する方が、(本法に採用されなかった優遇性比較により)複数の法のどちらが消費者に有利かを判断するよりもはるかに楽でしょうし(というか、後者は事実上裁判所に無理を強いることになるでしょう)。あるいは、本法においては裁判所の「釈明」が前提とされているようですが、それには裁判所間の処理のバラツキが生じそうであって、それよりは一律に消費者の常居所地法に客観連結する方が優れているように思われます。

(中略)

 本条は、従来の裁判例がどうであってもそんなことは関係なく、立法によって全く新しい制度にしてかまわないという考え方からできているように見受けられます。そうであれば、裁判所の側も、本法について従来の実務を尊重して制定された法律と同程度に尊重することはなく、積極的に解釈を加えてかまわないと思います。
 具体的には、当事者の準拠法の選択がないという認定を積極的に行って、その場合の規定である本条2項を広く適用するという解釈です。裁判所には、ご検討いただければ幸いです。
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(以上、2006年5月1日(月)「-国際私法の危機-11条」から転載)

 我ながら思い切ったことを書いているとは思いますが、本質は外していないと思います。11条と12条の規定の作り方の醜悪さについては、共感いただける方も多いのではないでしょうか。何しろ、渉外的な要素を伴う消費者・労働者は、そうでない消費者・労働者よりも、保護の程度が高くなるのですから。
 それと、法例15条(通則法26条)など、既に、当事者(夫婦)の便宜からスタートしつつ、善意の第三者の保護を必要として内国取引保護の規定を設け、しかしそれでは第三者保護に傾き過ぎると考えたのか、夫婦財産契約の登記を要件として当事者保護を図るというガタガタしたデジタル的な規定があったところ、このような醜悪さが広がって、いよいよ「毒」が回ってきたなあ、と感じています。但し、このような感じをもつ者は、学会ではごく少数のようですけれども(院生の頃、ドイツの学説なら、変な説と私が考えるようなものでもほとんど論証なく支持されたりしているのを見て、呆然としていたものですが、状況はドイツのものに限らず、あまり変わっていないようですね)。

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 かなり省エネさせてもらっていますが、型にはまるのを極度に嫌っている怠け者が4年くらい型どおりかつ真面目に過ごしてきていますので、何とぞご容赦願います。

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2007年10月20日 (土)

石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等4-特徴的給付・事後的変更(ほぼ再掲)

 過去の内容にもそれなりの意義があると思いますので、今回は、4月1日分をほぼ再掲しておきます。

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 石黒・国際私法第2版の「4 国際私法各論」の「4.1 国際契約法」に移りましょう。この部分で大きく加筆されているのは、まずは「特徴的給付の理論-通則法8条2項の問題に焦点を当てて」(327頁以下)という項目です。以下、一部を引用します。

 既述の如く、黙示の意思の探求は、最も密接な関係の原則に導かれた諸般の事情の総合的考慮によりなされる。その意味で、通則法8条1項は、従来の実際の作業に、基本的な変更をもたらすものではない。ただし、(同条3項はともかくとして)通則法8条2項が問題となる。「特徴的な給付」の問題である(3項は、不動産関係)。

(以上、327頁;「貿易と関税」なら傍線が引かれるのではないかと思われるところに、勝手に下線を付しました。すみません。
 直後に1980年のEC契約準拠法条約4条2項以下の問題点、すなわち、「サプライ・サイドに立つ企業側(一般的にいえば、強者側)の準拠法の適用が導かれ易い」点や、「対価としての金銭支払を行う者の側の準拠法には着目されない」点を指摘され、合わせて「ここでの推定が一応のものであることには、十分な注意を要する。」とされます(同頁)。そして・・・

 通則法8条2項についても、かかる観点からの考察が、必須となる。(中略)2項は所詮推定規定だが、どっちが特徴的か、などといった非本質的なところで無駄な労力を費やすことのないよう、留意すべきである。

(以上、327-328頁;前の引用と同様)
 上記の1980年条約については、2006年12月14日(木)「『法の適用に関する通則法』ジュリスト1325号の特集」で引用した佐藤やよひ論文を、まだお読みでない方はぜひお読みください。
 さて、石黒・前掲書は、この直後で、8条2項括弧書きについて次のような指摘をしています。

関係当事者が複数の国(法域)にある場合に、「その主たる事業所の所在地の法」とある際の、「その」は、「当該法律行為に関係する二以上の」の文言を受けた「その」であり、「そのうちの相対的には主たる……」の意味に解さねばならない。この点、注意を要する(次の項目の冒頭で再説する)。
 そうでないと、A国・B国の事業所が絡んでいるからということで、当該取引と全く関係しないC国の、当該企業の本店所在地法がこの「推定」を受けたりして、8条1項の「最も密接な関係」の本旨にもとることになる。これに対して、いきなりC国法になるのだとこだわるなら、なおさらこの推定は、拘束力の弱いものとして考えなければならない。拙い立法だが、8条の1項との関係での推定であることに、留意すべきである。

(以上、328頁;太字も含めて前の引用と同様)
 引用部分の前段のような解釈の余地も十分あるように思いますが、後段のように2項の「推定」は極めて弱いものだと解して、この規定を骨抜きにしてしまう方がいいのではないでしょうか。いかがでしょうか、心ある皆様!
 ちなみに、この点は、以下で書いておりました。該当部分を転載しておきます。

(以下、2006年10月20日(金)「一問一答を中心に(その1)」から転載)
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1.「Q48 当事者が法を異にする地に法律行為に関する複数の事業所を有する場合に関する第8条第2項の規律の趣旨はどのようなものですか。〔第8条関係〕
  A ……〔それら複数の事業所のうちでその法律行為に最も密接に関係する事業所の所在地を最密接関係地と推定すると-引用者注〕第8条第2項が最密接関係地法の推定規定であるにもかかわらず、迅速な準拠法の決定を可能にするという推定規定の本来の機能が失われかねません。したがって、このような場合には、その当事者にとって最も中心的な拠点であるところの主たる事業所の所在地の法をもって最密接関係地法と推定することとし、……」(一問一答56頁)
<コメント>この説明が適切なものか否かは、最密接関係地法の「推定」の強さ次第でしょう。万一「推定」が強いものであれば、どのような推定をするかが極めて重要なこととなり、問題となる法律行為と関係があるとは限らないその主たる事業所の所在地を最密接関係地と推定するという8条2項括弧書きには、いくら「迅速な準拠法の決定」のためと言っても、具体的妥当性を確保する観点から、強い疑問を感じざるを得ないでしょう(そのような事業所は、相手方とは全く関係ないのですから)。
 この点、神前禎『解説 法の適用に関する通則法-新しい国際私法』(弘文堂・2006年)68頁は、「推定を覆すのはそれほど困難ではないと考えるべきであろう。立法過程における議論においても、特徴的給付の理論では妥当な準拠法が選択されない場合があることは十分に認められているからである。」と解説しています。私もこれに賛成で、「推定」が弱いという前提でなら、上記引用の一問一答の記述に目くじらを立てるほどでもないと考えています。この前提に、十分ご注意ください。

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(以上、2006年10月20日(金)「一問一答を中心に(その1)」から転載)

 裁判所の皆様も、こんなお粗末な「推定」規定を活かそうなどというアホなことは、くれぐれもお考え遊ばされませんよう。 m(_ _)m

 さて、長くなりますが、もう1点触れておきましょう。次の「主観的法選択なき場合と『特徴的給付』?-ユーロ市場でのインターバンク取引等を例に」のようなところが現実としては重要なのですが、その次の「準拠法の事後的変更(通則法9条)-契約外債務に関する通則法16条・21条との関係を含めて」(334頁以下)に移ります。今回は、契約の点のみ採り上げます。

ともかくも実態としては、両当事者が日本法でよいと言っているから”それ以外の点”は一切度外視して、法廷地法で処理すれば簡単だ、という方向に、すべては流れるのであろう(中略)。だが、そこで”度外視”された諸点は、従来の判例が、「最も密接な関係の原則」という、伝統的な国際私法体系の最も重要な価値の実現を目指して慎重に考慮してきた事柄である。それが”度外視”され、実態としては、「悪しき法廷地法主義」ないし”不当”な”homeward trend”への流れが、通則法9条によって、加速されることになってしまい得る。
 他方、この点については、両当事者がともに外国企業であって、しっかりした弁護士もついており、この9条を使ってニューヨーク州法に変更する、となったら当てが外れる。改正関係者はそうならないことを欲しているのであろうが、あり得る展開である。

(以上、335-336頁)
 前段は、石黒一憲『国際私法の危機』(信山社・2004年)で最も危惧されていた点です。また、私自身は、これらの規定が、後段の設例よりも、もっと広汎に利用されてしまう危険があると思っています。ということで、これらの規定の運用に際しては、「変更」の要件を極めて厳格に解する必要があると思います。
 さらに、次の点も重要です。

 訴訟の終盤で外国法への「変更」がなされれば、「要件事実」も「要証事実」も異なってくる。事実審口頭弁論終結間近にそうなったら、どうするのか。(中略) 当事者の利益(?)と訴訟進行上の裁判所側の(実は国際私法的な!)利益とが、交錯することになる。それらの問題の整理は、通則法の条文上、何ら明らかではない。
(中略)
 ともかく、通則法8条との関係でこの9条を見ると、従来の判例の柔軟な処理に対して、なんとなくギクシャクとした感じがするはずである。それもそのはず、「黙示意思の探求」という従来の判例にも見られた正当な営為を、葬らんとしたのが、平成18年通則法制定に至る改正作業の出発点にあった、”歪んだ発想”である。法改正はこれで終わりではない。通則法制定の前後で、どちらがよかったのか。いずれ、冷静にその点が検証される日の来ることを、私は願っている。

(以上、336頁)
 私も(!)、強く願っています。

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 以上です。

 しばらくは、授業の進度に合わせて、再掲したりもしましょう。次回も、どこかに眠っている過去分の(ほぼ)再掲の予定です。

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2007年9月27日 (木)

河野俊行「債権譲渡」批判

 民商法雑誌で、今年に入り「特集・平成国際私法の発展と展望」というシリーズが組まれています。文字どおり、玉石混交です。
 読まれるべきものとしては、まず、中西康「国際親子法の展望」民商 135巻6号(2007年) 954頁でしょうか。個々のお立場への賛否はともかく、全体的な問題点の整理としては、流石ですねえ、という感じです。

 それから、私の問題関心からは、青木清「能力」民商 135巻6号(2007年) 915頁、 927頁が、「失踪宣告の直接的効果・間接的効果」の項目において、「今回の改正では、『失踪宣告の効果は、いずれの管轄原因に基づく場合も死亡の擬制という直接的効果にとどま」る「ことを前提としている』と説明されている。とはいえ、従来からの理解を変更しなければならない直接的な文言を、条文上、見つけることはできない。」と論じている点、全く同感です。
 この点、改正説明(立法関係者)の解釈能力の低さが如実に表れていると思われるところ、今年5月の第2回新司法試験の第1問設問1(2)でここが問われ、「出題の趣旨」において「法例第6条の解釈と異なり、通則法第6条においては、例外的管轄に基く場合も失踪宣告の効力は死亡の擬制という直接的効果にとどまるものと整理されている。まずこの点を踏まえた上で、婚姻の解消を婚姻の効力(第25条)又は離婚(第27条)のいずれかの問題と性質決定し、準拠法を導く論述が求められる。」とされています。立法関係者が出題委員にも入っていますので、解釈の押し付けは露骨です。
 ですが、授業ではその点にも配慮していますので(?)、「国際関係法(私法系)」の最高点は、千葉大LSの修了生です(皮肉な結果でしょうか?)。もっとも、改正作業については極めて批判的な私も、試験の採点については特に問題なさそうな感触を、現時点では得ています。
 ただ、出題は、(今回の方が一般には評価が高いのかもしれませんが)実践力を試す前回の方がよかったと個人的には思います(全体的に、出来は悪かったでしょうが・・・)。

 さて、今回採り上げるのは、河野俊行「債権譲渡」民商 136巻2号(2007年) 179頁です。河野教授には、国際倒産と物権と、これまで2度ほど私見を批判していただいているのですが、時機を失してそのままになっております。今回、また採り上げてくださったところ、しばらく債権譲渡について論文を書くことはないような気がしますので、ここに書いておきます。もっとも、このブログ、採り上げていただくほどの認知度は未だない。。。のかどうか?

 河野論文は、 188頁以下で「通則法23条の評価」として、「1 債務者住所地法主義維持説」「2 譲渡目的債権準拠法説」「3 譲渡者住所地法支持説」のそれぞれについて、検討を加えています(もちろん、河野教授は、3説です)。で、1説の批判的検討の中で、拙稿(森田博志「国際私法の現代化における法例10条・12条関連の改正作業の問題点」千葉大学法学論集20巻2号(2005年)93頁、 128頁、同「物権準拠法の決定と適用範囲に関する問題提起-『原因事実完成当時』を中心に-」国際私法年報8号(2007年)86頁、90頁)を採り上げていただいています。以下、その部分を引用します。

近時、譲渡目的債権準拠法に批判を加える形で、債務者住所地法の比較優位を主張する見解が主張されている。すなわち譲渡目的債権準拠法は常に明示的に指定されているとは限らず、その場合の準拠法如何の判断は容易ではない。また、債務者は二重弁済の危険に曝されており、債務者が、競合権利者の誰に弁済すべきかを判断するのに外国法を調べなければならない事態は回避されるべきであり、債権者側の都合で債務者が振り回されるのは不当である、とする。このうち、準拠法の判断の容易性という根拠については、債権が転々と流通する過程で債務者が住所変更した場合にも、はたして論者の言うように、債務者住所地法主義によれば準拠法判断が容易になされうるか(ママ)であろうか。少なくとも筆者には明らかではない。

(以上、河野論文 189頁)
 ざっとお読みになると、もっともだ、と思われる方も多そうですね。ところが、これ、拙稿が微妙に改変されているのです。上記引用の2~3行目の拙稿原文は、以下のとおりです。

対象債権の準拠法は、明示的に指定されているとは限らない。明示的に指定されていない場合には、その準拠法判断に法的評価が伴うのであり、その評価は債務者の住所地の判断よりはるかに難しい評価である。この難しさは、債務者自身にとっても大きいが、対象債権についての外部者たる第三者(譲受人や担保権者のみならず、差押債権者なども含まれる)にとって極めて大きい。

(以上、拙稿・千葉 128頁。同・年報90頁もほぼ同文)
 債務者の住所地がどこか、債権者側にとって判明し難い場合があることは百も承知のこの表現なのであって、「容易」とは言っていないのです。「難しさ」の程度が違うでしょ!と言っているのです。もっとも、(そうだとしても)違わない、と強弁されるのでしょうけれども(しかし、ズレはズレです)。
 で、次。

 とすれば、債務者住所地法主義を擁護するポイントは、債務者の二重弁済からの保護ということになろう。債務者のところに集まる情報を通して、複数の利害関係者の取り扱いを統一することが債務者住所地法主義の狙いの一つであるわけである。とするとここで想定されているのは、債務者が容易に特定可能であり、その顔が利害関係者に見えている事例である。典型的には銀行の預金債権がそれにあたる。加えて、銀行に複数の利害関係人が問い合わせるという事情は、この預金債権をめぐって複数の利害関係者が対立しており、預金債権者にはほかにめぼしい財産がないことを示唆する。この場合、銀行にとっては誰に払えば確実に免責されるかは重要であろう。その意味で、このような事例(債務者特定可能事例とする)に関して言えば、債務者の保護を中核にすえる議論は正鵠を得ている。

(以上、河野論文 189頁)
 「正鵠を得ている」と評していただいた以上は、ありがたくお受けしておけばよいのでしょう。しかしながら、森田説を引用して議論されている部分ですから、正確な森田説を評価なり批判なりしていただく方が気分がいいので申します。
 「債務者のところに集まる情報を通して、複数の利害関係者の取り扱いを統一することが債務者住所地法主義の狙いの一つ」とされていますが、これは民法的な議論の仕方であって、私はこれは採りません(野村説とは違います。牴触法と実質法の峻別!)。あくまで、最終的なターゲットであり債権譲渡にとっての局外者である債務者の住所地に全関係者の重心があると考える立場です(情報の集積は無関係!)。したがって、私見の射程は、「債務者特定可能事例」に限られません。
 しかし、前提について誤解されていますので、次のように批判されてしまいます。

 しかし、国際私法上の債権譲渡として、かかる債務者特定可能事例「のみ」を念頭において議論すべきかどうか。現実にはこれ以外の事例があり、たとえば利害関係人が問い合わせうる方法がわからないほど債務者が多数存在する場合(大量債権譲渡事例とする)がそれである。このような大量債権譲渡事例を扱う際には、債務者特定可能事例を念頭に置いた議論はストレートには当てはまらず、むしろ経済的合理性(費用と効率性)を検討してからでないと、債務者保護がすべてに優先する考慮かどうかは断言できないであろう。

(以上、河野論文 189- 190頁)
 出たー! 「経済的合理性(費用と効率性)」!
 集合的に考えて個別の債務者は切り捨てて考える。はっきり言って、私は、このような議論の仕方は大雑把だと思いますね。個別の債務者にそれぞれ焦点を当てて考えることを放棄しないのが法律学の真髄ではないのでしょうか? こういう議論の仕方をするから、法律学もいよいよ経済学の下僕に成り下がってしまうのですよ。私は、個々の法主体への眼差しは捨てませんよ!(「債権流動化」の議論が出てきたときの何となくの違和感の正体は、これだったのですね。)

 おや? 少し先走ってしまいましたね。でも、この後の、河野教授のお立場(上記の3説)からの議論(同論文 191頁以下)は、「大量債権譲渡事例=債権流動化」から押していくもので、お里が知れるといった風情です(以下は、もはや現物をお読みいただくのがよいと思います)。
 もしご本心が3説を採用する通則法の改正なのだとすると、それは逆に「大量債権譲渡事例」のみ(!)を念頭におくもので、前述の森田説批判はそのままご自分に跳ね返ることになりますし、「債務者特定可能事例」については拙稿の議論を「正鵠を得ている」と評価していたことと矛盾することにもなります。
 また、「大量債権譲渡事例」に限定して3説による特別法を作るとされるなら、稀有な事例かもしれないけれども、さて、同一の債権が「大量債権譲渡事例」と「債務者特定可能事例」の双方の形態で譲渡された場合の規律はどのようになるのでしょうか、と伺いたい気分です。
 債権流動化から出てきた議論(河野教授ご自身の02年のものも含む。拙稿・千葉 140頁注79、同・年報 101頁注24に掲げた一連の諸文献参照)から、一歩も進んでいないのではないでしょうか?

 まあしかし、法例12条の債務者住所地法から通則法23条の対象債権準拠法へと動いたのですから、債権者(譲渡人)住所地法まであと一押しということで、一連の方々の論考が続いて出てくるでしょうね。

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2007年4月21日 (土)

石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等7-債権譲渡

 お役目もあり、いろんなことが立て込んできて、しかし書いておきたいこともあり、頑張って更新しておくぞ、っと(お願いですから、足を引っ張らないでー!と何処かに向かって言いたいのだが・・・)。

 石黒・国際私法第2版の改訂部分のうち重要なものを見てきましたが、いよいよ最終回ですね。今回は、「4.3 国際債権法に共通する諸問題」の冒頭の「三面的債権関係と準拠法」という項目です。

平成18年の「法例廃止」・「通則法制定」に向けた改正論議の中では、こうした穂積博士の発想に基づく”法例12条の先見性(!)”など、一切度外視され、日本国内でなされる(!)債権の一括譲渡(債権のバルク・セール)に際して、世界各国に散らばる債務者の住所地法上の対抗要件を一々踏めというのは、債権の流動化に反するとの、「規制改革」サイドからのクレイムを出発点とする”混乱”が生じた。即ち、債務者の、ではなく、前記の如き場合のみを前提に、「債権者側の住所地法」(日本法)によるべきだとされ、しかも、債務者への対抗要件と、それ以外の第三者への対抗要件を分ける、等の愚論が登場した。

(以上、同書369頁)

 以上の点には、付け加えることはありません。事実ですから。
 これに関しては、昨年4月18日(火)の参議院法務委員会の仁比聡平委員(共産党)と寺田逸郎法務省民事局長の質疑が、スリリングでしたねえ。参議院のHPから、ビデオ映像で見られたのですが、もうダメみたいですね(残念!)。「規制改革」の問題性が、露わにもなったのでした。その関連の記事は、「石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等1-はしがき・第1章冒頭」からリンクしてあります。

 ところが、次。私見とは逆のお立場なのです、昔から(これも、残念!!)。

法例12条につき起草者穂積博士は、債務者保護は「債務の根拠たる所の債務者の住所地」法によるとした。ここに、信じ難い程の立法上の過誤があった(!)。同条の立案に際し、A〔譲渡人-引用者注〕Y〔債務者-引用者注〕間の関係、つまりYの法的地位が準拠法β(Yの負う債務の準拠法)による、ということを、起草者は完全に失念していたかの如くである。
 (中略)
「三面的債権関係の競合」状態におけるかかる優先劣後(priorities)の問題は、Yの負う当該債務の準拠法βによって処理するべきであろう。まさに当該債権をめざして複数の者が争うのであるから、それは自然な処理とも言える(中略)。すべての者の”眼差し”は、(中略)AY間の債権債務に向けられている。

(以上、370-372頁)

 私は、やはり上記引用の議論には、賛成できないのですよね。「Yの法的地位が準拠法β(Yの負う債務の準拠法)による」というのは、Aとの関係では確かにそうですし、譲受人や担保権者等との間の直接の関係についてまではそうですが、それらの間の優先劣後の関係についてまでそのように言うことには、飛躍があるのではないのでしょうか? ここでの問題は、AY間に閉じた話ではないはずなんですけれど。それに、債権をめぐる競合において譲受人や担保権者等が狙っているのは最終的には債務者からの取立てであって、「当該債権をめざして」というより、結局は<当該債務者Yを目掛けて>だと思いますし、「すべての者の”眼差し”は」<債務者Yに向けられている>とも言えると思うんですよね。
 まあ、対象債権の準拠法によるという石黒説は立法論上のかつての通説とも一致していたわけで、法例12条死守説の方は、ここでは全く勝ち目がなかったわけです。

通則法23条においては、「債権譲渡以外の三面的債権関係」(それらを、わが実質法上の概念に拘泥しつつ、区別して論ずる必要はない!)についてはY保護の限度で準拠法βに(対抗要件の点も含めて)よらしめるとの、前記の私見を、自然な形で「債権譲渡」の場合にも、及ぼすことができるようになった、まさに、瓢箪から駒、の展開である(!)。

(以上、372頁)

 石黒先生の立場からは、確かに、「瓢箪から駒」ですよね。
 ここは、私としては、本当に残念無念のところですが、前に書いたものを引用するだけにします(あと、紀要と学会誌の論文にも書きましたし、まあいいです)。

(以下、2006年4月19日(水)「参議院法務委員会通過-特に規制改革との関係で-」から転載)
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<参考>本法案に関する「規制改革」関係文書を以下に並べておきます。
1.「規制改革推進3か年計画」平成13年3月30日閣議決定
  Ⅲ分野別措置事項 2金融関係 オその他 ⑦
 「国際的な統一ルールとして譲渡人住所地法による考えが定着しつつあることにもかんが
み、債権流動化の基盤整備を進める観点から、国際的な動向を踏まえつつ、法例第12条の特別規定を設けることについて検討を開始する。」
2.「規制改革推進3か年計画」(改定)平成14年3月29日閣議決定
  4分野別措置事項 2金融関係 オその他 ⑧
 「検討を開始する」 → 「引き続き検討を行う。」
3.「規制改革推進3か年計画」(再改定)平成15年3月28日閣議決定
 4分野別措置事項 2金融関係 オその他 ⑨
 「引き続き検討を行う。」 → 「引き続き検討を行い、結論を得る。」
4.「規制改革・民間開放推進3か年計画」平成16年3月19日閣議決定
 3分野別措置事項 4金融関係 オその他 ①
 「債権流動化の基盤整備を進める観点から、譲渡人住所地法によるルールを含む国際的な動向を踏まえつつ、法例第12条の特別規定を設けることも視野に入れ、
同条を含む法例中の国際私法規定の全般的見直しについて引き続き法制審議会において検討を行い、結論を得る。」
5.「規制改革・民間開放推進3か年計画」(改定)平成17年3月25日閣議決定
 Ⅲ措置事項 7金融関係
 オその他 ①
 (4と同文)
6.「規制改革・民間開放推進3か年計画」(再改定)平成18年3月31日閣議決定
 Ⅲ措置事項 7金融関係
 オその他 ①
 「引き続き法制審議会において検討を行い、結論を得る。」 → 「法制審議会において結論を得て、措置する。(第164国会に関係法案提出)」

※法例12条の「特別規定」と言っていたのが、法例の「全般的見直し」と変わり、いよいよ措置されるということです。日本に居住する者が債務者となっている債権の譲渡等について、その対第三者効力の準拠法を日本法から外したいという規制改革側の当初の目的は、(譲渡人住所地法への変更は阻止できましたが)従来の通説に乗っかった形で、概ね達成されてしまうでしょう(杞憂かもしれませんが、いずれにしても皆様お気を付けください)。
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(以上、2006年4月19日(水)「参議院法務委員会通過-特に規制改革との関係で-」から転載)

 全く、杞憂ですむのであれば、自身の不明を恥じればいいだけの話なので、それでよいのですが・・・。 さて、10年後にはどうなっていることやら・・・

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2007年4月 7日 (土)

石黒一憲『国際私法(第2版)』紹介等6-不法行為の特則

 最近、自画自賛系のブログと化しつつありますが、よろしければお付き合いください。

 石黒・国際私法第2版の続きと行く前に、お知らせです。
 国際私法学会から、春の学会(5月13日(日)開催)の案内が来ました。何と、上智大学の法科大学院模擬法廷で(報告者は裁判官席に並ぶのでしょうか?)、「<シンポジウム>法適用通則法の解釈論上の問題」という統一テーマで、山内中央大学教授を座長に、「たたき台」を作成した、法制審議会国際私法(現代化関係)部会の5人の幹事が丸一日かけて順に報告されます(近々、学会HPに掲載されるでしょう)。
 しかし、今さら、雁首揃えて「解釈論上の問題」とは・・・。忙しい人たちを集めて開催するのですから、踏み込んだ検討なしでは済まないでしょう。出席するかは現時点では未定ですが、いずれにしても期待しております(それにしても、「たたき台」作成の際の座長は、ついに学会ではこの件での報告はされないのですね!)。
 総会の議題には、「学会改革の件」というのがあるのですが、近年、報告者に偏りが見られたりするところ、何を「改革」しようというのでしょうか? 事前に資料でも送っていただきたいものです。

 さて、本題に入ります。
 「通則法18条(生産物責任の準拠法)の硬直性!」(360頁以下)から見ましょう(本当は、全部引用したいところですが、詳細は現物をご覧ください)。

 (前略)但書で、その地での「引渡しが通常予見」できない場合には、いきなり(!)「生産業者等の主たる事業所の所在地の法」による、とある。
 但書の方を先に見れば、なぜサプライ・サイドの側に最も有利な法選択へと一気に導くのか。その地の法が、当該紛争事実関係と何ら関連していない場合にも、こんなことをなぜするのか。(以上、360頁)

実は生産者Yが、手広く日本で事業展開をしており、日本での広告・宣伝等で当該製品を知っていたX1が、トランジットで立ち寄ったA国の空港免税店でそれを購入し、日本に戻ってX2~nとともに被害にあったとせよ。Yの事業所が日本にもあったとせよ。なぜ問題を、18条の示す二つの(この例で言えば、いずれも極端な!)選択肢の中でしか、考えられないのか。なぜ、もっと素直に、諸般の事情の総合考慮において準拠法を決定するという、事柄の基本を、かくまで拒絶するのか。
 ここでも、彼らは言うであろう。そんな場合のために20条の例外条項があるのだ、と。だが、既述の如く、原則は原則なのだから、18条の中でしっかり処理せねば、例外だらけとなる。健全な現象ではないし、そうしたことの起きないように、わざわざ不法行為の特則たる18条を作ったはずではなかったのか。(以上、362頁)

 私のも、目障りかもしれませんが、転載しておきます。

(以下、2006年6月5日(月)「衆議院への宿題」から転載)
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5. 17条・18条関連
 これについては、「17条・18条について」で簗瀬委員が採り上げられた設例を通じて、さらに深く掘り下げていただければ幸いである。
 特に17条における設例では、日本の科学水準や国民の一般的な水準を想定しての「通常予見」の可能性と、某国のそれとは大きな違いがあるやも知れず、「通常予見」という基準を(決め手として)使うことそのものが、問題を生じさせる危険があるのではないか?
 また、18条について、「通常予見」不可能な場合に、(生産業者等が当該生産物を置いた市場地の法ではなく)一気に「生産業者等の主たる事業所の所在地の法」によることになるのは、やはり生産業者等の利益に偏り過ぎだと思われる。なぜ供給側(サプライサイド)優位になりかねない規定になっているのか?
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(以上、2006年6月5日(月)「衆議院への宿題」から転載)

 それと、やはり(長いのですが)衆議院法務委員会における参考人質疑での重要なやりとりと、法制審議会国際私法(現代化関係)部会の議事録を引用した、2006年7月9日(日)「『法の適用に関する通則法』衆院法務委参考人質疑から(その2)」をご覧いただければありがたく存じます。
 さらに、(結構書いてきたのですね)次もよろしく。

(以下、2006年10月20日(金)「一問一答を中心に(その1)」から転載)
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4.「Q104 第18条の規定は、生産業者等を保護するものであり、被害者保護の観点から問題があるのではないですか。〔第18条関係〕
 A 生産物責任についての特則規定は、結果発生地が過度に広がる懸念から、生産業者等の準拠法に関する予見可能性の確保に配慮した面があることは否定できません。
  しかし、生産物責任について結果発生地を連結点とすることは、被害者にとっても思いがけない地の法が準拠法となるなど、常に被害者に有利な連結点であると はいえません……。さらに、ただし書きが適用された場合の連結点が生産業者等の主たる事業所の所在地とされている点も、生産物責任については、その性質 上、加害行為地の確定が困難であることから連結点を明確化したものであり、被害者にとっても不利となるものではありません。……」(一問一答108- 109頁)
<コメント>まず、最初の段落において「~否定できません」と自認されていることは、率直に評価します(さすがに、この点の強弁はできなかったのか、この部分の執筆者が正直な方であったのか・・・)。
  次に、「しかし」以下の段落の前段については、疑問です。逆に、被害者が生産物の引渡しを受けた地から自宅に戻って結果が発生することも考えられるのです から。また、論旨のような状況は、生産物責任だけの問題でしょうか? 通常の不法行為であっても、ちょっとした旅行や立場によっては留学の先での日本人同 士の事故の事例(例えば、千葉地判平成9年7月24日判時1639号86頁や岡山地判平成12年1月25日交通民集33巻1号157頁)でも常について回 る問題です(カナダ法やサウスダコタ州法が「思いがけない」とまでは言えないとしても、関係は深くありませんよね。この点も、次々回に言及します)。
 最後に、「さらに」以下の後段の部分も、問題ではないでしょうか。そこで言う「不利」とは実質法的な意味でしょうか、それとも牴触法的な意味でしょうか? これが前者なのであれば、さすがに法務省民事局の国際私法の意義に関するご認識が分かるというものです。逆に後者なのであれば、生産業者等は自分の中心地の法によるので国際私法的には有利であるのに対して、被害者にとっては「生産物を市場に置いた地の法」でも生産業者等の主たる事業所の所在地法でも外国法になる可能性が高いという点では同じようなものかもしれませんが、前者の法の方が両当事者の接点である当該生産物を中心に見れば準拠法たるに相応しいように思います(18条本文で17条本文の「結果発生地法」から外れた処理にしているのに、18条但書で17条但書の「加害行為地法」に義理立てしてそこから話を始めるのがそもそもおかしいではないですか!!)。

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(以上、2006年10月20日(金)「一問一答を中心に(その1)」から転載)

 さて、長くてすみませんが、一気にやっておきます。
 次は、石黒・前掲書の「通則法19条(名誉・信用の毀損の準拠法)の硬直性!」へ。

例えばフランスのX社に対し、日本国内で、日本のYが、日本語で名誉・信用の毀損行為を行ったとする。日本の中で、主として日本語で悪い評判が広がり、XがYを日本で訴えたとする。その場合、直ちにフランス(Xの主たる事業所のある地)の法が準拠法となる、とするのがこの19条の規定である。フランスには、何ら毀損行為による被害が広がっていなくとも、である。
(中略)
 他方、Yも企業(シンガポール法人)だったとせよ。そして、実際のビジネスにはありがちなこととして、XY双方が、相手方の”日本でのビジネス”につき、互いにイチャモンをつけ、泥仕合となっていたとする。XがYを、そしてYが反訴としてXを、それぞれ訴えたとせよ。通則法19条は、前者にはフランス法を、後者の反訴についてはシンガポール法を適用せよと言う。これもおかしな話である。
 前記の例と同様、XYの”眼差し”が、日本市場、即ち日本に向けられているなら、何故素直に、その点を実際の準拠法選択に反映させることのできないような、硬直的な規定を置くのか。また、”事象”として一つなのに、何故こうした交叉的な請求において、”準拠法の一本化”ができない規定を、わざわざ作ったりしたのか。
 ともかく、この18・19条もまた、立法者の見識が、強く疑われる規定である。

(以上、363-364頁;「貿易と関税」なら傍線が引かれるのではないかと思われるところに、勝手に下線を付しました。

 最後の「何故」の答えは簡単。名誉・信用が毀損された国ごとの各損害につきそれぞれの国の法を準拠法とするという、モザイク理論なる不可思議な説(道垣内正人『ポイント国際私法各論』(有斐閣・2000年)247-249頁)を封じるため、それだけのために設けられたのですよ(例えば、別冊NBL編集部編『法の適用に関する通則法関係資料と解説』(別冊NBL 110号・2006年)61頁注47参照)。「法の私物化」と表現すればよいのか、何と言えばいいんでしょうねえ? 全くもう、メチャクチャですよ。

 まだ残ってしまいましたねえ。しゃーない。ぼちぼち行こか。

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